今日もまた生き抜くために。もしあなたが望むなら、守護霊と対話してみるという選択にも意義はある

先日からある読者のかたとのメールをきっかけとした文章をいくつか書いてきた。

先日私はある読者のかたからメールをいただいたのだが、その内容は私も含め多くのひとたちがいちどは考えることなのではないかと感じられるものだった...
前回、自分が孤独で生きる気力も持てないと感じたようなときには、守護霊の存在を思い起こしてほしいと書いた。これはある読者のかた...

そのやりとりのなかで、私は

生きることが苦しくなっている

というお相手に対して、大まかに言えば

「守護霊がいつもあなたを見守っている」

ということと、

「自らの選択によって人生は様々な変化の可能性がある」

ということを伝えた。そして最後に、

もしご自身が望むなら、あなたの守護霊さんからのメッセージを伝えることもできますが、どう思いますか?

という提案もさせていただいたのである。

するとそのお相手から、次のような返信が返ってきた。なお、このあとのものも含め引用はすべてご本人の了承を得たものである。

思えばふらふらと「闇の向こう側」様に辿り着いた時

「自殺して後悔しなかったひとに出会ったことはない」のメッセージが

最初に目に入りました。

「自殺はよくない」

よく聞く素晴らしい言葉です。本当にうんざりします。

この手のメッセージで心を揺さぶられたのは初めてでした

そして一番多く読まれているということは

私みたいに死にたいほど辛い人がたくさんいるのかな

それはとても悲しいことだなと思うと共に

このメッセージを見て私みたいに何かのきっかけになったり

救われる人もたくさんいるのかな

それはとても素晴らしいことだなと何とも言えぬ気持になったのでした

「苦しみのなかでいかに喜びを見出すか」はとても困難な課題です。

経験上、苦しみの中だと以前まで喜びだったものまで喜びではなくなってしまうので。

素直な人であれば当たり前のことも喜びに感じるかもしれませんが

私はずいぶん捻くれてしまったので当たり前の事は当たり前です。

私は苦しみもなく幸せな人生を送るのは当たり前だと思っています。

なのでそうではない今、とくべつ不幸だと思っています。

些細な喜びも所詮些細なことです。

管理人様、素敵なご提案ありがとうございます。

そして「闇の向こう側」様に初めて出会ったときから信頼しております。

守護霊の言葉、聴きたくもあります。

ただ、このように拗ねて捻くれた私が守護霊の愛ある言葉を素直に聴けるとは思えないのです。

守護霊が愛し励ましてくれているのはわかりました。

しかしそれが守護霊の役割(仕事)である、現に私には苦しみしかない以上まったく感謝していません。

毎日悲しい思いをさせるばかりです。

こんな私に守護霊の言葉を受け取る資格があるのでしょうか。

私には、その言葉を受け取るだけの素直な心が無いように思います。

私はこの言葉を受けて、

素直である必要はないですよ

ということを伝えた。なぜなら「素直である」というのは

「相手が真に自分のことを思って発言したものであり、かつ相手の認識に一切の思い違いや誤りがない」

という前提があって初めて自分のためになるものなのだが、少なくとも現時点での私たちの社会では、その前提はなかなか成り立たないからである。

たとえばあるひとがあなたに、

この神具を10万円で買えばあなたはしあわせになれますよ!

などと言ってきたとしよう。それにあなたが

なぜこれを買うことで私はしあわせになれるのでしょうか?

と訊いたとき、相手はもしかしたらこのように言うかもしれない。

細かい理屈は要らないのです。ただ「素直に」このチャンスを掴みさえすれば、あなたは間違いなくしあわせになれるのですよ?

