先日ネット上で気になる言葉を見つけた。調べてみるとそれは加藤諦三というひとの言葉であることがわかった。彼の公式ホームページも見てみたところ、彼は長らく心理学、精神衛生学、哲学を研究し、現在は日本精神衛生学会の顧問も務めながら、作家としても活動しているという。
世に「名言」や「格言」と呼ばれるものはたくさんあるし、それを追っているだけではなんにもならないのも確かだが、彼の言葉は私も深く共感するものであったし、この『闇の向こう側』全体の主題にも関連するものだったので、いちどあなたにも紹介しておきたいと思う。
その言葉というのがこれだ。
今まで十分に辛い思いはした。今まで十分に恐れた。今まで十分にふるえた。今まで十分に怖じ気づいた。今まで十分にいじけた。
拒否されることを恐れるだけ恐れて、歓迎される自分を味わうことなしに死んでいくことはないではないか。
今まで十分に眠れぬ夜は過ごした。
もうぐっすり眠れる夜を持っていいではないか。
今まで、よい人と言われるために、十分に他人の期待することだけしてきた。
今まで十分に、従順に生きてきた。そして何の報酬もなかった。
それは、けっして勝つことのないゲームに参加しているようなものだった。
他人の期待に従うことだけを目標に生きてきて、それでいつも拒否されることに怯えている。
けっして勝つことのないゲーム、そしてつねに自分を評価し判断する世界。
人びとはいつでも自分を評価しようとしている。 そんななかで十分に自意識過剰になり、十分に苦しんだ。
他人に十分に支配されてきた。
つねに自分を低く評価しようとしている人とは、十分につきあった。
可愛がってもらいたくて、十分に静かに生きてきた。
可愛がってもらいたくて、自分の意向は十分に捨ててきた。
そしてその結果として得たものは何であったか。
そう、それは神経症であった。
それが古い台本に従って生きてきたあなたの結末ではないか。
それでもなお、あなたは古い台本に従って生きようというのか。 新しい台本に従って、熱い人生を生きてみようとは思わないだろうか。
生きようと思えば生きられるのだ。
私は彼との面識もないし、彼についてまだ少し知っただけに過ぎないのだから、ここに余計な解釈を付け加えることはしない。ただ、あなたにもなにかを感じ、元気を出してもらえたら、とても嬉しく思う。

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こんばんは。なすびです。過去の記事なので、あなたの気持ちも変わってしまっているかもしれませんが、コメントさせて下さい。
あなたも加藤諦三さんに出逢っていたんですね。そのことを考えると、やはり私とあなたの出逢いも必然なのではないかと感じてしまいます。
私も古本屋で初めて彼の本を手に取ったとき、衝撃を受けたのを覚えています。
当時は、自分が何に悩んでいるのかも分からず、親や学校の先生、カウンセラーの助言も心に響かず、自分がどこに進んでいるのか、これからどこへ進んで良いのか、自分はおかしいのではないかと思っていたのですが、彼の本は心にすっと入ってきたんですよね。自分の苦しみを分かってくれる人が自分以外にいると思えることがどれだけ救いになったことか。
私の愛読書”シルバーバーチの霊訓”で特に気に入っている箇所があります。シェアさせて下さい。ぜひ、一語一句を吟味しながら読んで欲しいです。
なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですか、あなたも加藤さんに大きな影響を受けていたのですね。
またあなたは今までもよくシルバー・バーチの霊訓についてお話しされていますが、それも私の考えと基本的に一致している部分が多いと感じています。ただ一点だけ付け加えるなら、
「世界には『神の計画』以外にもいろいろな存在の『計画』が同時に存在し、それぞれがその実現に向けて進んでいる」
ということでしょうか。しかしそれも最終的には、
「愛と理解を拡げ深める」
といういわゆる「神の計画」に、包摂されることになると言えるのかもしれません。
とはいえ、そういったことをいったんは認めたうえで、それでも私は私の意志に基づき、私の計画を練り、私の人生を、実践してみたいと思います。
そこに私は私自身の「情熱」を、いつも自覚するからです。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。