「輪廻転生」という表現よりも、「旋廻転生」のほうが、より私の感覚に合っていることに気づいた

「輪廻転生」(生まれ変わり)については様々な議論があり、いわゆる「精神世界」に関心が深い方々の間でもしばしば意見が対立するのだが、私は一貫してこれを肯定する立場にいる。ただ私はこの現象を考えるにあたって、自分のなかでもわずかな違和感を抱いていて、その理由を自覚できずにいたのだが、やっとその答えにたどり着くことができた気がした。つまり、私はこの「輪廻転生」という表現ではなく、

「旋廻転生」

とでも言ったほうが、より自分の感覚に合っていることに気づいたのである。

というのも、

「生まれ変わりがある」

ということを受け入れると、なかには

じゃあ、なにをやってもいいんだな!

というように、人生を「いくらでもリセット可能」なものとして、自分の欲望を充たすことだけに専心しようとするような考えに至るひとが出てくることがある。だが、「生まれ変わりがある」ことが事実であっても、やはり「人生はいちどきり」なのである。これを私は今までにも何度となく、

生まれ変わったあとの<あなた>は今の「あなた」とまったく同じではないのだから、同じ人生は2度とないんですよ

というように書いてきたのだが、この概念をよりわかりやすく伝えるためには、「輪廻転生」という表現よりも

「旋廻転生」

とでも言ったほうが、私にはしっくりくるということに気がついたのである。つまり、生まれ変わりは「輪」のように、巡り巡っていずれまた同じところに戻るようなものではなく、「螺旋」のように、同じ位置にいるように思えても、実はそれはもともといた場所とは「1段違う」場所にいるというものなのである。

だから、輪廻転生のことを「生まれ『変わり』」というように、生まれ変わりはそこに大きな「変化」を含んでいるものなのだ。そして生まれ変わりは「死に変わり」とも言える。なぜなら肉体人として「この世に生まれる」ことは、同時に霊存在として「あの世で死ぬ」ことであり、逆にこの世で死んで「肉体を離れる」ことは、あの世においては霊存在としての「新たな誕生」を意味するからである。だからこそ、霊存在のなかには生まれ変わりを過度に怖がるひとびとがいる。これは私たち肉体人のなかに「死」に対する恐怖心を持つひとびとがいることと、まったく鏡写しの関係にあるとも言えるのである。

死を過度に恐れる肉体人と、生まれ変わりを頑強に拒む霊存在は、表裏一体の関係にある
あなたは、死ぬのが怖いだろうか?もし怖いとしたら、その理由はなんだろう?現代人の多くは「若さ」と「高い能力」を追い求め、その逆の「老い」や「病」を忌避している。そうするとそのひとつの究極点にあるのが「死」であり、昔から「不老不死」を願うひと...

こうしたことを踏まえて考えてみると、生まれ変わり、今回私が造った言葉で言えば旋廻転生というのは、私たちが無限に体験を重ね、成長していくための仕組みであり、決して過ぎたことをなかったことにしたり、同じことを漫然と繰り返すためにあるものではないとわかる。だからこそ、私たちのそれぞれの人生は、ひとつひとつがかけがえのないものであると言えるのだ。しかし同時に、これはどんな失敗も次に生かせるということでもあり、ひとつひとつの生だけで自分を

出来が悪い

不幸だ

などと思う必要はないということも意味している。これを深く理解したひとほど、きっと人生を真に謳歌することができるのだろうと思う。

 

私も今まで様々な失敗を重ねてきた。もしかしたら前世でも似たようなことをしたことがあったのかもしれないし、未来においても私はずっと完璧な存在にはなれそうもない。だが、私は今になってようやく少しずつ人生の楽しさがわかり始めてきたし、この人生が終わってもいずれきっとまた生まれ変わるだろうと思う。ただひとつ間違いのないことは、

そのときの「私」はこの文章を同じように書き、同じ「あなた」に読んでもらうことはできない

ということだ。だから、この人生がいつまで続くにせよ、私はともかく、今の私が今できることをやっていきたいと思う。それが今のあなただけでなく、未来のあなたにも少しでも役立てられるなら、それはきっと、現在だけでなく過去や未来の私にとってもこの上ない喜びであることに、間違いはないのだから。

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