「次はお前だ」という恐怖に心を奪われず、冷静に打ち克ってほしい

私たちの感情は伝染する。だから、楽しそうにしているひとのそばにいると楽しくなりやすいし、怒っているひとと一緒に過ごしていると自分の感情もざわついてくる。現代において「メディア」がこれほどの力を持ち、多くのひとびとに熱心に研究されているのも、まさに私たちが無意識にこのような「流れ」に強く影響されてしまうからだと言っていい。そう考えると、ある集団の「世論」を動かすのに、必ずしもその全員の意見を変える必要はないということになる。

どんなことでもいいが、仮にあることに対して、全体の20%が強く賛成し、20%が強く反対しているとしよう。するとその均衡を破るには、どちらかの勢力が51%(過半数)を確保することが必要だとも思える。だがもしかしたら、実際には35%、あるいは30%でもいいのではないだろうか?なぜならどちらもが20%だったところから、どちらかが35%になり、主張の声が強くなった時点で、様子見をしていた「大衆」(当初の60%)が一気に「流れに乗ろう」とするからである。またはどちらかの「情報戦略」が相手を圧倒している場合には、実際には相手と勢力が拮抗していたとしても、最初から自分が「多数派」のように見せることもできるだろう。それだけ、私たちの感情など善くも悪くも「移り気」なものなのである。

このような視点から私たちの日常を振り返ってみると、私たちは日々メディアを通して、数多くの「悲惨な」事件や「腹立たしい」こと、「不吉な」ことを見せられている。もちろん自分の生きている世界でなにが起こっているのかを知ることは必要でもある。だが問題なのは、それがメディアを通して拡散する過程で、「強調」され、「増幅」し、それが私たちの不安を煽り、無意識に「無気力で従属的な大衆」を生み出していることである。実はこれが 負の霊団(「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」)と呼ばれるような存在のひとつの技術でもあるのだが、私たちは他者の苦しみを通じて無意識に

次はお前だ!

という暗示を受けてしまう面があるのである。そしてそのことが、私たちの病みをますます深く、そして大きなものにしてしまっているのだ。

実はあの著名な作品『エクソシスト』のなかでも言及されている。私はその原本を手元に持っていないので、それを引用したサイトからの孫引きになるが、ここでも紹介しておきたいと思う。

ストーリーの最初の方から登場しているカラス神父が、このメリン神父に、

「(悪魔が)人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょう」

と訊く場面があります。

それに対してのメリン神父の答えは以下のようなものでした。

それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。

そしてまた、こうも考えられる。やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある。

やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている。

この「自覚」という表現については、私個人的には「思い込み」と言い換えたいと思っているが、どちらにせよここで指摘されていることはとても重要であると思う。

私たちに与えられた「共感能力」は素晴らしいものでもある。だが、それが間違った方向に発揮されると、あるいは操られると、私たちの苦しみは却って深くなってしまう。だから、私たちはメディアでの「事件」や「悲劇」に影響されながら、ますます喜びを失ってしまうのである。

だからといって、他者の苦しみを無視したり、

臭いものには蓋をしろ

などと言ったりしたいわけではない。ただ、私たちは他者の悲劇を自分のなかに取り込み、結果として被害を拡大するのではなく、冷静に現状を見極め、そのうえでどうやって問題を解決するかに力を注いだほうがずっといいということなのだ。

これから時代が動き、世のなかが変わっていくにつれて、ますますいろいろな「事件」を見聞きするようになるだろう。しかしそれは私たちの「破滅の予兆」ではない。ひとつの「変化の過程」なのだ。そしてそこからなにを学び、どのような未来を創っていくかは、やはり他の誰でもなく、私たち次第なのである。