需要と供給。なぜあなたの欲望は無限に刺激され続けるのか?

「需要と供給」は経済の基礎原理だと考えられている。この「需要」は「必要性」(ニーズ)と言い換えてもいい。ひとびとが求めるものがあり、それを供給するひとがいる。そこで交易が成り立つ。これが最も基本的な理解であり、資本主義もこの考えかたのうえに立っている。原理的な資本主義者が言う

市場に任せるのがいちばんだ

というのは、

需要が多ければ供給も多くなり、需要が少なければ供給も自然と少なくなるので、結果的には最も適切なバランスが保たれるのだから

という信頼を表していると言えるだろう。さらに言うと、これは基本的に、

「需要が供給を先導する」

ということだ。それを求めるひとびとがいるから、それを供給するひとが現れ、より求められているものに近いものを供給できたひとが競争に勝つ。逆に需要がないものを供給しようとしても、それはいずれ必ず淘汰されていく。これはとても自然な捉えかたで、一見反論の余地もないように思える。

だが現代では、必ずしもこのような考えかたでは理解できないことが起きている。現代はもはや需要が供給を先導するのではない。

「供給が需要を先導する」

のである。なぜあなたの欲望は無限に刺激され続けるのか?なぜあなたはいつまでもどこか満たされない想いを抱えているのか? そのひとつの答えがここにある。

お客様は神様です

と言われたのは過去のことだ。今やその座は「企業」に取って代わられた。現代は「あなたが欲しいものを企業が創る」のではなく、

「企業が売りたいものをあなたが欲しがらされている」

のである。

資本主義社会は、「成長」を止めた瞬間に崩壊するようにできている。その端的な理由が「金利」制度にあることは以前にも書いたが、

現在の社会は、「経済危機」の真っただなかだ。以前は「資本主義」に対する「社会主義」(共産主義)があり、互いに覇権を争っていたが、今や「経済」...

より根本的には「カネ」そのものの性質上、その動きが止まってしまうと、資本主義社会は途端に破滅の危機に陥ってしまうのである。さらには、資本主義の原理には「資源は無限である」という前提が暗黙の了解として設定されている。その前提はもはや明らかに崩れているのだが、資本主義の黎明期には、「地球の資源が枯渇する」ということなどまったく現実感がなかったのだろう。しかしその根本的な欠陥は、現代資本主義にも受け継がれたままだ。だから、資本主義はどこまでも走り続けなければその存在を維持できない。そのためには、需要が途絶えることをなんとしても避けなければならない。現代における最大の産業のひとつが「広告業」なのも、「プレゼンテーション」がこれほどまでに重要視されるようになったのも、すべてはここに大きな理由がある。顧客は完全に満足させてはならない。今や需要は応えるものではなく、「掘り起こす」べきものなのである。

これはとても冷酷な事実である。だから、テレビの画質はどこまでも向上し、スマートフォンの通信速度はさらに速くなっていく。だが、テレビの画質が2倍向上したからといって、私たちのしあわせが2倍になるわけでないのは明らかだ。しかしそれでも、技術の進化は止まらない。そして私たちはそれを欲しがらされ、消費させられながら、消耗していくのである。

しかしここで不思議なことは、これだけ「些細な」需要を掘り起こすことに躍起になっている企業が、なぜか最も根源的で重要な「需要」には真剣に応えようとしていないかのように見えることだ。アナログテレビをデジタルテレビに置き換え、次には「4Kテレビ」や「8Kテレビ」を売り込もうとするのにはこんなに必死になれるのに、なぜ「食糧自給率」や「エネルギー自給率」は相変わらず低いままなのだろう?なぜ世界各国の「飢餓」や「教育機関の欠如」といった大きな「需要」を後回しにしてまで、より中毒的なゲームの開発に力を注ぐ必要があるのだろう?これはもしかしたら、本当に根源的な「飢え」を残しておくことで、ひとびとを永遠に満足させないようにしているのだろうか?あるいは、「安い労働力」を確保し、「生産性」を高めるためなのだろうか?あるいはひとびとを「格差の嫉妬」のなかで狂わせ、永遠に闘わせるための策略なのだろうか?

私はそれが事実だとは思いたくない。だが、今の状況を冷静に観察すると、これがまともだとは、まったく思えないのである。「賢い」人類のなかで、私しかこんなことに気付いていないはずがない。そうだとしたらなおさら、私は現代の病みの深刻さに、恐怖すら感じてしまうのである。

確かに、私たちの生活には「必需品」というものがある。私ももうインターネットのない生活はできそうもないし、冷蔵庫や洗濯機なしに暮らせる自信はない。だが、掃除機はもうしばらく遣っていない。ほうきとちりとりで充分だと気付いたからだ。スマートフォンも今のところ私にはどうしても必要性を感じられない。しかし、数年前に「電動歯ブラシ」は購入した。それ以来、歯の健康維持にとても役立っている。これは私の例だが、なにが必要でなにが必要でないかはそれぞれ違う。ひとつ言えることは、それは誰かに強制されるものではなく、自分で決めることだということだ。だから、資本主義の波に飲まれて自分を見失いそうになったら、いちど立ち止まって自分にこう問いかけてみてほしい。こんな簡単な問いが、あなたの生きかたを一変させることもあるかもしれない。

これは本当に、あなたに必要なものですか?