先日、
「魂の墓場」とそこに至る過程について、もっと詳しく知りたい
という趣旨のメッセージをいただいた。そこで今回は、現時点で私が理解している範囲で、これについてより深く掘り下げて書いてみたいと思う。 まずこれは私の推測だが、おそらくこの感想は私が以前に書いた

という文章から生まれたものだろうと思う。これは私の書いたもののなかでも特に強く伝えたいもののひとつであり、実際この『闇の向こう側』のなかで最もよく読まれている文章のひとつであることは、私も喜ばしく感じているのだが、そのなかで私はこのように書いていた。
どうしても言うことを聴かない霊もいる。「自己選択の尊重」は絶対法則なので、本人が変わろうとしないなら、私にはそれ以上なにもできない。しかし、私はいちど関わった以上、できる限りのことをしたいので、最後にはそのような霊を、ある場所に連れて行く。そこはまるで「魂の墓場」とでも言える場所だ。
勘違いしているひとも多いようだが、
「魂が抹消される」
などということはない。ただ、
「限りなくエネルギーを失う」
だけだ。どんな状況になっても、存在(魂)は消えない。いつまでも、あなたが変わるのを待っている。それこそが、真の「愛」なのだ。そしてその結果として存在するのが、この「魂の墓場」だとも言えるだろう。
そこで私が見るものは、ただ石のように動きを止めた、無数の「眼」である。彼らとはもはや会話もほとんど成り立たず、憎しみや妬みすらも向けてこない。なにを与えるでもなく、奪うでもなく、ただ、そこに「在る」だけの存在。これに比べれば、岩の下に「わずかの間」封印されていた(とされる)孫悟空への仕打ちもかわいらしく思えるかもしれない。
「これならいっそ、消えてしまいたい」
そう思うひとも多いだろう。特に自殺を選んだようなひとならなおさらだ。しかし、神(いのちのはたらき)は
「生きろ」
としか言わない。もっと言えば、「存在」に「消滅する」という選択肢は用意されていない。何度も言うがこれこそが、真の「愛」なのである。究極の愛は、一見すると「罰」のようだ。しかし、「あなたがいつか喜びを見つけ出すことをいつまでも信じている」この態度を、愛でなくていったいなんだと言えばいいのだろう?
「存在する」ということは「エネルギーを持っている」ということとほぼ同じだと考えてもいいだろう。そしてその「エネルギー量」は常に変化している。
元気がある
調子が悪い
という言葉は私たちも日常的に用いるものだが、これは肉体を離れて霊存在になってからも基本的に変わらない。ただ、厳密に言えば違うところもある。
肉体人として生きているときの私たちは、少し元気を失ったからといってからだが小さくなったり、逆に絶好調だからといってからだが普段の2倍に大きくなるようなことはない。ただ雰囲気として、
あのひとは最近小さく見える
風格が漂っていて大きく見える
などと感じることはあるだろう。これはまさしく「エネルギー」の結果である。私たちはそうやっていつもエネルギーを発しているのだが、肉体人(特に現代人)は他者の「エネルギー」(気)や「想い」(想念)といったものを感じることに不得手なひとが多いこともあって、実際は嬉しいのに素知らぬふりをしてみたり、逆に哀しみを隠しながらなんでもないように装ってみたりして、それが相手にも伝わらずに隠し通せる場合もある。これが(現代における)肉体人の世界だと言える。
しかし、霊存在の場合はそうではない。なぜなら、霊体とはまさに「想念体」そのものであるからだ。それを保護し、包み、隠していた「器」としての「肉体」はもはやない。だから、考えていること(想い)を隠すことは誰にもできない。そして、それぞれの姿かたちさえも、エネルギーの質によって変化していくのである。
私は最近、2013年に公開されたスタジオジブリ制作(高畑勲監督)の映画『かぐや姫の物語』を観た。これは『竹取物語』を原作とした作品なのだが、この物語のなかで、翁によって発見されたときには掌に収まる大きさで、衣服も身に付けていたはずの姫は、媼が姫を抱こうとすると、突然人間の赤子の姿へと変わる。そして私にとって最も興味深いことに、彼女は「自分が面白いと感じるようななにかを見つけたり、あるいは笑ったりしたとき」に急激に成長するのである。このように
「『喜び』を感じると大きくなり、姿かたちも変わる」
というのは、まさに霊存在の現実そのものだと言える。
だとすると逆に、
「苦しみ」や「怒り」、「恨み」といった「負の念」に浸り続けるとどうなるのか?
