未来を創るには、理想主義の「希望」と現実主義の「冷静さ」の両輪が必要になる

私たちはときにひとを「理想主義者」と「現実主義者」に分けてみることがある。そして、場合によっては理想主義者は

地に足が着いていない

などと言われ、一方で現実主義者は

夢がない

などと言われてしまったりする。実際には私たちは複雑な要素から成り立っているので、単純に「理想主義者」か「現実主義者」かに区分けできるわけではない。だが、私たちはそれぞれの人生を歩むなかで知らず知らずのうちに身に付けてきた「思考の癖」というものがあり、その意味で「理想主義的」か「現実主義的」かのどちらかの傾向が強いとは言ってもいいだろう。そして確かに、両者にはそれぞれの「弱点」がある。しかし、私たちがより喜び多い未来を創っていくためには、この両者ともが必要とされることは間違いない。未来を創るには、理想主義の「希望」と現実主義の「冷静さ」の両輪のどちらが欠けても、私たちは未来を創ることができなくなってしまうのである。

理想主義的なひとが現実主義的なひとと話すと、

まるで別世界のひとだ

と言われてしまうことがある。理想主義的なひとほど「在るべき姿」から発想する傾向が強いため、現実主義的なひとから見ると、

言いたいことはわかるけど、なにができるっていうんだ?

という想いに駆られてしまうのである。また逆に、理想主義的なひとは、自分の理想に対してあまりにも現実が追いついていないために、ときとして「義憤」に駆られやすく、「激情家」になってしまいかねないという弱点もある。

一方で、理想主義的なひとから現実主義的なひとを見ると、

なんてつまらないひとだ

と思えてしまうことがある。これは特に現代のように病んでいるひとが多いときにはより顕著になる。ひとびとが病んでいて、生きかたに悩んでいるからこそ、逆に理想に燃えるひとびとが現れてもくるのだが、現実主義的なひとであればあるほど、閉塞感の漂う時代に悲観的になり、結果的には

なにをやっても無駄だ

という諦念に陥りやすい。そうなると当然エネルギーも低くなる。本人から見るとそれは「自然なこと」なのだが、理想主義的なひとから見るとそれが「つまらなく」見えてしまうのである。

現状が悪いからって、そこで諦めていいのか?

というわけだ。

だがもし、世界に理想主義的なひとしかいなくなってしまったら世界は善くなるかというと、そんなことはない。理想主義的なひとはともすると、「未来の理想」に眼を向けるあまり、「現状の分析」を疎かにしてしまうことがある。どんなに進む方向が正しくても、

なぜ今こうなっているのか?

の分析が為されない限り、現状はなかなか変われない。また、理想主義の名のもとに現実から眼を背けているだけということもある。極端に言えば、

未来は善くなる

と日々言い続けているだけでは、現実が変わることはないのである。

かといって、逆に世界に理想主義的なひとしかいなくなってしまっても、世界は善くならない。

生きるってのはこんなものさ

などと悟ってみても、それ以上どうにもならない。むしろ、日々いっこうに善くなる気配がないことで、ますます諦めを深め、さらに気力を失くしてしまうかもしれない。そうなったら、そのときこそ完全に、希望は潰えてしまうのである。

だからこそ、私たちは理想主義の「希望」と現実主義の「冷静さ」の両方を大切にして、お互いの弱点を補い合いながら未来を創っていく必要がある。とはいえ、それが自分のなかだけで兼ね備えられるのは難しいし、そうなる必要もない。ただ、ときには自分とは違う見かたをするひとの意見を参考にしながら、改めて考えるようにすればいいのである。理想主義者が進む方向を指し示し、現実主義者が現状を冷静に分析して問題点を見つけていけば、いずれ確実に状況は好転していくだろう。

さて、ところでそういう私は理想主義者なのだろうか?それとも現実主義者なのだろうか?それが自分でも(「自分では」というべきだろうか)よくわからない。ただ、私たちは一般に幼少期は理想主義的で、歳を重ねるにつれて現実主義的になっていく傾向があるとは言えるかもしれない。それに、最初は理想主義的だったひとが、大きな挫折や失敗をきっかけに気力を失い、極端な現実主義者になったり、逆に最初は現実主義的だったひとが、ある時点で現状に嫌気が差すあまり、却って熱烈な理想主義者になることもある。だからこそひとは複雑で、一筋縄ではいかない。だがだからこそ面白くもある。私もこれまでには理想を追求して痛い目に遭ったことも数知れないし、逆にもうなにをやっても無意味だと諦めかけたことも何度もある。そして今では、

ひとりでできることには限りがある。だが多くのひとびとが力を合わせれば、必ずより善い未来が創れる

と信じる立場になっていると言える。これが理想主義的なのか、現実主義的なのかはよくわからない。ただこのような考えかたをもしあなたとも共有することができたなら、未来はきっと今より善いものになると、私は静かに確信しているのである。