リリーデール村。霊能力者が多く住むというその村に行ったなら、そこで私は受け入れられるのだろうか?

先日私はアメリカのニューヨーク州に「リリーデール村」という場所があることを知った。ここはもともとネイティブアメリカンが聖地として崇める森の近くにあるキャンプ場だったのだが、そのエネルギーに注目した霊能力者が10数人で土地を購入し、1903年ころから「リリーデール村」となったのだという。

そして現在では、人口200人のうちの多くがなんらかの「霊能力者」とその家族であり、その小さな村に年間3万人ほどの相談者が訪れるのだという。そしてそこで相談を受けるなどの活動を行うためには村が定めた半年に渡る「試験」に合格する必要があり、そこで「霊存在とのコミュニケーション能力」を認められた「正式な霊能力者」は、現時点で53人いるということだった。

こうした情報に触れた私は、こう考えずにはいられなかった。

もし、私がリリーデール村に行ったなら、そこで私は受け入れられるのだろうか?あるいは、もし私がその気になれば、私はその村の「54人目の霊能力者」になれるのだろうか?

私がリリーデール村の存在を知ったきっかけはテレビ番組だったのだが、そこでは何人かの霊能力者のもとを訪ね、その実態に迫ろうとしていた。そしてたとえば「相談者の名前を聴いただけで、相手の悩みや身の回りの状況を言い当てる」というようなことが為されている様子が記録されていた。ただそのなかでも私にとって特に興味深いことがあった。取材班が何人かの番組出演者の写真を見せて、そこからなにかを感じるかを訊いて回ってみたところ、ある霊能力者が

このひとからはなにも感じ取れません

と言っていたそのひとについて、別の霊能力者は様々なことを語ったのである。これはもちろん霊能力者ごとの「熟練度」の差から来るものもあるだろうが、それ以上にそれぞれの「タイプ」(特性、得意分野)の差を示しているものでもあると、私は考えている。

あなたは、「霊媒」(シャーマン)という言葉からどのようなひとを想像するだろうか? 山奥に住んでいて、一風変わった身なりをし、香を焚いた部屋で...

また、ここに住む霊能力者のなかには、親子何代にも渡って霊能力者として活動していたり、警察などの捜査にも協力していたりするようなひともいた。しかし、私はそのようなことはできない。なぜなら、なんらかの未来を予知したり、モノから記憶を読み取ったり、相手の個人情報を見抜いたりするような能力は私にはないからだ。ただ私にできるのは、

「相手の想いを読み取る」

ということだけなのだ。

しかし、それをどうやって「証明」することができるだろう? たとえば遺族に向かって、

あなたのお子さんはもう死を受け入れ、楽しく過ごしていますよ

と言ってみたところで、相手がそれを確かめることはできない。だから、

お前は気休めのために当てずっぽうなことを言っているだけだろう!

と言われてもしかたがない。

「霊媒師」や「霊能力者」(超能力者)の力を「証明する」ということはどういうことなのだろうか? 最も明快なのは、 「相手の目の前で...

ということはつまり、私がこの村の「試験」に合格できる可能性は、そう高くないかもしれないということである。

あるいは、相手も霊能力者であるなら、私が「詐欺師」でないことを見抜いてもらえることもあるかもしれない。実際私のある友人は、出会ってそう間もないときに

あなたも「力」を持っているのではないですか?

と私に言ってきた。このようなことがリリーデール村でも起こるなら、案外私はすんなりとそこに受け入れられる可能性もある。

こうしたことをいろいろと考えてみると、私にとって「リリーデール村」がとても興味深い場所であることは間違いない。だが、思えば私は青森の「イタコ」にも沖縄の「ユタ」にも会ったことはない。いずれそんな機会があればとは思うが、無ければ無いでいいではないかという気持ちもある。それに私はリリーデール村に住んでみたいとも思っていない。私にとっての居場所は自分で作った。それがここだ。そしてこの『闇の向こう側』が、世界の謎と自分自身の謎に挑み、ときに翻弄されているあなたにとっても、少しでも居心地のいい場所であることを、私は強く、願っているのである。

コメント

  1. だれか より:

    霊能力の先に人間は立っているようです。霊能を人の上に立たせずに、頑張ってくださいね。

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私は以前、

      あなたは、「霊能力者」になりたいと思ったことがあるだろうか? ただひとくちに「霊能力」と言ってもそこからなにを連想するかはひとによって様々だ...

