「この世界が3次元から5次元に上昇する」という表現に対する、私が納得できる解釈

「アセンション」とか「次元上昇」という言葉が巷で最も騒がれたのは2012年だったと思う。私がこの『闇の向こう側』を開設したのもちょうどその年の1月だった。最も先鋭的な「アセンション論者」の方々から見ると、その年はちょうど「世界の終わりの年」だったわけなのだが、結果的にそうはならなかったし、私にもそうならない確信があった。それに当時からこの「アセンション論」についてはあまりにも混乱した状況があって、あるひとびとはアセンションを「世界の終わり」(人類滅亡)と同義に見なし、またあるひとびとは私たちの肉体がある日を境に急激に変化し、「ライトボディ化」するなどと言っていた。つまり、「アセンション」(次元上昇)がなにを意味するかについての共通認識が、そもそも定まっていなかったのである。

そんななかで私はアセンションを端的に「霊界の地上映し」だと書き、

これから起こることは「霊界」と『肉体界」がお互いをより強く意識できるようになり、それぞれの存在が自分の喜びを追求しやすい世になることです

と言った。

「次元上昇」や「アセンション」という言葉はあちこちで飛び交っている。いまや雑誌の特集やテレビ番組などでも面白おかしく取り上げられたりしている...

そして同時に、「3次元」とか「5次元」あるいは

あなたは特に優れた存在なので、37次元存在になりました!

などと言うような「数字遊び」に囚われて、私たちがもともと「多重次元存在」であるという本質を見失わないでほしいとも書いた。

「アセンション」とか「次元上昇」とかいうような言葉を見かけるようになって久しい。2012年12月22日(21日)の話はメディアによって流布さ...

基本的にこの考えかたは今でも変わっていないのだが、先日「輪廻転生」より自分の実感に則した「旋廻転生」という概念に行き着いたとき、

「輪廻転生」(生まれ変わり)については様々な議論があり、いわゆる「精神世界」に関心が深い方々の間でもしばしば意見が対立するのだが、私は一貫し...

改めてこの「次元論」についても考えてみた。すると多くのひとが(混乱しながら)言う「3次元から5次元に上昇する」ということに対する私なりに納得できる解釈が、自分のなかでやっと、見つかってきたのである。

そもそもこの「次元論」というのは、現在の私たちの世界を「3次元」として基点にし、そこから思考を展開したものである。そして

私たちは自分より低次の存在しか認識できない

という仮定に基づき、霊存在(霊界)を「4次元」と見なす。だから現在の私たちは、霊存在を認識できないというのである。だが逆に、霊存在は私たち「3次元存在」よりも「高次の存在」であるので、私たちが平面上(2次元)の漫画の登場人物を創造し、彼らの運命を左右できるように、霊存在は私たちを「操作し、支配する」ことができているというのだ。ちなみにここである種の「宇宙人」(他星人)もこの「4次元存在」に含めて考えられることがある。

しかしこのような状況に対して、「4次元存在」よりもさらに高次の存在、たとえば<神>が人類を含む3次元存在のなかで「選ばれた存在」を救い出し、もともとの「支配者」であった存在よりも上の、「5次元存在」に引き上げ、より<神>の真意に則した、「神世」を創造する……。もちろんここから様々な亜流は生まれているものの、大まかに言えばこれが現在の「アセンション論」(次元上昇論)の骨子だと言ってもいいと思う。ひとまずこれを踏まえたうえで、ここからは私なりの見解を書いていきたい。

まず、「4次元存在」(霊存在、宇宙人……)が私たちを支配しているという概念だが、これはある意味では確かに正しい。なぜなら彼らは私たちの「思考」に自分たちの想念を流し込むことによって、私たちに確実に関与しているからである。だが、だからといって私たちが彼らに「支配される」筋合いはまったくない。あくまでも自分の人生の「主体」は自分自身が持っているのである。それに、私たちが彼らを認識できないのは、彼らが私たちより「高次の存在だから」ではなく、単に私たちが

「他の次元の存在と交流する能力を封じた、あるいは封じさせられたから」

なのである。

ただ、これをまた違った目線から見ると、自分たちよりも「低次の存在」というのは、言い換えれば自分たちの「過去」であるとも言える。私たちが最初にいのちを宿す「受精卵」は「針の穴程度の大きさ」と言われている。これはほとんど点、つまり「1次元存在」だと言ってもいいだろう。そこから私たちは「平面的存在」(2次元存在)の段階を経て、「3次元存在」として生きるようになる。だから、その意味で私たちにとって、

「1次元存在」や「2次元存在」というのは、「自分たちの過去」なのです

と言うこともできるのである。

ということは逆に、自分たちより「高次の存在」というのは「自分たちの未来」だということになる。そしてそう考えると、

霊存在は私たちより「高次の存在」だ

というのは正しい。なぜなら、私たちが肉体を離れたら、確実に霊存在になる未来が待っているからである。

だがここでさらに踏み込んで考えてみると、霊存在は確かに私たちの「未来」でもあるのだが、同時に私たちの「過去」でもある。なぜなら、霊存在は霊界での生活を終えると、今度はこちらの世界に、また生まれ変わってくるのだから。

つまり、こうした関係性を理解すると、「3次元」と「4次元」というのは、本来ほとんど分け隔てのないほど近い世界だということがわかる。そして理解されると私たちは、もっと自然に霊存在と交流できるようになるだろう。ここで、

「私たちは自分より低次の存在しか認識できない」

という仮定と、

「霊存在(霊界)を『4次元』と見なす」

という仮定を前提とすると、この時点で私たちは、「5次元存在」になったということができると言える。つまり、この意味での「アセンション論」(次元上昇論)はおそらく正しいし、私にも感覚的に納得できるのである。しかし、このとき私たちは「3次元存在でなくなる」わけではない。ただ、

「3次元存在でありながら5次元存在であることに気付く」

ということだ。これが「多重次元存在」という表現の意味である。そして、

霊存在は私たちの過去であり未来である」

ことを理解したとき、過去と未来はそこにおいて融け合い、3次元と4次元が融和するのである。このような「神」(はたらき)が理解されている世界、それこそが「神世」であり、そこにはきっと今よりも喜びの大きな世界が、拡がっていることだろう。それにこれが真意だと言うのなら、一部のひとが言う、

霊界が消滅する

というのも、

世界が統合される

というのも、確かに腑に落ちるのだ。

だがいずれにしても、現在の「スピリチュアル」を巡る言説は、定義も立場も、あまりに混乱している。それに、移り変わりも激しすぎる。2012年当時ネット上で多くの方々に影響を与えていたひとが、今ではどこかにいなくなってしまった、などという例も数知れない。これでは、いつまで経ってもこの世界は不信と懐疑の眼から逃れられないだろう。

しかし、他者のことを私がどんなに言ったところでどうしようもないのだから、私は私の立場から、私の想いを私のペースで書いていくしかない。世界はある日突然誰かが変えてくれるものでは決してないのだから、自分の生きたい世界を実現したいなら、微力でも自分で行動を続けるしかないのである。しかしきっとその結果は、いつかどこかで現れてくるだろう。そうやって自らの喜びを高め、他者を思いやれる存在になること、それこそが真の「アセンション」(次元上昇)であり、それは自らが望めば確実に、できることなのである。