今日もまた生き抜くために。守護霊の存在をもういちど思い出してみてほしい

先日私はある読者のかたからメールをいただいたのだが、その内容は私も含め多くのひとたちがいちどは考えることなのではないかと感じられるものだった。

そこでそのひとにご協力いただき、ここにそのメールの一部を引用することにした。それに対する私なりの考えはこれから書くのだが、その前にあなたにもぜひこれを共有し、一緒に考えていただければ嬉しく思う。

それは、以下のようなものである。

「守護霊は、いつもあなたを見守り、励まし、愛している」について

現在、私は非常につらい状態にあります。ふと思ったのが

守護霊も全く同じように苦しんでいるのでしょうか。

そのような辛い状態でもなお私を励まし愛してくれているのでしょうか。

というのも仮に守護霊が苦しみや不足の無い世界に身を置いている状態で

この不自由な世界の住人に「愛している」だの「頑張って」だの

言っているのであれば、それは嫌味でしかありません。

思い通りの世界で愛や幸せや喜びを叫ぶことなら誰にでもできます。

私自身、まだ霊界との関わりが浅かったときには、よく守護霊などに対して、

こちらの世界で生きてもいないあなたに、私の想いのなにがわかる!

などと言ってみたりしたことがよくあった。そのように当たり散らすようなことは、今でもまったくなくなったわけではない。

ただ、今の私に言えることは、たとえ私たちに「嫌味」だとか、あるいは

「高みの見物客の戯言」だ!

などと思われようが、私たちを励まし、愛してくれる存在が守護霊であり、それが彼らの「役割」でもあるということである。

想いの世界(≒意識、想念の内部)において、私たち肉体人と守護霊はいつもつながっている。だから私たちが嬉しいときも苦しいときも、それはすべて守護霊にも伝わっている。なぜそのような感情を抱いているのかも、すべてわかってはいる。私たちが苦しめば守護霊も苦しい。どうすれば喜び多い人生を送ってもらえるのか思い悩むこともある。しかしそのうえで、相手と同じように苦しみ続けたり、希望を失ったりするようなことなく、いつも私たちを励まし、喜びの想念を流し続けるのが守護霊なのである。

もし、このような役割を果たす守護霊がいなければどうなってしまうかと考えれば、おそらく私たちはもっと容易に、そしてもっと深い負の念に苛まれることになるのだと思う。なぜなら今までも何度も書いてきたように、霊界には守護霊とは対極的に、私たちにずっと負の念を流し続け、奪った喜びを自らの糧として生きる負の霊団(「曇り」・「穢れ」・「邪」・「魔」)がいるからである。それは私にも、たとえば

お前なんか死んでしまえ!

お前の親しいひとはいずれ離れていくんだ!

そのうちお前は一文無しになるんだ!

とか、ありとあらゆることを言い続けてまさに文字通り「気を滅入らせよう」としてくる。それは別に霊媒師であるかどうかに関係はない。彼らは静かに私たちの意識に入り込み、ときに攻撃的に、または自滅的に、あるいは無気力にさせる。そのような動きから身を護るためには、もちろん私たち自身の気の持ちようがいちばん大切ではあるのだが、やはりそこには守護霊のはたらきに助けられている部分もとても大きいのである。だから、守護霊は間違いなく、私たちの「最大の協力者」であると言えるのである。

だから、もしあなたが今とてもつらい状態にあり、自暴自棄になったり、すべてが八方塞がりのように思えていたりしたとしても、決して諦めないでほしい。ましてや自殺をするようなことだけは断じてやめてほしい。それは根本的な問題の解決にならないだけでなく、却って苦しみを深めることにすらなるのである。

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

たとえあなたがまだ信じられなくても、あなたにも守護霊がいて、いつもあなたを見守っている。つらいときにはせめてそのことを、思い出してみてほしい。そんなことですぐに現状は変わらないかもしれない。だが、たとえ誰かに悪態をつきながらでもいいから、私はあなたにも最期まで、今日も明日もあさっても、生きていてほしい。そしてそれは私だけでなく、あなたを想うすべての存在が、心から願っていることなのだ。そしてあなたを大切に想う存在は、あなたが気付いていなくても、たくさんいるのである。どうかそのことを決して、忘れないでほしい。

この話題は、以下に続きます。

前回、自分が孤独で生きる気力も持てないと感じたようなときには、守護霊の存在を思い起こしてほしいと書いた。 これはある読者のかた...
先日からある読者のかたとのメールをきっかけとした文章をいくつか書いてきた。 そのやりとりのなかで、私は 生きるこ...