自己暗示の功罪。あなたの真の願いはなんなのか、真剣に見つめ直してみてほしい

「想い」(想念・思念)には大きな力がある。それは「想念界」とも呼ばれる霊界においてだけでなく、私たちの世界でも言えることである。

しあわせになりたい そう思ったからといってすぐしあわせになれるとは限らない。しかし、「しあわせになりたいと思わなければしあわせにはなれ...

私も最近久しぶりに強烈な想念の大波を受けているので、それを改めて再認識しているのだが、

ここ1週間ほど、久しぶりに強烈な想念を受けている。それは決して好ましいものではない。たとえば 私なんて消えてしまったほうがいい ...

たとえば、想念の影響を特に強く受けやすいこどもたちに、周囲の大人(特に家族や保護者)が

お前はバカだ!

なんでそんなこともできないんだ!

などといった否定的な言葉を投げかけ続けていれば、そのこどもの発育や成長、人格形成に深刻な悪影響が出てくることはほとんど確実だ。周囲に「刷り込まれた」想念の影響は、後々になっても本人を縛ってしまうほど強力なもので、それが「無意識」の領域に入り込んで「トラウマ」になってしまうと、本人にも自覚すらないまま、自分の人生に大きな影響を与え続けるのである。

しかし、想いはひとを苦しめることもできるが、喜ばせることもできる。否定的な想いがひとを弱くし、苦しめるというなら、逆に肯定的な想いを抱けば、その力で自分の人生を好転させることもできるのではないだろうか?そんな発想から生まれたひとつの手法が「自己暗示」(自己宣言・アファメーション)である。近年ではそれをさらに突き詰めた「引き寄せの法則」といったものがひとびとの関心を集め、「思考の現実化」に躍起になるひとびとを生み出しもした。

確かに、想いが力を持つことは事実だ。そして、それを活かすことができれば、自分の人生をより喜びあるものに変えられるのではないかという発想も間違ってはいない。だが、だからといって安直に「自己暗示」や「引き寄せの法則」といったものに走ってしまうと、より大切なものを見失ってしまう危険がある。強力なものだからこそ、それを遣うときにはそれなりの注意と覚悟が、必要なのである。

多くの場合、現代における「自己暗示」は「欲望達成」のために用いられると言っていい。だからたとえば現在無収入のひとに対して、「自分は大企業の正社員になって、手取り30万円の給料をもらえるようになる」などと日々暗示をかけるように勧めたりする。そればかりか、今現在手取り30万円の給料をもらっているひとに対して、

俺は月100万円稼ぐ敏腕営業マンになる!

などと暗示をかけることを勧め、

強く願えば、必ず叶いますよ

などと言うひとすらいるのである。

しかし、実際にやってみればわかるが、自分の現状と願いがかけ離れていればいるほど、それを強く信じることは難しい。だから、たとえ数回は続いたとしてもすぐに諦めてしまうひとも多い。すると別の立場のひとがそれを指して、

心に抵抗が生じるような願いは引き寄せられない

などと「引き寄せ原理主義者」を批判する。だがそうすると、

「心に抵抗があるというのはまだ想いが弱いからです。その抵抗を無くするためにこそ、日々熱心に言い聴かせるべきなのです」

などといった反論が出てきて、ますます議論は紛糾する。さらにそこから、

過去完了形で願い、先に感謝しなさい(「私は富豪になりました。ありがとうございます」

「現在進行系で願いなさい」(「私は富豪になりつつある」)

といったような数々の派生形が生まれた。なかには

結果が出る前に日記をつけなさい(「今日、晴れて第1志望校に合格できた!嬉しい!」)

といったものまである。

だが、少し冷静になれば明らかなように、私たちの願いはそう簡単には叶わない。世界はひとりの思惑だけで動いているわけではないからだ。限定100枚しかないチケットを1万人が購入しようとして、その全員がどんなに強い願いを掛けてみても、手に入れられるのは100人だけである。だからこそ、その結果を「運不運」と言ったり「運命」と言ってみたりするのだが、それは私たちがひとりで支配できるほど小さなものではないのである。それを他者の想いを無視して自分の好きなようにできると思うのは、まったく傲慢なのだ。

「想いの力」などとひと口に言ってみても、それは一部の方々が言うほど甘いものではない。しかし、想いが力を持つのはやはり事実だ。では結局私の言いたいことはなんなのか?それは

「なにかを願って、それが思ったように実現しなくても、それでもなお棄てられない願いだけが、真の願いである」

ということなのである。

月30万円の給料をもらっているひとが月100万円の給料を得られるひとになろうとしても叶わないのは、それが「真の願い」ではないからだ。それに仮にそんなものを得たとしても、彼が堕落の誘惑に駆られ、より不幸になることは目に見えている。それに彼も真剣にそれを願っているわけではないのだから、それに向かって大した努力をすることもないだろう。だが、もし彼にどうしても100万円が必要な事情があるなら、たとえすぐには叶わなくても、必ずそれを実現させようとするだろう。

「その実現のためにいのちを懸けて必死になれること」

が真の願いなのである。

真の願いだからといって必ず叶うとは限らない。だが「真の願いでないものはほとんど叶わないし、叶ってもむしろ不幸になる」ということだけは間違いない。そして、真の願いとは、誰かに叶えてもらうものではなく「自分で叶えるもの」なのだ。他者ができるのはあくまでも「手助け」だけである。「主体」を持っているのは自分自身だけなのだ。

いつも「真の願い」とともにあるものは高いエネルギーを身に纏っている。そして彼らはみな、心の奥底では自分の願いが実現することを確信しているのだ。だから、彼らにとってそれはもはや「願い」ではない。「願いは忘れたときに叶う」というのはこういう意味でもある。それは彼らの「欲望」ではなく「役割」なのだ。そして私たちは誰でも、自分の「役割」は必ず果たせるのである。それこそが「運命」だからだ。それは、自分が果たしたいと思ったものであり、自分が生まれる前に選んできたものでもあるのである。

だからその意味では、やはり「想いの力」はなにより強力なものなのである。だが私が「自己暗示」や「引き寄せの法則」の安直な利用に気が進まないのは、それが「真の願い」への眼を曇らせる危険性を持っているからだ。カネでも出世でも名誉でもいいが、それは本当に「あなたの」願いなのだろうか?「月100万円」を求めるならそれでもいいが、その金額の根拠はどこにあるのだろう? れが言えないなら、それは今のあなたには必要のないものなのだ。誰がなにを求めていようが関係ない。あなたはあなたの真の願いを見つけ、それを実現させることだけに集中すればいい。それができれば、霊存在でも宇宙でも、向こうから力を貸してくれるようになるだろう。暗示の結果生まれたものなど幻のようなものだ。あなたの真の願いはいつも、あなたのなかに、あるものなのである。