閃きを与える霊存在と、それを実行に移す肉体人の協働が、世界を変える力を生む

私たちは無意識にでも意識的にでも、日々いろいろなことを考えながら行動している。しかし、「私の考え」と言いながらも、その出処は実のところ明確ではない。私たちが意識的に

考えよう

と思って考えることなどむしろ稀だ。私たちのほとんどの行動は過去の習慣や反射的な反応によって占められているとすら言える。一方で、それまでの自分の価値観や行動様式とはまったく違うような考えが突如として浮かんできて、それが問題を打破する大きなきっかけになるようなこともある。これは、いったいなんなのだろう?

現代科学では、思考を生み出すのは「脳」だと考えられている。だからたとえ今までとまったく違う考えが浮かんできたとしても、それは脳内で行われた情報処理の結果、それぞれが新しい結び付きを与えられ、導き出されたと考えられる。たとえば、過去に読んでいた本からの情報や、今朝見た広告の情報、たまたますれ違ったひとの会話……。そういった情報が複雑に絡み合った結果、本人すら予想していなかった考えが生まれると言うのである。しかし、どれだけ論理的に推論を試みても、やはり肝腎なところは「神秘」だとしか言いようがない。実際、脳が最大の「ブラックボックス」であることは、どんな科学者も認める事実なのである。

こうして見てみると、私たちは自分の思考を実際にはほとんど制御していないことに気付かされる。さらには、赤と青のボタンがあり、そのどちらを押すかを決めた段階で手を挙げてもらう、というような実験を行うと、本人が手を挙げるより前に、脳内では意志決定に関わる情報伝達が為されているという結果が出たという研究結果もある。つまり私たちの思考の過程になんらかの「他者の介入」がある可能性が、既に示唆されつつあるのである。

このようなことから、

私たちに自由意志などないのだ

という主張を持つ方々もいる。しかし、私はそのような考えには与しない。自分の人生の「主体」を持つのは私たち自身だ。そのうえで、その思考の過程には自分自身だけでなく、霊存在も含む様々な他者の想念が影響していると言いたいのである。

角をどちらに曲がるか?明日の晩ご飯はなんにしようか? 人生は「選択」の連続である。もちろん、「選択しない」というのも「選択」の一種であ...

ここで霊存在に視点を移してみよう。彼らはいつも自分の興味があることを研究している。それが喜びだからだ。しかしそこでどんな発見が為されようとも、彼らが直接に肉体界に関与する術はない。かと言って自分自身が生まれ変わってしまうと、いったんすべての記憶を棄てなければならないので、自分の知識をすぐに活かすことはできない。つまり、彼らは自分の想いを実現するために、どうしても肉体人の協力を必要としているのだ。だから彼らは私たち肉体人に「想念を流す」というかたちで関与し、世界を動かそうとするのである。

独りでできることは限られている。そんなときは仲間を探せばいい。もちろん、ひとりでなにもできないとまでは言わないが、仲間がいれば心強いものだ。...

だが、肉体人も日夜いろいろな想念を受けながら生活しているので、なかなか自分の想念に意識を向けてもらうのは難しい。だから、霊存在は肉体人の意識が弱まっているとき、たとえば眠っているときや起きてすぐ、あるいはリラックスしているときなどに狙いを定めるのである。

そしてこれが、私たちの「夢」や「閃き」に影響しているのだ。私たちが閃きを得るのがその問題について意識的に考えこんでいるときよりも、むしろまったく違うことに打ち込んでいたり、ぼ〜っとしたりしているときにこそ多いのも、ここに理由がある。だからこそこのことに気付いた方々は、大樹の下で瞑想したり、座禅を組んで雑念を払ったりして、新しい情報を得ようとするのである。

だが、ここで注意しなければならないのは、そういった想念を与える存在が必ずしも私たちのしあわせを願っている、善い存在だとは限らないということだ。だからどんな閃きも情報も、いったん真摯に吟味して、それをどう活かすかを考えなければならない。これが、私たちの最大の役割のひとつなのだ。私たちが世界を破壊しようと思えば、それに手を貸してくれる霊もたくさんいるだろう。逆に世界を喜びで満たそうと思うなら、あなたに協力したいと願う霊も数限りなくいるのである。これはインターネットの世界にも似ている。今私たちは、ネットで検索すればどんな分野でも、かなり深いところまで潜り込んでいくことができる。だからこそ、「なにを検索するか」が重要な岐路になるのである。同じように私たちはこの世を地獄にするために力を遣うことも、天国にするために力を遣うこともできる。これが私たちに与えられた最大の自由であり、責任なのだ。

もちろん、世界はひとりの思惑だけで動くわけではない。だから、私がどんなに世界の喜びが大きくなるのを願ったところで、明日即座に世界が平和になるわけではない。だが、そうした想いを共有する方々が結び付き、それぞれにできることをしていけば、世界は少しずつでも確実に、変わっていくのである。

未だに世界には苦しみが絶えない。この背後にはそれを望む霊存在と、その想いを実行に移す肉体人の結託がある。だが現状がどうであれ、私は世界をもっと喜び多い世界にすることを望んでいる。そして、私はひとりではない。最初のひとりでも、最後のひとりでもない。これを読んでいるあなたも、広い意味では私の仲間なのだ。そこに行き着くまでには紆余曲折はあるだろうが、未来ではあなたも私も、もっと笑顔になれる。そしてそのときは霊たちも、みんなで喜んで、祝ってくれるのである。