「死後の世界のことなんて誰にもわからないんだよ。死んで帰ってきたひとはいないんだから」。その表現はやはり、正確とは言えない

死後の世界のことなんて誰にもわからないんだよ。死んで帰ってきたひとはいないんだから

死後の世界の実在などについて話題になったとき、結局はこのように言って終わりにすることがある。現代の主流的な考えかたでは、ひとの意識は「脳」が司っていると捉えられている。だから、

死によって脳が停止する以上、当然そのひとの意識もそこで途絶える。つまり、「死後の世界」など存在しない

というのが、最も単純化したひとつの「科学的見解」であると言えるだろう。ただそのような考えかたでは一見説明できないように見える体験談もある。たとえば「臨死体験」や「前世の記憶」などがそうだ。だが、あくまでもそれを「脳科学」の立場から説明しようとするひとも数多くいるし、今後もその動きが続けば、いずれはそれなりに説得力がある説明が展開されて、ひとびとを納得させるのかもしれない。

しかし、それでも私たちはどこかでそのような「死後の世界」に対する関心を持ち続けているように思う。だから、どこまで科学が発達しても、死後の世界について肯定的な態度を貫くひともいる。そんなとき、話の落としどころとしてしばしば持ち出されるのが、冒頭の表現、

死後の世界のことなんて誰にもわからないんだよ。死んで帰ってきたひとはいないんだから

というようなものである。この意見は曖昧でありながら確かに強力なので、結局最後にはこうしたことは「謎」として棚上げされることになる。しかしこういった表現は、私の眼から見るとやはり、正確とは言えないのである。

なぜなら世のなかには、

「死んで帰ってきたひとがたくさんいるから」

だ。たとえば私もそのひとりだと言える。私は現在まだ肉体を持ってひととして生活しているが、一方でたくさんの霊存在と日常的に関わりを持って生きているし、霊界にも何度も足(意識)を運び、実際に見てきている。それに、私だけでなくすべてのひとは、肉体を離れては霊界で過ごし、また肉体人としてこの世にやってくること、つまり「生まれ変わり」を繰り返しているのだ。だからその意味では、あなたも確かに、「死んで帰ってきたひと」なのである。

そう考えるとやはり、

死んで帰ってきたひとはいないんだから

という表現は誤っている。それは単にそのひとが忘れているだけなのである。それに、私のようにそれを憶えているひとも確かにいるのである。だから正確には、冒頭の表現はこう言い換えることができる。

死後の世界のことをわかろうとするひとはとても少ないんだよ。死んで帰ってきたひとの話なんて、ほとんど信じてもらえないんだから

そしてもうひとつの問題は、死後の世界、つまり「霊界」があまりにも「広く、多様性に富んでいる」ということにある。だからたとえ本物の霊媒師であっても、「どこで誰とどんな話をしてきたか」によって受ける印象がまったく違う。それに、そのひとが「最初に会った存在」を絶対的に正しいと思い込んでしまうと、ときにはその存在の「誤った思い込み」を「正しい知識」として捉えてしまうこともある。だから、「霊的指導者」と呼ばれる方々の間でも、未だに意見が食い違い、「真実」が見えてこないのである。

料理でも学問でもなんでもそうだが、最初に会ったひとが最高のひとだとは限らない。確かに多くのひとの話を聴きすぎて混乱することもあるが、それでもただひとつの視点からでは、見えないものもあるのは明らかだ。そして多くの意見を参考にし、合わせていくうちに、なんとなく自分が納得できる自分なりの「真実」が見えてくるものなのである。

だから以前から書いているように、私の言うこともすべて正しいとは限らない。ただ、少なくとも今の私にとって「真実」だと思えることしか、ここには書いていないし、これからもそうだ。だから、もしあなたがなにかを

知りたい

と思うなら、まずは相手の話を聴くことだ。いきなり「信じる」必要はない。まして「鵜呑みにする」こともない。ただ、「耳を傾ける」ことなしに、理解することはできないのだ。そして「理解者」でも「天職」でも「生きる意味」でも同じことだが、それをあなたが見つけられていないとしても、それは「存在しない」わけではない。ただあなたが

「まだ気付いていない」(まだ見つけていない)

という、それだけのことなのである。