限りなくエネルギーを失った存在がたどり着く「魂の墓場」とも呼べる場所と、そこに至る過程について。私はあなたにも、いなくならないでほしい

先日、ある読者のかたより、

「魂の墓場」とそこに至る過程について、もっと詳しく知りたい

という趣旨のメッセージをいただいた。そこで今回は、現時点で私が理解している範囲で、これについてより深く掘り下げて書いてみたいと思う。 まずこれは私の推測だが、おそらくこの感想は私が以前に書いた

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

という文章から生まれたものだろうと思う。これは私の書いたもののなかでも特に強く伝えたいもののひとつであり、実際この『闇の向こう側』のなかで最もよく読まれている文章のひとつであることは、私も喜ばしく感じているのだが、そのなかで私はこのように書いていた。

どうしても言うことを聴かない霊もいる。「自己選択の尊重」は絶対法則なので、本人が変わろうとしないなら、私にはそれ以上なにもできない。しかし、私はいちど関わった以上、できる限りのことをしたいので、最後にはそのような霊を、ある場所に連れて行く。そこはまるで「魂の墓場」とでも言える場所だ。

勘違いしているひとも多いようだが、

「魂が抹消される」

などということはない。ただ、

「限りなくエネルギーを失う」

だけだ。どんな状況になっても、存在(魂)は消えない。いつまでも、あなたが変わるのを待っている。それこそが、真の「愛」なのだ。そしてその結果として存在するのが、この「魂の墓場」だとも言えるだろう。

そこで私が見るものは、ただ石のように動きを止めた、無数の「眼」である。彼らとはもはや会話もほとんど成り立たず、憎しみや妬みすらも向けてこない。なにを与えるでもなく、奪うでもなく、ただ、そこに「在る」だけの存在。これに比べれば、岩の下に「わずかの間」封印されていた(とされる)孫悟空への仕打ちもかわいらしく思えるかもしれない。

「これならいっそ、消えてしまいたい」

そう思うひとも多いだろう。特に自殺を選んだようなひとならなおさらだ。しかし、神(いのちのはたらき)は

「生きろ」

としか言わない。もっと言えば、「存在」に「消滅する」という選択肢は用意されていない。何度も言うがこれこそが、真の「愛」なのである。究極の愛は、一見すると「罰」のようだ。しかし、「あなたがいつか喜びを見つけ出すことをいつまでも信じている」この態度を、愛でなくていったいなんだと言えばいいのだろう?

「存在する」ということは「エネルギーを持っている」ということとほぼ同じだと考えてもいいだろう。そしてその「エネルギー量」は常に変化している。

元気がある

調子が悪い

という言葉は私たちも日常的に用いるものだが、これは肉体を離れて霊存在になってからも基本的に変わらない。ただ、厳密に言えば違うところもある。

肉体人として生きているときの私たちは、少し元気を失ったからといってからだが小さくなったり、逆に絶好調だからといってからだが普段の2倍に大きくなるようなことはない。ただ雰囲気として、

あのひとは最近小さく見える

風格が漂っていて大きく見える

などと感じることはあるだろう。これはまさしく「エネルギー」の結果である。私たちはそうやっていつもエネルギーを発しているのだが、肉体人(特に現代人)は他者の「エネルギー」(気)や「想い」(想念)といったものを感じることに不得手なひとが多いこともあって、実際は嬉しいのに素知らぬふりをしてみたり、逆に哀しみを隠しながらなんでもないように装ってみたりして、それが相手にも伝わらずに隠し通せる場合もある。これが(現代における)肉体人の世界だと言える。

しかし、霊存在の場合はそうではない。なぜなら、霊体とはまさに「想念体」そのものであるからだ。それを保護し、包み、隠していた「器」としての「肉体」はもはやない。だから、考えていること(想い)を隠すことは誰にもできない。そして、それぞれの姿かたちさえも、エネルギーの質によって変化していくのである。

私は最近、2013年に公開されたスタジオジブリ制作(高畑勲監督)の映画『かぐや姫の物語』を観た。これは『竹取物語』を原作とした作品なのだが、この物語のなかで、翁によって発見されたときには掌に収まる大きさで、衣服も身に付けていたはずの姫は、媼が姫を抱こうとすると、突然人間の赤子の姿へと変わる。そして私にとって最も興味深いことに、彼女は「自分が面白いと感じるようななにかを見つけたり、あるいは笑ったりしたとき」に急激に成長するのである。このように

「『喜び』を感じると大きくなり、姿かたちも変わる」

というのは、まさに霊存在の現実そのものだと言える。

だとすると逆に、

「苦しみ」や「怒り」、「恨み」といった「負の念」に浸り続けるとどうなるのか?