という疑問を持つひともいるだろうが、その答えを出すのはもはやさほど難しくないはずだ。文字通り、「無気力」な存在になるのである。誰かを攻撃したり、責めたり、恨んだりしているうち、それができているうちはまだいい。しかしもしそれをする気さえも失くしてしまうと、いつしか誰とも関わらず、なにも言わず、感じようとしない存在に行き着く。そしてそんな彼らが静かに存在する場所こそが、私が「魂の墓場」と呼ぶその場所なのである。 そこへ至るまでの過程は決して短くはない。本人が変わろうと思えばいつでも変われる。それに
「誰かにそこへ送り込まれるのではなく、自らの選択によってそこへ行く」
のである。それはある種の「自暴自棄の極み」であると私は考えるのだが、それはなにより「本人の選択」なのだと見なされるし、実際にそうなのだ。
そしてそこには、いつもたくさんの存在が、「眼」がただひっそりとそこに在る。彼らは本人たちがどう思っているかに関わらず、決して消えてしまうことはない。ただひたすら、変わるときを待たれているのである。たとえそれが、気の遠くなるほど先のことであったとしても。
だから私が彼らのことを思ってあまりにも切なく感じてしまうのは、本来的には「お節介」でしかない。しかし私は、あの場所以上に哀しく、つらい場所を知らない。それでももしそこまで行かれてしまえば、今の私にできることはもうほとんどない。ただ、静かに「待つ」だけだ。それ以外にはないのである。だからこそ、私はそんな場所にあなたが行ってほしくはない。しかし、そう言っている私自身ですら、もしこの世界に「他者」が存在せず、誰にも理解されず、すべての「感性」(感覚)を失ってしまったら、その場所に行き着くことになるだろう。だからまさに私が今こうしていられるのは、私が独りではなかったからだ。そしてこの世界は、「誰をも独りにさせないため」にこそ、存在しているのかもしれないと思うのである。
だから私はあなたにも、いなくならないでほしい。
「死んだように生きている」
だけでもいい。まだ生きているのだから。そのうえで余裕があるときだけでもいいから、あなたの「感性」を活かしてみてほしい。この世界が美しいかどうか、私にはまだわからない。素晴らしいのかどうかもわからない。だが
面白い
というくらいは私にも思えるようになってきた。きっとあなたも望みを棄てず、じっくり世界を感じてみれば、ここがそれなりに面白いことに気付けるのではないかと思う。だからこそ、あなたも私も、わざわざこの世に生まれてきたのである。そしてあなたが今の「あなた」でいられるこの期間を、精いっぱい面白く遣ってみてほしい。それが私の心からの願いであり、また私自身の目標のひとつも、そこにあるのである。
最近はこの文章を自殺との関連で興味深く読んでくださるひとも多いようです。ただそのあとで寄せられる感想なども踏まえたうえで補足しておきたいのですが、
「一度でも自殺をするとすぐにこのような魂の墓場に行く」
というわけではありません。
これは本当に
「究極的な場所」
であり、そこ以外に行く場所がなくなるというのは、そう簡単に起きることではないということはお伝えしておきたいと思います。
ただ自らの喜びを追求することをやめ、他を苦しませ潰し合わせるような負の行為を続けていると、いつかはエネルギーが枯渇して、このような場所に行くものと考えていいと思います。
そのうえで、この場所に
「ある種の憧れ・救い」
を感じるひともあるようですが、私としては
ここは決して、そんな生易しい場所ではありません。だからあなたにもどうか、行かないでほしいです
ということを、何度でも強調してお伝えしておきたいと、そう思っています。

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いつも読ませて頂いてます。
ここの文章からは誠実な人柄が伝わってきます。
突然ですが、
今日、彼氏のお父さんが72歳で自殺しました。
1度だけ、お合いした事がありますが、
おとなしく、内向的で、
親の愛が足りなかったのか、
長年、アルコール依存で、酒乱でした。
最近はお酒を控えていたようですが、
鬱になっていたようです。
もう、取り返しは付きませんので、
早く、自分のした事を自覚して、
いずれは成仏して欲しいと思います。
魂の墓場には行って欲しくありません。
