「本音などない」と言い切った師。「偽りの本音」に惑わされて大切なものを失わないでほしい

ずっと言おうと思っていたけどな、本当はお前のそういうところが大嫌いだったんだ!

ほんとはね、こんな生活にはうんざりしてたのよ!

私たちは誰しも多かれ少なかれ自分の想いを抑え込んで生きている。だが、それが限界を超えて外に出たとき、私たちはそれを

本音が爆発した

口が滑った

などと言う。ときにはそれが内に秘めた愛情であり、その突然の告白からふたりの関係は大きく変わった……というような好ましいものであることもないとは言えない。しかし、私たちが

つい本音を言ってしまった

という場合、そのほとんどは

言ってはならないことを言ってしまった

ということを意味している。つまり私たちは無意識に、

普段自分が表現している「建前」はいいものだが、その裏に秘められた「本音」は悪いものだ

と考えているということだ。だからこの考えかたの前提には、

誰しも現状には不満があり、それを隠している。そしてその言えない不満こそが、自分の本当の気持ちだ

という暗黙の共通認識があるとも言える。

しかし、こういった議論に対して、かつて師は私に

本音?そんなものはどこにもないんだよ

と言い切っていた。私は最初はその意味がわからなかったが、この世界や思考の仕組みを理解するにつれ、だんだんとその言葉に納得できるようになっていったのである。

先日私は

ここ1週間ほど、久しぶりに強烈な想念を受けている。それは決して好ましいものではない。たとえば 私なんて消えてしまったほうがいい ...

と書いたが、私たちに負の想念を送り込み、それを育てることを糧にして生きている負の霊団(「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」)が多用するのも、まさにこの

「本音を創り出す」

という手法なのである。たとえば彼らは、

お前のやっていることは、結局は自己満足なんだ。そうだろう?

お前はひとを愛しているんじゃない。ただ利用しているだけだ

お前はあいつを親友だと思っているが、お前は単にあいつを見下して、優越感に浸っているだけさ。自分の胸に訊いてみな

などと言ってくる。もちろんこれはあなたが霊媒体質であることを自覚しているかどうかには関係ない。誰かに語りかけられていると感じることはないにせよ、ふとした拍子にそうした想念があなたの思考に入り込んでくるのである。

しかしほとんどのひとはそうした事実を知らないし、知っていたとしてもそれが強力で執拗であればあるほど、そうした囁きは私たちの心を惑わし、強く揺り動かす。そしてこう思い込まされてしまうのだ。

あぁそうか、これが私の本音だったのだ

私の愛情は嘘だった。本当は相手を憎む気持ちを必死に抑えて、自分に思い込ませて取り繕っていただけだったんだ

今までやってきたことはまったく無駄だった。私は私の人生を、ただ棒に振っていたんだ

いったん感情のどつぼに嵌ってしまうと、私たちはこうした負の感情に支配され、それが自分の「本音」だと思い込んでしまう。だがそれは間違っている。私たちに「本音」などというものはない。あるのはただ、そのときそのときの「感情の選択」だけだ。同じものを同じひとが見ても、楽しく感じることもつまらなく感じることもできる。それはただ、あなたがそう選んだだけだ。だから言いかたを変えると、あなたが誰かを

好きだ

と思う気持ちも、

嫌いだ

と思う気持ちも、どちらもあなたの「本音」であり、逆に言うとどちらも「本音ではない」。だから結局、

「本音などどこにも存在しない」

のである。

もし鬱屈した不満が私たちの「本音」なのだというのが真実なら、それを爆発させれば私たちは晴れ晴れとした気持ちになれるはずだ。だが、実際にそれをしてみたら、きっとあなたはいずれ必ず後悔するだろう。たとえば恋人や親族、親しい友人に向かって、

あんたなんか大嫌い!死んでしまえ!

