この文章を書いているのは、いったい誰なのか?

猿がシャッターを押した写真の著作権を巡る議論があった。現在のところ、

確かに写真撮影に至るまでの環境作りを行ったのはカメラマンだが、写真の撮影で最も重要な「シャッターを押す」という行動を採ったのは猿なのだから、カメラマンが著作権を主張することはできない

という見解が採用されているが、未だに意見が分かれる問題となっている。

その後、ついに一応の決着を迎えることとなりました。

私は今まで、「思考」というものが純粋に自分だけのなかで完結するものではなく、肉体人や霊存在、周囲の環境も含めた多くの「他者」との相互作用によって生まれるものだと言ってきた。しかしだとすれば、今ここにこうやって文章を書いているのは、いったい誰なのか? 私はこれをどこまで

私の文章です

と言っていいのだろうか?

そもそも私がここに書いているのは、私の過去から現在に至る実体験を基にしたものである。そしてその体験は日々積み重なっている。だから、その意味で私の文章は(引用部分を除いては)私自身に由来するもので、誰の真似でもないし、誰に真似できるものでもない。だが、私が現在のような知識を得て、今の私なりの世界観を創り出すことができたのは、私の師や家族、友人、関わってきたひとびとや霊存在といった様々な方々の影響があったからであることは間違いない。それに、私がこのような活動を始めてからというもの、

私の想いを聴いてほしい

このようなことを伝えてほしい

といった要望を霊存在からもさらに頻繁に受けるようになった。そしてそれは、日々ここで表現する文章にも、確かに反映されているのである。

だとすると、この文章を書いているのはどこまで私だと言えるのだろうか? 逆に言えば、私は

この文章は私が書いたものではありません

と言うべきなのだろうか?しかし、たとえ多くの存在からの影響を受けていようが、その情報を検証し、取捨選択し、自分なりに表現し、限りある時間を費やしてここに書いているのは、やはり私である。言い換えると、ここに書いてあることの文責は、最終的にはすべて私にあるのだ。この文章の内容について質問されたり、場合によっては批判を受けたりした場合に、

これは私の考えではなく、霊存在の◯◯さんの意見に基づいて書いたものなので、意見は◯◯さんに言ってください

などというのがあまりにもおかしいのは明らかである。

だから、やはりその意味でここに書いているのはすべて「私の文章」なのだ。ただ、その背景には多くの「協力者」の存在がある。それにそれは、芸術活動にせよ、日常の行動にせよ、すべてについて言えることでもある。私たちはどんな行動も純粋に自分ひとりで行ってなどいないのである。その関係はまさに「持ちつ持たれつ」であると言っていい。私は私の経験していることを、私なりに表現している。そこには多くの方々から得たものが含まれているが、彼らは自分では表現できない、あるいは自分の責任においては表現したくないものを、私を介して伝えることができるのである。「表現する」ということは、決して安易なことでも、ラクなことでもない。葛藤や苦しみも生み出す。ときには他者と意見が衝突することもある。だがそれでも、

黙ってはいられないから、伝えたいから、それが自分にできることであり、したいことであり、喜びであるからそうする

のである。

これは確かにひとつの「覚悟」であり、それがなければどんな行動も起こすことはできない。だからやはり、これは「私の文章」であり、「私の活動」なのである。

言葉とは、そのひとの排泄物なのだよ という言葉を聴いたことがある。言い得て妙だと思う。私たちは、意識しているかどうかに関わらず、常にあ...

あらゆる行動には責任が伴う。自分の人生の「主体」を持っているのが自分である以上、その責任は最終的にはすべて自分にあると言える。それに、やりたいことがどんなにたくさんあったとしても、人生の時間には限りがあるのだから、そこから選び取るという決断が必要にもなってくる。それは見かたによっては大変でもあるのだが、それこそが喜びのもとでもある。相手がどんなに立派な存在であれ、誰か違うひとの言いなりになっているなら、それは

「自分の人生を生きている」

とは言えない。だからそこから本当の喜びは生まれないのである。それに、どんなに悩んだ末に決断したとしても、その結果が必ずしも自分の予想していたものになるとも限らない。むしろ、なにかしら予想外のことが起こることのほうがはるかに多い。ただそれがどんなものであれ、その結果は最終的には自分が引き受けなければいけない。だが、だからこそそれがかけがえのない「私の体験」として蓄積され、自分を成長させてくれるのである。

こうしたことを理解してくれているので、私は今のところ誰からも「著作権」を主張されずに済んでいる。だが、やはり私は私に協力してくれる方々すべてに感謝している。彼らがひとりでも欠けていたら、今の私の人生は、まったく違うものになっていただろう。それになにより、私はあなたにも感謝している。こうして私の書いたものを読み、支援してくれるあなたのおかげで、私はこうして書き続けていられるのだから。そして私があなたにできる最大の恩返しは、やはり私がこの活動を続けていくことなのだと思う。それに私自身も今はまだ、私の役割を果たし終えたとは思っていない。これがこれからどのように変化していくのかはわからない。ただ私も無理に気負いすぎることなく、多くの方々の協力を仰ぎながら、その過程を楽しみながら、これからも少しずつ、進んでいこうと思う。そしてそれがもしあなたの喜びに少しでも役立つなら、私にとってもそれ以上の喜びはないのである。