それにしても、人間の魂は、場合によっては、
合体したり、消滅する事もあるのかと思いましたが、
エネルギーを失うと墓場に行くんですね。
さいさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
彼氏さんのお父様が自殺されたのですね。心よりお悔やみ申し上げます。
日本国内だけでも年間数万人のひとが自殺していることから考えると、身内や知り合いに自殺者がいるということももはや決して珍しくないというのが現状なのかもしれません(私もそのひとりです)が、それでもこうした報せを受けるのは本当に胸が痛みます。
「いちど死んだひとが生き返り、同じ人生を続けたりやり直したりすることはできない」という意味では、自殺は間違いなく取り返しがつかないことなのですが、それでも自殺者本人、そして遺族や関係者それぞれがその後の「人生」をどう生きるかは、これからも大きな課題となることでしょう。そしてそのうえで、
「すべてのひとがどのようにでも変われる可能性がある」
という意味では、
「取り返しがつかないということはない」
というのもまた事実です。
それから「墓場」というのは私の一種の比喩的な表現なので、実際に墓石が建っているなどというような意味ではありませんが、ある意味ではそれ以上に哀しい場所です。彼氏さんのお父様がそこに行くかどうかは本人の選択ではありますが、住む世界が離れてしまったとしても、「想い」は必ず届きます。そして「想いを手向ける」ということが、故人にとってなによりの供養になるということも確かです。
まずはさいさんもゆっくりご自分のお気持ちと向き合い、それからできることなら周りの方々、なにより彼氏さんを支えてあげていただきたく思います。そしてどうか、少しずつでもいいので、温かな未来を思い描き、今日も明日もあさっても、最期のときが来るまで、生きていってください。それが私の最大の願いです。
と、ここで私がなにを言ってみても、まったく見ず知らずの私ですらこんなにも哀しい想いになるところ、さいさんやご関係者の方々のご心境は察するに余りあります。ですがそれでもどうか、これからも生きていってください。そしてこの先どんな出会いや別れがあるとしても、さいさんにも、彼氏さんにも、笑顔で生きられる未来が必ずあること、そのような未来を創ることができるということを信じていてください。それさえ叶うなら、私が『闇の向こう側』を開設している目的はすべて達せられていると言ってもいいです。そして少しでもそう思ってもらえるひとが増えるよう、私自身もできる限りずっと、ここで生き続けていきたいと思います。
Dilettante様。
丁寧な返信、ありがとうございました。
昨日まで、忌わしい雰囲気の黒いモヤモヤに取り囲まれて辛かったのですが、
本を読んだり、彼氏と電話したりして、今は落ち着いてきました。
彼氏本人や母親は、今の所、普段と変わらない様子で、
お葬式の準備で忙しいようでした。
長年、お父様の酒乱に付き合ってきた家族だけあって、
部外者の私とは意識が違うのかも知れません。
今回、自殺したお父様は、少し自暴自棄な所があり、
彼氏にも似た資質を感じる為に、
4人の霊能者から「一緒にいても苦労するだけの相手」
と言われた人です。(彼に不安要素を感じていて、腐れ縁ですが結婚はしていません)
今後、どうなるかは分かりませんが、
Dilettante様のおっしゃるように「取り返しが付かないという事はない」と
「すべての人がどのようにでも変われる可能性がある」は真実だと思いますので、
無理のない範囲で彼氏を支えたいと思います。
そして、今の私の心境は「未来を作っていくしかない。生きるしかないし」です。
これからもDilettante様のブログは
読ませて頂きます。
本当にありがとうございました。
まずひとつ言えることは、何人の霊能者に相談したところで、さいさん以上に彼氏さんのことを理解できることはないということです。もちろん身近なひとにも自身の内面を隠すことは誰でもあることですが、それでも付き合いが濃いほうが、よりそのひとの内奥に近付けることは明らかです。ですから、誰がなんと言おうと、あまりそれに振り回される必要はありません。
それに、相手の立場を想像してみると、無責任に
彼との相性はいいですよ