と「本音」をぶちまけたことを想像してみてほしい。もしかしたらしばらくはせいせいとするかもしれない。

ついに言ってやった

と。だが、ときが経てばそれは必ず後悔に変わる。そしてそのときには、もう以前の関係には戻れないかもしれない。そのときあなたはやっと気付くのだ。

いっときの気の迷いで、大変なことをしてしまった

ということに。

確かに、私たちには「好き嫌い」や「向き不向き」というものがあり、「喜び」のかたちもそれぞれ違う。だから、自分にとって苦しい環境にいつまでも身を置く必要はないし、自分と合わないひとと一緒にい続ける必要もない。それに、その「喜び」のかたちは日々変わっていくこともあるだろう。だが、だからといって今満足している環境の不満を無理やり探したり、とても大切なひとの小さな粗探しに力を注いだりして、自分の心に疑いを持つ必要はまったくないのである。変わりたい気持ちが強くなれば、それは自然と表に出てくる。そうしたらそのときに、じっくり自分と向き合って考えればいい。そして軌道修正を繰り返しながら、少しずつ喜びを大きくしていけばいいのである。

「本当は不満がある」

ということを無意識に前提に置き、そこを狙われて「偽りの本音」を爆発させ、大切なものを失わないでほしい。不満はぶつけるものではなく改善するものである。私たちはお互いを責め合うためではなく話し合うためにいるのである。そのことを決して忘れないでほしい。そうすればあなたは余計な「雑音」に惑わされず、穏やかに暮らせるようになるだろう。私は自分もそうなりたいし、あなたにもそのようにいてほしいと、心から願っているのである。

コメント

  1. なすび より:

    なすびです。遅くなりましたけど、明けましておめでとうございます!
    今年も末永く宜しくお願いします。
    ありがとうございます。この話は読んでいてとても救われました。
    私は飲み会があまり好きではないのですが、付き合いで仕方なく参加することがあります。
    飲み会の、”お酒を飲ませてあいつの本音を探ってやろう”というような雰囲気が嫌いでした。
    と同時に、自分にも”本音”というものがあるのだろうか?自分の本性は黒いものなのだろうか?と思っていました。
    でも一方で、何となく本音なんてないんじゃない?とも思っていました。
    その2つの考えの中で揺れていました。
    この記事を読んで、私の感覚は正しかったと自信を持てました。

    今年から病院での実習もはじまり、いよいよ”大人の世界”の中に入っていきます。
    不安もありますが、それが私は結構楽しみに思っています。
    一番心配なのは、1日7時間は眠れるかな?ということと、朝の時間にヨガする時間があるかな?ということですね笑

    ぐだぐだになりましたが、今年があなた様にとってよい1年であることを願っていますよ!

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですか、私が発信したことが、あなたの力になれたなら、とても嬉しいです。

      あなたご自身もおっしゃっているように、あなたにもますますいろいろなことがありそうですが、なんだか以前より少なからずあなたが元気になったように見えて、とてもよかったなぁと思います。

      そして年初から、私にもあたたかい励ましをくださって、本当にありがとうございます。

      こちらこそ今後とも、どうぞ末永くよろしくお願いします。

  2. リヨン より:

    誰しも本音を探ろうと(自分であれ他人であれ)心理戦を毎日繰り広げてます。だけど、本音など無いとすれば、ただただ現状を見極め今置かれている現実に向き合うしかないと気づきます。

    そこに気付いたならば他人の心は計り得ないのでただひたすら自分が幸せになる道、幸せだと思える現実を追い求める事が大切なのではないでしょうか。

    私もまだまだ幸せだとは言い切れませんが、少しずつ歩いているとこです。

    今年もよろしくお願いします!

    お身体、御自愛くださいね。

    • Dilettante より:

      リヨンさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ええ、私も日々現状のなかで悪戦苦闘している最中ではありますが、そのなかでなんとか未来を紡ぎ出したいと思っています。

      あなたも決して無理はなさらず、ゆっくりと進んでいってくださいね。

      あなたの行く先に、少しでも多くのしあわせがありますことを、今年もこれからも、心から願っています。