      と書いたこともありますが、あなたのおっしゃるように霊能力を私たちの上に立つものと捉え、そのような「特別な力」を得ることに固執すれば、ときとしてそれは大きな苦しみを背負うことになるでしょう。

      ただ私にとっては「霊能力」も本来的には「学力」や「運動能力」と同じように、それぞれに得意不得意があるだけの「技術」に過ぎないと考えています。

      そして私もその世界に触れた一介の存在に過ぎませんが、そのなかで自分にできることを、ささやかながらこれからも続けていきたいと思います。

  2. だれか より:

    先日、古い友人が霊能力に目覚めました。毎日、菩薩や鳳凰etcがお辞儀をしながらやって来て、いろいろと教えてくれるそうです。霊能は技術というより、自然現象のようなものかもしれませんね。釈迦やイエスに話しかけられた末に、家族に切りかかった知り合いもおり、避けていても霊能者に出会うような人生を私は送って来ましたが、こちらのブログから感じる苦しみのようなものが気になっていました。20年以上も前に、とある老人に出会い、このように言われました。「霊能、それがどうした?そのようなものは脇に置いておけ…」と。嵐が来たり、太陽が出て来たからといって、日常を振り回されるようなことはあるまい…と。

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      以前にもどこかで書いたかと思いますが、私は当初自ら望んで霊能力を得たのではなく、「巻き込まれた」と言えるようなかたちで霊界との関わりを持つようになりましたので、霊能力を「自然現象」と見なす考えかたにもなるほどと思います。

      ただそのうえで、その「現象」に対してどのように「対処」するか、そこに「技術」が見出される余地があるというように私は考えているのです。それがなければ、私はまさに「嵐」に呑まれ、自分を見失っていたでしょう。

      そしてそのような道の先に、私が期せずして霊存在と出逢ってしまったことを最終的に「後悔」(不運への嘆き)のようなもので終わらせることなく、

      深い学びだった

      と振り返られるような未来があるとするなら、私はそのような可能性をこそ、これからも追い求めていきたいと思います。

  3. だれか より:

    現実にあなたの心の叫びが、多くの方々を勇気付けていると思っています。みんなでいろいろな出発点から歩いているこの地球で、学んで行きましょうね。素敵な学びと想いのシェアをありがとうございます。

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私の前にも多くの先人たちがいたように、私の後にも多くの方々が私と似たような体験をすることになるでしょう。ならばそのときになにか少しでも私の経験が役立つものであることを願わずにはいられません。

      私を導いてくれた多くの存在によって私が生きてこられたように、私も誰かにとってのそんな存在でいられたなら、そのときこそ私は自分の体験、そして自分自身を、もっと深く肯定できるようになれるのではないかと、そう思っています。

  4. だれか より:

    今度の夏、行ってみようと計画中です。 バッファロー空港で降りて行ってみようと思います。通訳をどうしようかと悩んでます。いい方法があれば情報をください。

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      確かに、リリーデール村に行く場合、言葉の壁はひとつの問題になりそうですね。

      それに霊的なことはある種の「専門用語」でもありますから、通訳者もそう容易ではないかもしれません。

      アメリカで個人的に通訳者を雇うには人件費も比較的高額なようですし。

      残念ながら現時点での私の知識ではあまりお役に立てそうもありませんが、ただだれかさんの求めているものの内容によっては、私でも多少は代わりにできることがあるかもしれません。

      たとえば探しものを見つけるとか、事件の犯人を特定するといったことは私にはできませんが、守護霊さんの言葉を聴いてみたいというようなことなら私にもできます。

      もちろん現地の自然を味わいたいとか、その村に住むひとたちを知りたいといった理由もあるでしょうから、私にすべてが補えるわけではありませんが、よろしければ頭の片隅にでも置いておいていただければと思います。