タッチパッドが壊れ、初めて「マウス・キーボード」機能を知った日

つい先日のことである。私は以前からときどきやるように、パソコンを手入れしようとした。データのバックアップを取り、本体全体を軽く湿らせた布で拭き取り、その後乾拭きする。なんのことはない作業のはずだった。ところが、その後パソコンを起動して、私は愕然とした。カーソルが私の意図や操作とは関係なく、勝手に動き出す。私のタッチパッド操作に反応しないばかりか、そこらじゅうを動きまわり、勝手にクリックしたり引っかき回したりする。私は反射的にインターネット回線を遮断したが、一向に動きは止まらない。やはり、ネット回線を通じた遠隔操作などではないようだ。ついさっきまでは普通に動いていたのだから、急にこれほど深刻な挙動をするウイルスに感染したとも考えにくい。そうすると、残る可能性で最も高いのは、物理的な要因だ。私は悟った。先ほど湿った布で本体を拭いたとき、水分がいつもより多かったのかもしれない。タッチパッド内部に水が混入してしまったのだ……。

手慣れた作業だった。だから油断した。それが油断だとすら気付かなかった。だがこれは、明らかな私のミスである。完全に制御を失ったカーソルを見ながら、私はしばし途方に暮れた。しかしそのなかでも不幸中の幸いだったのは、どうやらキーボードや電源ボタン、画面といった、タッチパッド以外の箇所に異常は見られていないということだった。だから私はわずかな望みを掛けてパソコンを再起動した。しかし状況は好転しなかった。私は長期戦を覚悟し、本体を逆さにしてタオルを挟み、ドライヤーの微風で本体を乾かし続けた。このとき私が改めて痛感させられたのは、パソコンが現在の私にとっていかに必要なものであるかということである。パソコンがなければ、私には情報源がない。もちろん、このサイトも更新できない。さらには、知人との連絡手段さえ大幅に制限されてしまうことになる。だがもしこれが失われたら、パソコンの買い換え資金をどこから捻出すればいいのだろう?

しばらくして私はもういちど、パソコンの電源を入れた。すると状況はわずかに改善していた。起動して数分間は多少の「抵抗」がありながらも、なんとか私の意図に従わせることができたのである。しかししばらくすると、また制御不能に陥ってしまった。それからというもの、私は電源を切ってはしばらく乾かし、また電源を入れて様子を見ることを繰り返した。そして私は試行錯誤の末、

「外付けマウスが接続されているときはタッチパッドを無効にする」

という機能を有効化することができた。しかし私はできるだけ不要なものを持たないようにしているため、そもそも外付けのマウス自体を持っていなかったのだ。そこで私は電器店でマウスを購入し、それを接続してもういちどパソコンを起動した。するとなんとか、マウスを通じてカーソルを操作することができたのである。

その後改めて動作を確認してみたが、やはりタッチパッド以外には支障がないようだった。つまり、とりあえずこの外付けマウスで代用すれば、当面今まで通りの使用を続けられるということだ。私は心底胸をなで下ろした。しかし同時に、ある疑問が脳裏に浮かんだ。自力でマウスやタッチパッドを操作できないひとは、どうやってパソコンを遣っているのだろうか?

私もたとえば口に咥えたペンでパソコンを操作したり、音声によって文字入力を行ったりしているひとは何度か目にしたことがあった。だがそのどこまでが特殊な製品(ソフト)を必要とするもので、どこまでが一般向けのパソコンでも設定できる機能なのかについては、ほとんど真剣に考えたことがなかった。しかし今回身を以て痛い経験をしたことで、そういったことに少しは心を向けられるようになったのである。

そこで私なりに調べてみたところ、近年のパソコンにはそういった「ユニバーサル・アクセス」機能が徐々に標準搭載されるようになってきていて、私のパソコンにも、簡単な音声入力や音声読み上げなど、様々な機能が用意されていることを知った。さらに今回のようにマウスが遣えない状態になった場合には、キーボード操作によってそれを代用する「マウス・キーボード」(マウスキー)機能や「キーボード・リマップ」機能を遣えばいいのだということも、初めて知ることができたのである。

はっきり言ってこうしたことは今までの私にとって「他人事」であった。あえて無視していたわけではない。意識にすら上らなかったのである。だが今回自分がわずかながらの「痛み」を経験したことで、そういった境遇に想いを馳せることができ、他者に対する眼を開かされたのである。私は今回の過ちをまた繰り返したいとは思わない。だが今回のことがなければ得られなかった学びがあったこともまた事実だ。だからその意味では、よかったと言えるかもしれない。それになにより、たとえいずれまた同じことがあったとしても、今回ほど私は狼狽しないだろう。それは私が「乗り越えかた」を学んだからだ。

生きているなかで、挫折や失敗は避けられない。だがそれを乗り越えることができる。そしてその経験を、また誰かに伝え、共有することもできる。だとしたらそれは、結果的には喜びにもつなげられるのだと思う。今回のことはちっぽけなバカバカしい話だが、できればあなたには同じ轍を踏んでほしくない。しかし仮に同じ失敗をしてしまったとしても、必ずその問題は解決できる。それにこれはもちろん今回のことに限らず、どんな事態にも言えることだ。解決できない問題はない。そしてそこからあなたは必ず自分を成長させる学びを得られる。私はあなたにもそう信じてもらいたいと、心から願っているのである。