しかしこれにあなたが「素直に」従ったとしても、私はあなたがしあわせになれると言い切れる自信はまったくないのである。

だから私は、

私たちに必要なのは「素直になる」ことではなく「向き合うこと」であり、(無条件に)「信じる」ことではなく「見極めること」(なにを信じるかを選ぶこと)だ

と考えている。そして私は

守護霊の言葉を聴くのに「資格」は要らないですが、ただひとつ自分の「意志」(自己選択)だけは必要です

ということを伝えた。

するとそのひとは、次のようなお返事をくださった。

生きる力が湧いてくるようです。

久しぶりの感覚で戸惑っておりますが嬉しいです。

自分で言うのもなんですが私は以前とても素直な人間でした。

なんなら「素直であること」は幸福の絶対条件だと疑いませんでした。

痛い目にあっても自分は間違ってないはずだと。

実際には失うことばかりでした。

次第に信じるに値するモノはこの世に無いと思うようになりました。

何も信じないのは自分を守るには簡単で最高の方法でした。

得るものもないかわりに失うものも少なくて済む。

しかし今それが積み重なって自分に還ってきているのかな

とも思っています。

きちんと向き合わなければいけない時なのでしょうかね。

守護霊はとても愛のある言葉をいってくれるでしょう。

それに対し今更信じることや素直になることは恐らく無理です。

見極めや厳しさの裏にある愛を汲み取れないかもしれません。

ですがその言葉にきちんと向き合い思いを馳せることならできます。

是非、守護霊の言葉を教えてもらえないでしょうか。

それに応えて私は、ご本人に守護霊さんの言葉を伝えた。その内容はここには書かないし、そもそも私の記憶には残っていない(お送りしたメールデータも、無事に届いたことを確認した時点で削除した)のだが、そのあとでご本人は次のように言ってくださった。

守護霊の言葉は始終、温かい言葉に満たされていました。

厳しい言葉も覚悟して、反発も辞さない構えだったのですが

うまく言えませんが無償の愛なのでしょうね。

それも毎日ずっと変わらずに。

すごい奴がいたものです。

想念でつながっているのを知った時

負の念に満たされていることを

本当に申し訳ないと思いました。

でも今回言葉を聴いて、そういうのも全てひっくるめて

受け止め愛してくれたのかなとも思います。

おそらく今後も悲しみや怒りを向けるでしょう。

そのへんは甘えさせてもらいます。

全てを信じる事もすぐに変わる事もできませんが

すごい奴が味方に付いてるということ胸に

できることから始めたいと思います。

きっかけをいただいた管理人様、すごい存在たちに感謝します。

私がこの言葉を聴いたとき、どれほど嬉しかったかはとてもここに表しきれない。それにご本人の言葉とは裏腹に、私はこのひとはもう大きく変わったのだと思う。そしてきっと、これからも生き続けてくれるだろう。この喜びはなにものにも代えられない。そしてこの経験を他の方々にも活かしてもらえたらと、メールの引用を全面的に快諾してくださったことにも深く感謝している。本当に、ありがとうございます。

確かに今回私は少なからずこのかたのお役に立てたのかもしれない。それは素直に嬉しいのだが、それ以上に私のほうこそ多くのことを学び、助けられたのである。だからこの読者のかたはもちろん、今回のことに携わったすべての存在に、私は深い敬意と感謝を申し上げたいと思う。そしてもし、この体験をここで共有したことがあなたにとってもなにかの喜びにつながるのなら、それは私だけでなく多くの存在にとって、無上のしあわせと言えるものなのである。

なお、もしあなたも守護霊さんからの言葉を聴いてみたいという場合には、まず

今年も節分を過ぎ、これから少しずつ春に近づいていくのでしょう。いかがお過ごしでしょうか?以前私はという前提を確認し、...

を読んでいただいたうえで、お気軽にご相談いただければと思います。

よろしくお願いします。

コメント

  1. さい より:

    守護霊さまからの言葉に「すごい奴がいるもんだ」
    という表現に心が動きました。

    私も、自分に向けられた人の言葉に素直に頷く事は少ないです。

    しかも、自分から意見を求めておいて、後でムッとしたり。

    人の意見、アドバイスは、相手のエゴの押し付けや、見下しを感じてしまったり、
    ピンとこない事が多かったり。。。

    思いやりを持って、誠実に言ってくれれば聞きますが、

    そんな事は稀です。

    なので「すごい奴」の言葉、というものに
    とても心引かれました。
    自分も聞いてみたい、と思いました。
    と言っても、何を言われるのか少し怖いのですが。。。

    私は時々、困った時などに心の中で

    守護霊さまや指導霊さま(と呼んでいる)と会話するのですが、

    基本、未来の事や問題の解決策等は教えてもらえず、

    (言われたとしても、その通りにいかない)