という疑問を持つひともいるだろうが、その答えを出すのはもはやさほど難しくないはずだ。文字通り、「無気力」な存在になるのである。誰かを攻撃したり、責めたり、恨んだりしているうち、それができているうちはまだいい。しかしもしそれをする気さえも失くしてしまうと、いつしか誰とも関わらず、なにも言わず、感じようとしない存在に行き着く。そしてそんな彼らが静かに存在する場所こそが、私が「魂の墓場」と呼ぶその場所なのである。 そこへ至るまでの過程は決して短くはない。本人が変わろうと思えばいつでも変われる。それに

「誰かにそこへ送り込まれるのではなく、自らの選択によってそこへ行く」

のである。それはある種の「自暴自棄の極み」であると私は考えるのだが、それはなにより「本人の選択」なのだと見なされるし、実際にそうなのだ。

そしてそこには、いつもたくさんの存在が、「眼」がただひっそりとそこに在る。彼らは本人たちがどう思っているかに関わらず、決して消えてしまうことはない。ただひたすら、変わるときを待たれているのである。たとえそれが、気の遠くなるほど先のことであったとしても。

だから私が彼らのことを思ってあまりにも切なく感じてしまうのは、本来的には「お節介」でしかない。しかし私は、あの場所以上に哀しく、つらい場所を知らない。それでももしそこまで行かれてしまえば、今の私にできることはもうほとんどない。ただ、静かに「待つ」だけだ。それ以外にはないのである。だからこそ、私はそんな場所にあなたが行ってほしくはない。しかし、そう言っている私自身ですら、もしこの世界に「他者」が存在せず、誰にも理解されず、すべての「感性」(感覚)を失ってしまったら、その場所に行き着くことになるだろう。だからまさに私が今こうしていられるのは、私が独りではなかったからだ。そしてこの世界は、「誰をも独りにさせないため」にこそ、存在しているのかもしれないと思うのである。

だから私はあなたにも、いなくならないでほしい。

「死んだように生きている」

だけでもいい。まだ生きているのだから。そのうえで余裕があるときだけでもいいから、あなたの「感性」を活かしてみてほしい。この世界が美しいかどうか、私にはまだわからない。素晴らしいのかどうかもわからない。だが

面白い

というくらいは私にも思えるようになってきた。きっとあなたも望みを棄てず、じっくり世界を感じてみれば、ここがそれなりに面白いことに気付けるのではないかと思う。だからこそ、あなたも私も、わざわざこの世に生まれてきたのである。そしてあなたが今の「あなた」でいられるこの期間を、精いっぱい面白く遣ってみてほしい。それが私の心からの願いであり、また私自身の目標でも、あるのである。

コメント

  1. さい より:

    いつも読ませて頂いてます。
    ここの文章からは誠実な人柄が伝わってきます。

    突然ですが、
    今日、彼氏のお父さんが72歳で自殺しました。

    1度だけ、お合いした事がありますが、
    おとなしく、内向的で、
    親の愛が足りなかったのか、
    長年、アルコール依存で、酒乱でした。

    最近はお酒を控えていたようですが、
    鬱になっていたようです。

     
    もう、取り返しは付きませんので、
    早く、自分のした事を自覚して、
    いずれは成仏して欲しいと思います。

    魂の墓場には行って欲しくありません。

    それにしても、人間の魂は、場合によっては、
    合体したり、消滅する事もあるのかと思いましたが、
    エネルギーを失うと墓場に行くんですね。

    • Dilettante より:

      さいさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      彼氏さんのお父様が自殺されたのですね。心よりお悔やみ申し上げます。
      日本国内だけでも年間数万人のひとが自殺していることから考えると、身内や知り合いに自殺者がいるということももはや決して珍しくないというのが現状なのかもしれません(私もそのひとりです)が、それでもこうした報せを受けるのは本当に胸が痛みます。

      「いちど死んだひとが生き返り、同じ人生を続けたりやり直したりすることはできない」という意味では、自殺は間違いなく取り返しがつかないことなのですが、それでも自殺者本人、そして遺族や関係者それぞれがその後の「人生」をどう生きるかは、これからも大きな課題となることでしょう。そしてそのうえで、

      「すべてのひとがどのようにでも変われる可能性がある」

      という意味では、

      「取り返しがつかないということはない」

      というのもまた事実です。

      それから「墓場」というのは私の一種の比喩的な表現なので、実際に墓石が建っているなどというような意味ではありませんが、ある意味ではそれ以上に哀しい場所です。彼氏さんのお父様がそこに行くかどうかは本人の選択ではありますが、住む世界が離れてしまったとしても、「想い」は必ず届きます。そして「想いを手向ける」ということが、故人にとってなによりの供養になるということも確かです。

      まずはさいさんもゆっくりご自分のお気持ちと向き合い、それからできることなら周りの方々、なにより彼氏さんを支えてあげていただきたく思います。そしてどうか、少しずつでもいいので、温かな未来を思い描き、今日も明日もあさっても、最期のときが来るまで、生きていってください。それが私の最大の願いです。

      と、ここで私がなにを言ってみても、まったく見ず知らずの私ですらこんなにも哀しい想いになるところ、さいさんやご関係者の方々のご心境は察するに余りあります。ですがそれでもどうか、これからも生きていってください。そしてこの先どんな出会いや別れがあるとしても、さいさんにも、彼氏さんにも、笑顔で生きられる未来が必ずあること、そのような未来を創ることができるということを信じていてください。それさえ叶うなら、私が『闇の向こう側』を開設している目的はすべて達せられていると言ってもいいです。そして少しでもそう思ってもらえるひとが増えるよう、私自身もできる限りずっと、ここで生き続けていきたいと思います。

  2. さい より:

    Dilettante様。

    丁寧な返信、ありがとうございました。

    昨日まで、忌わしい雰囲気の黒いモヤモヤに取り囲まれて辛かったのですが、

    本を読んだり、彼氏と電話したりして、今は落ち着いてきました。

    彼氏本人や母親は、今の所、普段と変わらない様子で、

    お葬式の準備で忙しいようでした。

    長年、お父様の酒乱に付き合ってきた家族だけあって、

    部外者の私とは意識が違うのかも知れません。

    今回、自殺したお父様は、少し自暴自棄な所があり、

    彼氏にも似た資質を感じる為に、

    4人の霊能者から「一緒にいても苦労するだけの相手」

    と言われた人です。(彼に不安要素を感じていて、腐れ縁ですが結婚はしていません)

    今後、どうなるかは分かりませんが、

    Dilettante様のおっしゃるように「取り返しが付かないという事はない」と

    「すべての人がどのようにでも変われる可能性がある」は真実だと思いますので、

    無理のない範囲で彼氏を支えたいと思います。

    そして、今の私の心境は「未来を作っていくしかない。生きるしかないし」です。

    これからもDilettante様のブログは

    読ませて頂きます。

    本当にありがとうございました。

    • Dilettante より:

      まずひとつ言えることは、何人の霊能者に相談したところで、さいさん以上に彼氏さんのことを理解できることはないということです。もちろん身近なひとにも自身の内面を隠すことは誰でもあることですが、それでも付き合いが濃いほうが、よりそのひとの内奥に近付けることは明らかです。ですから、誰がなんと言おうと、あまりそれに振り回される必要はありません。