などと言ってしまって、たとえばさいさんが結婚を決意し、その結果うまくいかなくて責められるリスクを考えると、
一緒にいても苦労するだけです
と言っておいたほうが無難なのです。その結果うまく行ったなら、
それはあなたが努力した結果ですね。私はわかっていますよ
などと言っておけばまず怒られることはないのですから。
さらに言えば、最も品格が疑われるひとというのは、まず相手に
うまく行きますよ
と言っておいて、その結果うまく行かなかった場合、
それはあなたに悪い因縁があるからだ
などと言って、最後には
それを解消するためには……
として高額なものを買わせたり法外なお布施を要求したりするひとなのですが、そういうひとはまったく相手にしなくていいです。
私はもしさいさんがこれからも彼氏さんと一緒にいるつもりなら彼氏さんを支えてあげてほしいとは思いますが、別にさいさんに彼氏さんとずっと一緒にいる義務があるわけではありません。彼氏さんと一緒にいてもいなくても、どちらにしてもさいさんは「それぞれのしあわせ」にたどり着けることは間違いありません。それは彼氏さんについても同じです。それに、たとえ何度軌道修正しても最期に笑えればいいのですから、そのときそのときの自分の心に正直に歩んでいただければと思います。私に言えるのはそれだけです。
あと、私に「様」付けは身に余るので、「さん」くらいでちょうどいいと思います。
そしてこれからもなにかありましたらコメントでもメールでも気軽に送っていただければ嬉しいです。
それから、「忌わしい雰囲気の黒いモヤモヤ」にもあまり気を病まないでくださいね。そのうちきっと、ラクになります。
Dilettanteさん
霊能者に関するアドバイスをありがとうございます。
私も、内心「悩んでる→上手くいってない→苦労するだけ」という構図で言われただけなのでは?
という疑いがありました。
でも現に苦労してたので、当たってはいるのですが、
本当に聞きたかった
「どうすれば上手くやっていけるのか」の答えは教えて貰えず、
ただ「幸せにはなれません」と一方的なので、
「この人、本当に視えているのだろうか?」と疑うばかりで、
相談して良かった。とはなりにくかったです。
霊能者にカウンセリングを求めた私も、間違っていたのかも知れませんが。。。
確かに、一番近くにいる私が彼氏の事を分かっているし、
私の人生の選択なので、より良くなれるよう考えていきたいと思います。
どちらにしても、しあわせにたどり着けるなら良いですよね。
それには人格や努力が必要なのでしょうけれど。
自分なりにやってみます。
Dilettanteさん
何度も、ありがとうございました。
ブログの更新も楽しみにしています。
実のところ、どんな相手と一緒にいたとしても、
「一切の苦労のない人間関係というものはない」
と言ってしまってもいいのだろうと思っています。
それは親族や友人、同僚など、いかなる関係の相手に対しても同じです。
だからこそ、あまり深い人間関係を築かないようにしたり、
ひとりのほうがいちばん気楽
などと考えたりするようなひともいるのでしょうが、それはそれで今度は、「誰かと一緒だからこそ味わえる喜び」を得ることが難しくなってしまいます。
結局は、「誰かと一緒にいる苦労」と「誰かと一緒だからこその喜び」のどちらに重きを置くか、あるいはどちらにより多く目を向けるかということだと思います。
だからと言って明らかに自分に無理がかかる相手と深く付き合おうとする必要はないのですが、
人間関係は育てるものだ
ということも確かなのです。
とは言え、かく言う私自身がひと付き合いがそれほど上手ではないのでたいしたことは言えないのが正直なところで、
じゃああんたが言うな
と言われてしまいそうですが、対人関係の問題は誰にとっても大きな主題になり得るものでもありますし、これからもさいさんや他の方々と一緒に、私も私なりに向き合っていきたいと思っています。
魂の墓場・・。私もそこへ踏み入れてしまったのではないかと、内観しています。
いつしか心がおしゃべりをしなくなったとき、静けさの中で生きるようになりましたが、
それが墓場に行った結果なのか、それとも・・・。
闇あってこその光ですが、深すぎる闇はまた光に還るでしょうか・・。
ありがとうございます。
だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
