「だったらなんだって言うの?」。射幸心や劣等感に、自分を狂わされないでほしい

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私たちの身の回りにはいつもこんな言葉があふれている。資本主義体制を維持するためには、私たちは常に「消費者」であることを求められる。

「需要と供給」は経済の基礎原理だと考えられている。この「需要」は「必要性」(ニーズ)と言い換えてもいい。ひとびとが求めるものがあり、それを供...

そこで私たちにより活発な「消費活動」を採らせるために利用されるのが、「射幸心」や「劣等感」、あるいは「恐怖心」である。

これは私自身が今現在も身を以て体験していることからも明らかなのだが、

ここ1週間ほど、久しぶりに強烈な想念を受けている。それは決して好ましいものではない。たとえば 私なんて消えてしまったほうがいい ...

負の霊団(「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」)と呼ばれるように、他者の負の念を糧に生きることを選択した霊存在も、よくこのような手法を用いて相手の想念を乱してくる。たとえば、

あいつはあんなにしあわせそうなのに、お前は惨めだなぁ?

お前ももう長くはないな。こうして生きていられるのもいつまでか……

などというように、ありとあらゆる角度から仕掛けてくるのである。これは広告でもなんでもそうだが、たとえ99%効果がなくても、残りの1%が食い付いてきてくれるだけで元が取れるということがある。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たる

ということだ。それに護るほうは考えられるすべての攻撃に全方位的に備えなければいけないのに対し、攻めるほうは相手の弱点をたったひとつでも見つければ、そこに1点集中することで防備を突破することができる。これは厄介だが明白な事実である。だから私たちも、ほとんどは問題なくあしらうことができるようなことでも、それを執拗に聞かせ続けられると、なにかのきっかけで心が弱ったときには、その言葉につい心が揺らいでしまうのである。

だが私たちが真に喜びの多い人生を歩もうと思うなら、こうした自分の弱さも受け入れたうえで、それでもなお毅然として、自分の主体的な選択のもとで人生を創っていくことが必要になる。それが霊の声であれ企業の宣伝であれ近所の井戸端話であれ、誰かの想いに引きづられて自分も病んでいくという悪循環はどこかで断ち切らなければいけないのだ。だが、それには強い覚悟がいるだけでなく、相手が巧妙であればあるほど、その対処はそう簡単なことではない。だから私も日々それについて考えているのだが、自分の心がかき乱され、病みに引きずり込まれそうになったとき、自分の主体と軸を取り戻すために、今の私が見つけたひとつの答えが、

だったらなんだって言うの?

という言葉なのである。

たとえば霊存在から、

最近はなんか嫌なことばかり続いているなぁ。お前もそろそろ終わりだな

などと言われて、

そんなことはない!

と感情的に否定しても、相手の術中から逃れられない。なぜならその感情的な否定の裏には、自分でも否定しきれない不安の種が、確かに存在するからである。そこを見抜かれている限り、相手はさらに執拗に畳みかけ、あなたを追い込もうとするだろう。

今日がお前の命日かもな?

などと言われて

そんなことはない!

と否定してみても、私は

「私もいつか死ぬ」

という事実を否定することはできない。それなら、それが今日でないという絶対的な確証を持つこともできるはずがない。だからもし私が死に対する恐怖心を抱いているなら、そこと向かい合わない限り、相手に打ち克つことはできないのである。それに考えてみれば、今日が自分の命日となることを過度に恐れるということは、実際に今日亡くなった人々に対して失礼ではないだろうか? 死は決して罰ではない。今日亡くなったひとが今生きている私より劣っているわけでは断じてないし、病気に罹ったり事故に遭ったりするのを単純な「前世の報い」などと解釈するのは誤りである。私に言えるのは、

生きていられるのに自ら死ぬべきではない

ということと、

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

死を過度に恐れる必要はない(霊には霊としての喜びや役割がある)

今この世に生きている私たちのほとんどが苦しみに呑まれ、そのなかでもがいていることは、霊であれ肉体人であれ、少し周りを見渡してみて、自分の心を...

ということだ。私は個人的にはまだこちらの世界でやりたいことがあるので、今すぐ死にたいとは思っていないが、もし霊になったらそのときはそのときでやりたいことがあるし、その死は誰の力でも呪いでもなく、ただの「寿命」であることを知っている。そこまでわかって覚悟が決まっていれば、私は相手に

だったらなんだって言うの?

ということができるのである。

これは霊に対してだけでなく、あらゆる場面にも応用することができる。たとえば

通常は1万円のこちらの商品が、限定特価で5千円ですよ!

と言われても、

だったらなんだって言うの?

と冷静に考えてみればいい。私がなにかを欲しいのは、それが安いからでも、割引率が大きいからでもなく、それが私に必要だからだ。だからたとえ10万円のパソコンでも私には必要だし、高級和牛が9割引きで売られていても私には必要がない。確かに資本主義社会のなかでは、必要なものをより安く手に入れられたほうがいいかもしれないが、より根本的にはそのものに「価値」を付けるのは自分自身以外にはいないのである。

他者の価値観はあくまでも他者のものなのだが、私たちはともすると普段からあまりにも周りに影響を受け過ぎてしまう。だから、自分自身を見失いそうになったときはいちど自分に

だったらなんだって言うの?

と問いかけてみてほしい。これは不要なものを手放すだけでなく、自分にとって本当に必要なものを見極めるのにも役立つ。なぜならあなたがどうしても手放せないものこそが、あなたにとって大切なものであり、あなたの喜びの源泉だからである。他者から見れば完璧にも思える人生でも、実は本人は満足していないという事例も、あるいは逆の場合も私はたくさん見てきた。だからこそ、周りがどんなに射幸心や劣等感や恐怖を煽ってきたとしても、私はあなたにあなたの人生を生きてほしいと、心から願っているのである。