      それに、相手の立場を想像してみると、無責任に

      彼との相性はいいですよ

      などと言ってしまって、たとえばさいさんが結婚を決意し、その結果うまくいかなくて責められるリスクを考えると、

      一緒にいても苦労するだけです

      と言っておいたほうが無難なのです。その結果うまく行ったなら、

      それはあなたが努力した結果ですね。私はわかっていますよ

      などと言っておけばまず怒られることはないのですから。

      さらに言えば、最も品格が疑われるひとというのは、まず相手に

      うまく行きますよ

      と言っておいて、その結果うまく行かなかった場合、

      それはあなたに悪い因縁があるからだ

      などと言って、最後には

      それを解消するためには……

      として高額なものを買わせたり法外なお布施を要求したりするひとなのですが、そういうひとはまったく相手にしなくていいです。

      私はもしさいさんがこれからも彼氏さんと一緒にいるつもりなら彼氏さんを支えてあげてほしいとは思いますが、別にさいさんに彼氏さんとずっと一緒にいる義務があるわけではありません。彼氏さんと一緒にいてもいなくても、どちらにしてもさいさんは「それぞれのしあわせ」にたどり着けることは間違いありません。それは彼氏さんについても同じです。それに、たとえ何度軌道修正しても最期に笑えればいいのですから、そのときそのときの自分の心に正直に歩んでいただければと思います。私に言えるのはそれだけです。

      あと、私に「様」付けは身に余るので、「さん」くらいでちょうどいいと思います。

      そしてこれからもなにかありましたらコメントでもメールでも気軽に送っていただければ嬉しいです。

      それから、「忌わしい雰囲気の黒いモヤモヤ」にもあまり気を病まないでくださいね。そのうちきっと、ラクになります。

  3. さい より:

    Dilettanteさん

    霊能者に関するアドバイスをありがとうございます。

    私も、内心「悩んでる→上手くいってない→苦労するだけ」という構図で言われただけなのでは?
    という疑いがありました。
    でも現に苦労してたので、当たってはいるのですが、
    本当に聞きたかった
    「どうすれば上手くやっていけるのか」の答えは教えて貰えず、
    ただ「幸せにはなれません」と一方的なので、
    「この人、本当に視えているのだろうか?」と疑うばかりで、
    相談して良かった。とはなりにくかったです。
    霊能者にカウンセリングを求めた私も、間違っていたのかも知れませんが。。。

    確かに、一番近くにいる私が彼氏の事を分かっているし、
    私の人生の選択なので、より良くなれるよう考えていきたいと思います。

    どちらにしても、しあわせにたどり着けるなら良いですよね。
    それには人格や努力が必要なのでしょうけれど。

    自分なりにやってみます。

    Dilettanteさん
    何度も、ありがとうございました。

    ブログの更新も楽しみにしています。

    • Dilettante より:

      実のところ、どんな相手と一緒にいたとしても、

      「一切の苦労のない人間関係というものはない」

      と言ってしまってもいいのだろうと思っています。

      それは親族や友人、同僚など、いかなる関係の相手に対しても同じです。

      だからこそ、あまり深い人間関係を築かないようにしたり、

      ひとりのほうがいちばん気楽

      などと考えたりするようなひともいるのでしょうが、それはそれで今度は、「誰かと一緒だからこそ味わえる喜び」を得ることが難しくなってしまいます。

      結局は、「誰かと一緒にいる苦労」と「誰かと一緒だからこその喜び」のどちらに重きを置くか、あるいはどちらにより多く目を向けるかということだと思います。
      だからと言って明らかに自分に無理がかかる相手と深く付き合おうとする必要はないのですが、

      人間関係は育てるものだ

      ということも確かなのです。

      とは言え、かく言う私自身がひと付き合いがそれほど上手ではないのでたいしたことは言えないのが正直なところで、

      じゃああんたが言うな

      と言われてしまいそうですが、対人関係の問題は誰にとっても大きな主題になり得るものでもありますし、これからもさいさんや他の方々と一緒に、私も私なりに向き合っていきたいと思っています。

  4. だれか より:

    魂の墓場・・。私もそこへ踏み入れてしまったのではないかと、内観しています。

    いつしか心がおしゃべりをしなくなったとき、静けさの中で生きるようになりましたが、

    それが墓場に行った結果なのか、それとも・・・。

    闇あってこその光ですが、深すぎる闇はまた光に還るでしょうか・・。

    ありがとうございます。

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私が実際に行って見てきた経験から言って、魂の墓場に身を置くような存在というのは、ほぼ完全な無気力、そして無感情を共通の特徴として持っています。彼らはもちろん他者と積極的に関わろうとすることも、生まれ変わろうとすることもありません。

      ですから、今こうしてこの世界に生まれている時点で、だれかさんが魂の墓場の住人でないことは明らかなのです。

      そして、この世界は「光」が大きな力を持っています。それは、光が私たちに「個性」を与えたからです。しかし、それが過度の「個性競争」になったとき、それは苦しみへと変質してしまいます。だからこそ、現代にあってはむしろ

      「静けさの中で生きる」

      ということは大きな価値があると言えるでしょう。それは決して、悪いことではないのです。そしてすべては、自らの考えかた次第でもあります。その静けさのなかでこそ、自分の深奥を見つめ、本当の「願い」を聴き届けることができるとも言えるのです。もちろん、そこには守護霊の想いも流れています。

      とはいえ、自分が悩みのなかにあるときほど、すべてを否定的に捉えてしまいたくもなり、そこから抜け出すには、ひとりではなかなか難しいのも確かです。ですからもし私にできることがあれば、いつでもおっしゃってください。よろしくお願いします。

  5. naji kiki より:

    ありがとうございます。

    最近スピリチュアルに精通された方たちのホームページ等を読むのですが、

    大変立派なことをかいてるんです・・・・。

    でもそのうち疑問が生まれるわけです。彼らの資金源は?と・・・。

    そうするとバックには 大きな宗教団体がついているわけです。違和感しかありません。

    その点、自適さんや 闇の向こう側さんは すっきりします・・・。

    神社に行った、ここがいやしろちだ、パワースポットだ・・。云々・・・・・・・・・・。

    わかりますが、他はだめだめなので、行く価値もないと? なんだか違和感です。

    闇の向こう側さんは どのように お考えでしょうか。

    見える方の視点からの意見、ご教示くださいませ。

    ありがとうございます。

    naji kiki

  6. Dilettante より:

    naji kikiさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

    以前私は

    最近はひと昔前よりは減っているとは思うが、それでも夏になるといろいろなメディアで「心霊特集」といったようなものを見かける機会が増えると思う。...

    とも書いたのですが、実際霊存在というのは「ある特定の場所」にだけ関与するわけではないのですから、そういった意味での「パワースポット」はないというのが私の考えかたです。

    ただし、「長年に亘って、多くのひとびとが想い(祈り)を捧げ続けてきた場所」というのは、その「長年の蓄積」が力を持つということは言えます。ですから、あらゆる「宗教施設」というのには、なんらかの「霊団」が関与し続けているということです。ですが、たとえば同じ「神社」に属するからと言って、そのすべてに同じ霊団が関与しているとも限りません。

    ですから、ひと言にまとめるとすれば、

    あまり「特定の場所」にこだわることはないですよ

    というのが私の立場なのですが、ここはもう少し掘り下げてみてもいいかと思いますので、この機会に次回改めてまとめてみたいと思います。

  7. ぐう より:

    私は、生きながらにして魂の墓場に行ってしまったのかもしれないと思うことが増えました。

    無感情、無気力、他者との関わりを持とうとしない…自覚はありませんでしたが、いずれも、自分に当てはまります。自らそこに向かう、という感覚も、とてもよく分かってしまうのです。周りが美し過ぎて、醜い自分は逃げ出してしまいたくなります。今も、逃げ出したくてたまらないのですが、もう逃げる場所もありません。

    生きながら魂が死んでしまっている場合でも、救いの道はあるのでしょうか?

    要領を得ないコメントで申し訳ありません…

    • Dilettante より:

      ぐうさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      「魂が完全に死ぬ」

      ということはないので、少なくとも

      救われたい

      世界は美しい

      という想いがあるなら、必ず道はあります。

      そしてできれば、他の文章も併せて読んでみてください。

      少なくともその間は、あなたは確かに、生きていられるのですから。