私が実際に行って見てきた経験から言って、魂の墓場に身を置くような存在というのは、ほぼ完全な無気力、そして無感情を共通の特徴として持っています。彼らはもちろん他者と積極的に関わろうとすることも、生まれ変わろうとすることもありません。
ですから、今こうしてこの世界に生まれている時点で、だれかさんが魂の墓場の住人でないことは明らかなのです。
そして、この世界は「光」が大きな力を持っています。それは、光が私たちに「個性」を与えたからです。しかし、それが過度の「個性競争」になったとき、それは苦しみへと変質してしまいます。だからこそ、現代にあってはむしろ
「静けさの中で生きる」
ということは大きな価値があると言えるでしょう。それは決して、悪いことではないのです。そしてすべては、自らの考えかた次第でもあります。その静けさのなかでこそ、自分の深奥を見つめ、本当の「願い」を聴き届けることができるとも言えるのです。もちろん、そこには守護霊の想いも流れています。
とはいえ、自分が悩みのなかにあるときほど、すべてを否定的に捉えてしまいたくもなり、そこから抜け出すには、ひとりではなかなか難しいのも確かです。ですからもし私にできることがあれば、いつでもおっしゃってください。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
最近スピリチュアルに精通された方たちのホームページ等を読むのですが、
大変立派なことをかいてるんです・・・・。
でもそのうち疑問が生まれるわけです。彼らの資金源は?と・・・。
そうするとバックには 大きな宗教団体がついているわけです。違和感しかありません。
その点、自適さんや 闇の向こう側さんは すっきりします・・・。
神社に行った、ここがいやしろちだ、パワースポットだ・・。云々・・・・・・・・・・。
わかりますが、他はだめだめなので、行く価値もないと? なんだか違和感です。
闇の向こう側さんは どのように お考えでしょうか。
見える方の視点からの意見、ご教示くださいませ。
ありがとうございます。
naji kiki
naji kikiさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
以前私は
とも書いたのですが、実際霊存在というのは「ある特定の場所」にだけ関与するわけではないのですから、そういった意味での「パワースポット」はないというのが私の考えかたです。
ただし、「長年に亘って、多くのひとびとが想い(祈り)を捧げ続けてきた場所」というのは、その「長年の蓄積」が力を持つということは言えます。ですから、あらゆる「宗教施設」というのには、なんらかの「霊団」が関与し続けているということです。ですが、たとえば同じ「神社」に属するからと言って、そのすべてに同じ霊団が関与しているとも限りません。
ですから、ひと言にまとめるとすれば、
あまり「特定の場所」にこだわることはないですよ
というのが私の立場なのですが、ここはもう少し掘り下げてみてもいいかと思いますので、この機会に次回改めてまとめてみたいと思います。
私は、生きながらにして魂の墓場に行ってしまったのかもしれないと思うことが増えました。
無感情、無気力、他者との関わりを持とうとしない…自覚はありませんでしたが、いずれも、自分に当てはまります。自らそこに向かう、という感覚も、とてもよく分かってしまうのです。周りが美し過ぎて、醜い自分は逃げ出してしまいたくなります。今も、逃げ出したくてたまらないのですが、もう逃げる場所もありません。
生きながら魂が死んでしまっている場合でも、救いの道はあるのでしょうか?
要領を得ないコメントで申し訳ありません…
ぐうさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
「魂が完全に死ぬ」
ということはないので、少なくとも
救われたい
世界は美しい
という想いがあるなら、必ず道はあります。
そしてできれば、他の文章も併せて読んでみてください。
少なくともその間は、あなたは確かに、生きていられるのですから。
自殺した親類の夢を最近見ました。
彼女は、肌色の寒くも暑くも無い場所に裸で一人でいました。
「ここには何も無い」
そう言っていました。
魂の墓場だったのでしょうか?
フランシスコさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですね、少なくとも私の言う「魂の墓場」というのは、もはや「本人の意識」というようなものも極限まで薄まってしまって、なにかを訴えることすらできなくなっているような存在がいる場所のことですので、あなたが夢で見た(ご親類のいる)場所というのは、まだそこまでの場所ではないと思います。
ただ、あなたの夢が「ありのままの現実」を反映しているかは別としても、あなたのご親類も含め、自殺者が行くような場所はやはり、一般的に言って喜びが大きい場所とは言えません。だからこそ私は、これからもずっと、私なりの想いを、伝え続けていきたいと思います。
疑問なのですが、魂の墓場から復活?してきた霊と会ったことがありますか?
またもしあれば、その霊はどのようにして変わることができたのでしょうか?
のぞみさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
ええ、私自身もぜひそんな機会を持ちたいとは思っているのですが、現時点では、魂の墓場から抜け出たひとと対話したり関わったりした経験はありません。
自殺してから反省のときを経て生まれ変わっていったひとたちなら何人も話したことがあるのですが、魂の墓場に落ちるところまで行ってから復活するのは、やはり並大抵のことではないのだろうと思います。
ですがそれでも、この世界には
「完全に可能性がなくなる」
ということはないということも、私は知っています。
世界は無限に続き、存在は完全には消滅しないからです。
ですから私は、いつかはすべてのひとが、喜びとしあわせのなかに生きられることを信じつつ願っていますし、私自身も、そのように生きられるようになりたいと、そう思っています。
彼が自殺してちょうど10年になります。
霊がわかる友達が、
自殺者は、いつまでも成仏できないでフラフラしてて生前の記憶もなくなり自分が誰だったかもわからなくなり、何が何だかわからなくなって死霊になるからさまよう。
居心地いい所見つけたらそこにいるだろうし。
居心地いいのは大体心霊スポット化してると言っていました。
亡くなった彼も、もう生前の記憶がなくて自分のことも何も分からなくてフラフラしてるだけだって言ってました。 もう魂の墓場へ行ってしまったっていうことなんでしょうか。
もう救ってあげることはできないんでしょうか。
私のこともわからないのであれば
いくら願い続けても、救いたいって思い続けても何をしても、もう彼には何も届かないのでしょうか。
私や彼の母親の思いや言葉はもう届かないのでしょうか。
彼は、成仏できないのでしょうか。
ずっとずっと苦しみ続けて、ずっとこのままなのでしょうか。
また、亡くなった人はいつもどこで何をしてても見ているとか、何を思ってるのかお見通しだと聞いたことがありますがどうなのでしょうか。
質問ばかりで申し訳ございません。
真実を知るのが怖くて、ちゃんと向き合うのが怖くて逃げていましたが、10年経ってやっとこのような質問ができるようになりました。
宜しくお願い致します。
アップルさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
まず前提として、このようなことはまだまだ見解にあまりにも大きな隔たりがあるため、私と違う見解を持っているひとたちも山ほどいるわけなのですが、ともかく私としては、私なりの見解を率直にお伝えして、あとはあなたにも一緒に考えていただければと思います。
そのうえで、私がここで言っている
「魂の墓場」
というのは、少なくとも自殺してから数年や数十年で行くような場所ではないです。
歪んだ恨みつらみなどから負の霊となり、そこからさらに根本の理由さえも忘れ、感情さえ限りなくなくなってしまうというような段階を経て初めてそこにまで行き着いてしまうということなので、たとえどんなに負の感情が強かったにせよ、数十年や数百年ではそこまで行かないと思っていいです。
そして、ともかくあなたがいちばん気がかりなことは、
ということなのだろうと思いますが、彼はまだまだ手遅れと呼ぶには早すぎる状態ですし、救えないわけでも、ずっと、ずっと苦しみ続けるわけでもないです。
そしてそれは、ある意味では、
「あなたご自身と共通している」
と言ってもいいです。というのも、あなたが
と言っているのと、彼が置かれている状況は、視点を換えるとほとんど同じでもあるからです。
彼も、自分と向き合いたくないから、忘れてしまいたいから、逃げ出したいから、そのようになっているのでしょう。
