霊存在はいつでも、どこにでも、誰のところにもいる

最近はひと昔前よりは減っているとは思うが、それでも夏になるといろいろなメディアで「心霊特集」といったようなものを見かける機会が増えると思う。そしてその立場は基本的に「恐怖を煽る、おふざけ半分」のようなものがほとんどであるように見え、それは攻撃的な霊存在をむやみに刺激するだけでまさに百害あって一利なしといっていいようなものなのだが、彼らは様々な「心霊スポット」を巡ったり、「真夜中」に墓場に行ってみたりする。

しかしそんなものを怖いもの見たさで観て「涼んだ」あとでこんなことを言うひともいる。

でもさぁ、今まで何人のひとや動植物が死んだと思ってるんだ?もし本当に霊がいるってんなら、そんなやつらがそこらじゅうにうようよいて、世界にあふれかえってるってことになるじゃないか?バカバカしい!

こういったことを言うひとのほとんどは

だから霊なんていないんだ

という結論に行き着くのだろう。そしてもちろん私はその意見には賛同できない。ただし、それは「結論」についてであって、それ以外には概ね同意する。つまり、霊存在はまさに「そこらじゅうにあふれかえっていて、いつでも、どこにでも、誰のところにも」いるのである。

今私がこれを書いているのは昼間である。もし、霊存在が夜間にしか現れないのなら、私は今ならどんな霊存在の干渉も受けずにいられることだろう。しかし実際には、こうしている間にも

いつ書くの止めるの?今でしょ!

暑いんだからこんなことなんかやめたら?

せっかくの人生を無駄にしてるね〜

などと様々なことをいってくる霊がいくらでも現れる。もちろん私の家のそばに墓や病院があるわけではなくてもだ。そんなことは大きな要素ではないのである。

だが、だからといって「時間」や「場所」が霊存在の出現や性質にまったく無関係なのかといえばそうでもない。というのも私たちの

ここにはなにかがいるのではないか?

という疑念や恐怖、あるいはある種の「期待」のような「想い」(想念)が、実際に霊存在の「力」になるからである。そう考えると、なぜ昼間よりも夜間のほうが、なにげない場所よりも「心霊スポット」のほうが、よく晴れた日よりも雨の日のほうが、霊存在の目撃頻度が多くなるのかといった疑問にも答えが出せる。これは心理学や民俗学といった学術的な見地から言えば、

「よくわからないもの(未知のもの)に対する畏怖の念」が「神話」や「伝承」あるいは「妖怪」といった類のものを生み出したんだよ

とでも言えるのかもしれないが、これはもしかしたら当人たちが考えている以上に正しいと言えるかもしれない。いわば

「あると思えばあるが、ないと思えばない」

というのも確かに一理あるのだ。「信じられている」ということそのものが、力の源だからである。

だから私があなたに知っておいてほしいことは、あなたが意識していようがいまいが、あなたの周りにも確実になんらかの霊存在がいるということである。これはあなたに怖がってほしくて言っているのではない。ただそれが自然なことだということを受け入れてほしいだけなのだ。そしてそれがわかれば、どこにいても不要な警戒心を持つ必要はないということに気付くだろう。それに、誰であっても必ず守護霊はいるのだ。そして、それは肉体を離れた霊存在に限らず、生きている肉体人同士の間でも、お互いを大切に想っていれば、それが「守護」としてはたらくのである。

つまり、

誰にどんな力を与えるか?

ということも、あなたの「選択」に大きく左右されるのである。だからせっかくなら

怖いなぁ。ここはなんかいるんじゃないか?そもそも自分は嫌われ者だから、誰かが私を呪ってるんじゃないか?

などといった負の念を持ってそのような存在を強くするのではなく、自分にも守護霊がいることを認識し、喜びをたくさん見出しながら生きることに力を注いでほしい。それができれば、霊存在が「いつでも、どこにでも、誰のところにでもいる」というこの事実にも、恐怖ではなく喜びとともに、向き合えるようになるはずなのだから。