たとえ富士山が噴火したとしても、それでこの世が終わるわけではない

天変地異が頻発したりいろいろな病が蔓延したりと、私たちを取り巻く環境は日々刻々と激変しているように見える。ただでさえ多くのひとが不安のなかで生きているところにこのようなことが起きると、なおさらひとびとの病みは深くなってしまう。ただここでさらに問題なのは、このようにひとびとの不安が高まると、必ずと言っていいほどそれを「この世の終わり」だとか「次元上昇」(アセンション)などと結び付け、

古い地球は崩壊し、選ばれたひとびとは新しい地球(星・宇宙……)で生きるようになる

などと言うようなひとまで出てくる。あるいは、

これで富士山が噴火でもしたなら、そのときこそ私たちの世界は終わりだ

などと言うひともいる。

だが、たとえ富士山が噴火しようが、奇病が蔓延しようが、世界大戦が起きようが、それでこの世が終わるわけではない。つまり私がここではっきり言っておきたいことは、人類の破滅は運命づけられたものではないし、現在私たちが住んでいるこの地球を棄てて、「選ばれたひとびと」が新天地に行ったとしても、それですべてがうまく行くということは、まずあり得ないということなのである。

たとえば富士山にしても、この山は過去に何度も噴火してきたことが知られている。江戸時代には、「宝永地震」として知られるマグニチュード8クラスの大地震の49日後に、「宝永大噴火」と呼ばれる大噴火を引き起こしている。年の瀬に立て続けに起きたこの大地震と大噴火に、「この世の終わり」を予感したひとびともいたかもしれない。だが、そのような大きな被害をも乗り越えて、いのちは受け継がれ、今に至るまでこの世は存続してきた。

また私たちは過去わずか100年ほどの間に、2度も世界大戦を経験し、核兵器まで使用することとなった。さらにその後の冷戦においても、幾度となく危機的な状況に陥りながらも、私たちはなんとか最終的な破滅を避けてきた。いずれもその渦中にいるときは、

これで世界が終わるかもしれない

と思うような事態だったと言っても過言ではないと思う。しかし私たちは、その度に大きな被害を経験し、自省を促されながらも、なんとか今日まで生きてきたのである。

私たちは今までに何度もギリギリのところまで追い込まれてきたし、これからも地震や噴火、あるいは食糧難など、様々な事態が引き起こされるかもしれない。世界的な力を持つひとが亡くなったり、大国の力が失われたり、資本主義経済が崩壊することもあるだろう。だが、だからといってそれで「この世が終わる」というわけではないのだ。言ってしまえば、たとえ人類が滅びようが、「世界」は継続していくものなのである。

「古い地球」は崩壊して、「清らかなひとびと」だけが新しい環境で真に調和した世界を創る

◯◯◯◯年◯月◯日にこの世は終わる。そして次元上昇した新しい世界が始まる

などと言うひともいるが、私としてはまったく賛同できない。宇宙のなかでこれほど美しい地球をここまで汚染した私たちが、すべてをリセットして新しい環境に行ったからといってどうなるというのだろう?結局また数万年かけて同じことを繰り返してしまうのではないだろうか?

また、「人類はもう終わりだ。もうここまできたら滅びるしかない。いずれ<神>がすべてを終わらせるだろう」などと言うひともいるが、私たちが滅びることが決定しているのなら、究極的にはなにをしても無意味だということになってしまう。だが未来は決まっていないし、現在の選択によって変化するものなのだから、今ここですべてを諦めるのは早すぎる。というより、私たちがそのような無気力と諦念に支配されたときにこそ、私たちは本当に破滅の運命を歩み出してしまうのである。

私たちの生活や環境は日々確実に変化している。私もたった1年前ですら、現在の状況を予測できなかったほどである。これからも様々な「驚くべきこと」が私たちを待ち受けていることだろう。それはときに苦しみであるかもしれないし、ときには喜びであるかもしれない。しかしひとつだけはっきりしていることは、私たちが今悩んでいる原因のほとんどは、私たち人類が創り出してきたものによるものだということだ。だから、その根本にある私たちの精神が変わらない限り、どんな「新天地」に行っても、誰が先頭に立っても、私たちの問題が解決することは決してないのである。

社会が変化し動乱が深まれば深まるほど、いろいろなひとがいろいろなことを言うようになる。もちろん私もそのひとりだ。そしてこの世界が変化するとき、必ず霊界も変化することになる。だがこの先なにが起きても、誰がなにを言おうとも、最も基本的な原理原則だけはしっかりと心に刻み込んでいてほしい。

私たちは今ここで、肉体を持って生きている。その意味で誰もが「特別な存在」であるとともに、誰に対しても「優劣の関係」はない。そして私たちが生きているのは「この地球」であり、未来はここから始まる。私たちが滅びるか存続しているかも含め、運命はただひとつに定まってはいないし、たとえ滅びたとしても、それは「誰かのせい」では決してない。それに、たとえ人類が滅びても、私たちが消えてなくなるわけではない。なぜなら「魂」は生き続け、また霊界でそれぞれの役割を果たすようになるからだ。

こうしたことをひとつひとつ整理していけば、少なくとも無気力になることは避けられるのではないかと思う。私も日々悩みながら生きている。だがだからこそ、あなたにも元気を失わないでいてほしいのだ。おせっかいに思うかもしれないが、同じ時代に生きる存在として、それが私の心からの願いなのである。