だからあなたがそうやって勇気を出してきているように、彼もいつかもう少しだけ勇気を出すことができたら、そのときはすぐにでも、彼に戻れるということです。
そしてその過程において、あなたや彼を愛するひとたちの想いが無意味だということなど、絶対にありません。
ですから、彼が今どんな状態・心境だろうと、あなたの想いからさえ逃げたいのだとしても、それでもあなたの想いが伝わっていることは、彼になんらかの影響を及ぼしていることは確かだということは、はっきりとお伝えしたいと思います。
そしてそのうえで、私も今を生きる肉体人として、あなたの生きた10年間の長さと重さを、私なりにではありますが、感じることができます。
本当に、長かったですよね。そしてこれからも、少なくとももうしばらくは続くのだと思うと、本当に、哀しくつらいですよね。
ですがだからこそ、私はあなたにもなんとか、生きていってほしいと思います。
そしてもし、あなたがずっとその想いを深め続けたまま生き抜いたとしたら、その力は必ず、彼を癒やし、本当の意味で反省させる強い力を持つことになるだろうということを、私は確信しています。
彼を愛するひとだからこそ、彼を本気で叱り、癒やし、向き合わせ、助けることができるのでしょう。
それはある意味では、
「重荷」
とも呼べるような葛藤や哀しみであることは、私もわかっているのですが、もしあなたがそれでもなおその道を進み続けようとするのであれば、私もそんなあなたを心から応援しているということだけは、憶えておいていただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
勝手な形で申し訳ありません。
ぽろっと、こぼさせてください。
自殺を考えていた事がありました。
どうしたら死ねるかな?
どうしたら迷惑のかからない死に方ができるかな?
と。
そうしたら、胸元辺りに「ドクン」と突き上げるように、
「生きろ!」
と声にならない意思が伝わって来ました。
そうしたら、なんだか笑えて来たんですよ。
私は生きていて良いんだと。
もっかい言ってほしいなぁと思いつつ、
でも甘えちゃいけないんだろうなと思いつつ。
このサイトを拝見していたら、上記の事を思い出しました。
ありがとうございます。
むめさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
こちらこそ、かけがえのない体験を共有してくださって、ありがとうございます。
もちろん人生にはいろいろなことがありますが、少なくとも今この時点では、そのときよりずっと自殺から遠ざかっているということですよね。
だから、この体験さえも忘れていたんですよね。
それならなおのこと、今までこうして生き続けていてくださって、本当に、ありがとうございます。
あなたの体験はここにも記録しておきますので、また必要なときにはここに来て、いつでも思い出してください。
そしてこれからも、お互いを支え合い励まし合いながら、生きていきたいと思います。
私からもどうか生きていてくださいと、何度でも、お伝えしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
自分は霊体になった時の感覚というものが想像できず、またこういう感覚は言葉にするのは難しい事かと思います。
自殺後で苦しんでいる霊というのは生きている人間が睡眠中に悪夢にずっとうなされているような感覚なのでしょうか?
例えば焼身自殺した場合、死ぬまでにかなり苦しむと聞いた事がありますが、それが霊体に変わって痛みをひきずっていた場合、肉体がある時と比べるとさらに痛くなったりするのでしょうか?
お手数ですがご回答お待ちしております。
kazukiさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですね、確かに霊存在になっても肉体の痛みや苦しみに引きずられてしまうことはよくあることで、それが自殺のような
「強烈な体験」
であればなおさらなのですが、それ以上にやはり
「強い後悔」
というのが、自殺者のいちばんの苦しみだと言えると思います。
そしてだからこそ、それは(もちろん、他者の手助けは受けられるとしても)やはり最終的には本人が自分と向き合い続けて晴らすしかないのだと思います。
またそれは
というよりもむしろ
「思い込みという悪夢から覚めたからこそ悔いが襲ってくる」
と言ったほうがいいと思います。
だからこそ私は、その思い込みをできるだけ早く、自殺する前に晴らすことができるように、そしてその手助けができるように、私なりに努めていきたいと、そう思っています。