「お前はなんだ、聖水か、塩か、呪文か、それともにんにくか?」と言ってきた霊の哀しみ

ごく特殊な例外を別にすれば、私たちは誰も他者を積極的に傷つけたいなどとは思っていない。まして自分に近しいひとに対してはなおさらである。

私の周りにはなにをしでかすかわからないひとがいるので、私も自らを護らなければならない

という想いがひとつのかたちを成したとき、私たちは自らを護るための手段を講じるようになる。それは単位が「国家」なのか「個人」であるかということには関係がない。単に呼び名が変わるだけだ。そしてある種の状況下においては、私たちは「正当防衛」というものが認められることがある。

だがたとえ相手にはあなたを傷つけるつもりがなかったにせよ、そう思われてもしかたがないような行動をとってしまった場合、あなたは相手の機先を制するために攻撃するかもしれない。そしてそれが「正当防衛」と見なされることもあるだろう。なぜなら相手に本気の害意があるかどうかまでは、あなたにはわからないからである。

あのままなにもしなければ殺されるかと思った

なら、誰もあなたの行為を強くは責められない。

だがもしかしたら、あなたが「正当防衛」だと思ってした行為は、実は「過剰防衛」だったのかもしれない。相手はただあなたを驚かそうとして、おもちゃのナイフを突きつけただけかもしれない。不審者が家に侵入したように見えたのは、ハロウィンの仮装とイベントだったのかもしれない。ときにこのような「思い違い」が、大きな悲劇につながってしまうこともある。そしてもちろんそれは、肉体人同士の間にだけ起きることとも、限らないのである。

ちっ、お前も「わかるヤツ」だったのか、それでお前はなんだ、聖水か、塩か、呪文か、それともにんにくか?

ある日私は強い負の念を感じ、いつものようにその相手との対話を試みた。すると私がまだなにを言いもしないうちから彼が発した第一声がこれだった。

なんのこと?

と私が訊いても彼は止まらない。

それともあれか、守護天使か、六芒星か、クリスタルか?でなきゃ護符か、式神か?まさかもう魔法陣をここに書いて待ってたってのか? だがこっちにはな、それ相応の反撃の用意が……

ちょっと待った!私はただ、あなたと話がしたいだけだよ

と言っても彼は、

なるほど、「言霊遣い」ってわけか、これは新しい展開だ。だがだからといってまだ勝負は……

などと言ってくる。

ここで面倒になって折れてはなんの意味もないので、ただひたすら

違う、私はただあなたの「言い分」を聴きたいんだよ。なんでこんなふうにひとに負の念を送るの?イライラさせて楽しい?

と重ねて訊くと、彼は、

ふん、先に仕掛けてきたのはいつもお前らじゃないか

と言うので、私が、

でも、今までのひとがどうであれ、「私」はまだあなたになにもしてないよね?

と言うとついに彼は、

……確かに

とようやく落ち着きを取り戻してくれたのである。

そこから少しずつ彼から聴き取っていった話をまとめると、こんな感じになる。

俺はな、最初はただ聴いてほしかったんだよ、俺の生きてたときの話をな。だって、寂しいじゃねぇか、誰の記憶にも残らねぇなんてのはよ?それに、それだってちったぁおもしろおかしく話してやれる自信だってあったんだぜ、なんたって俺の「武勇伝」じゃねぇか。それがあいつらときたらなんだ、「死んだ」ってだけで悪霊呼ばわり、話も聴く前から攻撃してきやがって。路上で酔い潰れたおっさんにだってもう少し優しいもんだぜ?それでやれ「成仏しろ」だの「天に還れ」だの「聖炎に焼かれろ」だの、「在るべき場所に帰れ」だのってよぉ、毎度毎度こてんぱんにしてくれやがって。その度に俺は思ったね、「絶対にこんな横暴には負けない。次はもっと強くなってやる。ここからが俺の「武勇伝」の第2幕だ」ってな!

こうして彼は、それから様々な環境のいろいろな霊媒師に接し、敗れ、そしてその度により強い負の念を抱く存在として這い上がってきたのである。だが私が最も安堵したのは、彼がまだ私の手に負える段階で現れたことだった。しかしそれでももし私がもっと「攻撃的」な霊媒師であれば、今回もまた彼は私に敗れ、その結果いずれもっと強力な存在になっていたことだろう。だから逆に言えば、私に出会うのがもう少し後であれば、負けていたのは私のほうだったかもしれないのである。

しかし、それ以上に重要なことは、彼が私に勝とうが負けようが、「闘争」という負の螺旋のなかに生き続ける限り、彼も少しずつ自らの「エネルギー」と「自意識」を失い、やがては「魂の墓場」に行き着いてしまうということである。

先日、ある読者のかたより、 「魂の墓場」とそこに至る過程について、もっと詳しく知りたい という趣旨のメッセージをいただいた。そこ...

そしてもちろん、そこに至る過程のなかで、彼は多くの存在を巻き添えにしていっただろう。

実際、彼は

自分も初めはただ想い出話を聴いてほしかっただけだ

ということを忘れかけていた。つまりこれが行き着くところは「闘いのための闘い」にほかならない。そしてそのときこそ彼はただの「戦闘狂」になってしまう。しかし、もともと彼の奥底にあった想いは「怒り」でも「敵意」でもない。ただ私たちの多くが抱えているのと同じ、「寂しさ」だった。そしてそれを変えたのは、「私たち」の「疑心暗鬼」だったのである。そのことにお互いが気付き、胸のうちを語り合ったあと、彼は笑ってこう言った。

やっぱり、お前さんは腕利きの「言霊遣い」だったんじゃねぇか

私は彼からの最大級の賛辞を受け取りながら、

このひとはこんな穏やかな表情もできるんだなぁ……

と感じていた。

私の周りにはなにをしでかすかわからないひとがいるので、私も自らを護らなければならない

私はこの意見をまったく無視できるとも思わない。私自身、もし大切なひとが危険に晒されていればなんとしてでも護りたいと思うし、家の玄関にはカギを掛けてから出かけるし、銀行口座の暗証番号を不用意に口にしたりはしない。

だが、本当に私の近くにいるひとは「なにをしでかすかわからない」ほど「危険」なひとびとなのだろうか?私たちは、ただ相手を「知らない」から、あるいは「知ろうとしない」から、ただお互いに相手を怖がりあっているだけなのではないだろうか?

確かに、今この世界に生きる多くの存在はなんらかの病み(悩み)を抱えている。もちろん私自身もそうだ。だが、その結果起きているいろいろな哀しい事件は、本当にそのひとが望んだ結果なのだろうか?もし、そのひとがひとりで抱えていたものを誰かと共有できていたら、また違った未来があったのではないだろうか?過ぎたことは変えられない。すべてのひとと私が関われるわけでもない。だがもし、あなたがなにかを抱えていて、それをつらく感じているのなら、周りを見渡してほしい。そしてもし私でいいのなら、私に声をかけてみてほしい。私はたいした善人でもないが、少なくともあなたに敵意は持っていない。そしてこのことを私に対してだけではなく、他者に対してお互いみんなが共有できる日が来たなら、そのときこそきっと、世界は変わるのである。