    知らない知識や他人の心を教えてくれる訳でもなく、

    既に終わった事の解釈を聞く。(これはお見事!という時があります)

    と、時々、私への励ましを言ってくれる。

    みたいな感じなので、

    これって自分の妄想なのかなあ?とか、

    本当は誰と話してるんだろう?と思ったりします。

    この方達は冷静で、感情はあまり感じません。

    私や誰かを責めたり、押し付ける事もありません。

    いつも淡々と会話していて、私の味方ではあります。

    しかし、私はまだ「妄想?」と疑ってる域なので、

    守護霊さまをリアルに感じてみたいものです。

    • Dilettante より:

      さいさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      誰かの助言を受けるのも、逆に誰かに助言するのも難しいものですよね。

      私も日々「伝えかた」を学んでいるとも言えると思います。

      ただ守護霊というのはそれだけの「体験」と「意志」を持ってその役割に就いているのですから、やはり「すごい」方々なのだと思います。

      ところで

      「自己や他者の想念を読み取り、交流する」

      というような能力(いわゆる「霊能力」のひとつ)は本来誰もが持っていたものなのですが、現代の私たちのほとんどはそれを眠らせているのが現状です。

      ですがどうやらさいさんはそれを引き出しつつあるようですね。あとはそれをどれだけ活かすか、それはさいさんの意志次第でもあります。

      ただ自分のことだからこそ自身を疑ってしまうという気持ちは私にもわかりますし、もしさいさんが望むなら、私から守護霊さんの言葉をお伝えすることもできます。

      ですからそのときはご遠慮なく、いつでもおっしゃってくださいね。

  2. さい より:

    Dilettanteさん。

    返信、ありがとうございます。

    私は自己や他者の想念を読み取り、交流してるのでしょうか。。。

    他者の気持ちにはかなり疎い自分ですが、

    できるなら、この能力をもっと伸ばしたいです。

    仕事にも必要な能力ですし。

    守護霊さんの言葉

    >いつでも、とおっしゃって下さりありがとうございます。

    とても興味はありますが、まだ少し怖いです。

    でも、そのうちお願いするかも知れません。
     
    ありがとうございました。

    追伸・以前、勧めて頂いた「玄米」をあれから何度か食べました。

    7号食までは、まだまだですが、

    わりと美味しかったので、時々取り入れたいと思います。

    • Dilettante より:

      以前

      先日あるひとから、自分の守護霊と自分の力で対話できるようになりたいのですが、どうすればいいのでしょうか?という相談のメールを...

      という文章にもまとめましたが、そのような

      「他者の想いを読み取る」

      という能力を伸ばしていくと、結局は霊存在との出会いも避けて通れないものとなります。

      特にさいさんのように、既に心のなかでなんらかの存在と対話しつつあるようなひとならなおさらです。

      そしてそこでは、さいさんに負の念を送ろうとするような存在も多々出てくるでしょう。

      そうなったときこそ、自身と守護霊とのつながりの深さは大きな力になります。

      大切なことは、

      自分がなにを恐れているのか?

      そして

      なぜ恐れているのか?

      を知ることでもあります。そして「無知」というのは恐怖を増幅させるひとつの要素でもあります。

      そう考えると、相手に対する(無用な)恐怖を克服するためには、いちど思い切って向き合ってみるといいとも言えると思います。これは守護霊に対しても同じことです。

      私に言わせれば、守護霊はまったく怖い存在ではありません。

      むしろ私も含め「ひとの心の声」のほうがよほど恐ろしく感じられることがあります。

      生きていればいろいろなことがあり、他者の心に寄り添おうとすればするほど自他ともに様々な面を見させられることになりますが、そのときにこそ

      誰が自分の協力者なのか?

      ということを見失わないでいていただければと思います。

      そういったことに心の整理がついたとき、もし私にできることがあれば、いつでもおっしゃってください。

      それから玄米は品種によっても味や固さなどに違いがありますが、もしかしたら初めは完全な玄米ではなく「分搗き米」から徐々に慣れていくのもいいかもしれません。

      地域のお米屋さんや、ネット上のお店などで相談してみるという手もあると思います。

      どちらにしてもなにごとも焦らず、ゆっくりとご自分の歩調で進んでいってくださいね。