自分より上の世代の方々はすべて「先駆者」であり、下の世代の方々はすべて「希望」だ

まったく、今の若い者たちときたら……

と言いたがる壮年の大人たちがいる一方で、

これだから年寄りはイヤなんだ!

という若者たちがいるという構図は、今に始まったことではなくずっと続いてきたものだ。だが、単純に言って、

これからの時代を担う若者たちは、今の自分たちより善くなっているのか、それとも悪くなっているのか?

という問いに対する答えは、その社会の雰囲気や世相を映すひとつの鏡であると言える。

たとえば、平安時代には西暦1052年が本格的な「末法の世」の始まりだと考える説が拡がり、多くのひとびとが少なからず虚無感や厭世観に囚われていたとも言われている。実際、この頃にはその当時の社会の基盤を成していた「貴族社会」の仕組みが揺らぎ始めていただけでなく、各地で疫病や天変地異なども相次いでいたと考えられ、このことがますますひとびとに「末法の世」の到来を信じさせる力を持ったとしても不思議ではない。だとすると、このような時代には

「自分より下の世代」というのは「自分より悩みの深い、道を外れた、より堕落した存在」だ

と考えられるのも自然なことだ。なにしろ、あとになればなるほどますます「無明」が深まっていくのだから。

一方で、時代が一見「好調」であり、

今日よりも明日はもっと好くなる

ということをほとんどのひとが疑わないような社会情勢のなかにあるときには、

「自分より下の世代」というのは、自分たちの世代を乗り越え、成長し、ますます優秀になっている素晴らしい可能性を持った存在だ

と捉えられることになる。日本で言えば「高度経済成長期」などがこのような思想が多数派だった時代の一例と言えるかもしれない。確かに、今の時代にはまだ不可能ではあるが、あと100年、いや50年もすればその時代のひとびとはもっと素晴らしい発明をして、より「豊か」な世界を実現しているはずだ。だからそのときにはきっと、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』だって現実に存在していることだろう。なにせ私たちは日進月歩で右肩上がりの成長を続けていくのだから。

さて、こうした「世界観」は時代や場所によってももちろん違ってくるのだが、では現代の私たちはどう考えているだろう? 私たちは世代を経るに従ってより善い存在になっているのだろうか?それともますます堕落した存在になろうとしているのだろうか?

先ほど私は「平安時代」と「高度経済成長期」を例に対照的な世界観を見てみたが、これはある意味ではどちらも的中していると言える。少なくとも日本においては、現代人の多くはかつてほど信心深くはないだろう。それに世界的に見ても、「宗教」とは言ってしまえば「伝言ゲーム」のような性質を持っているのだから、開祖が伝えたかった真意はそれが無意識であれ意図的であれ随所に歪みが生まれ、私たちを混乱させている。そうでなければ「宗教戦争」など起きるはずもない。これはまさに「無明」の表れである。

一方で私たちはインターネットという広大な情報網を整備し、物理的距離にかかわらず驚異的な速度で情報をやりとりできるようになった。そして、私たちは地球をも飛び出して宇宙全体の探索に向けた歩みを続けている。これは確かに、「日進月歩の成長」のおかげだと言える。

だから、こうした状況を指して

私たちは物質的には豊かになったが、精神的には貧しくなった

と言われることも多い。これはあまりにも言い古された表現ではあるが、確かに一理はあるだろう。ただし、これはあくまでも日本も含めた一部の「先進国」にだけ言えることであって、世界全体の諸問題は相変わらず山積しているばかりか、ますます深刻化しているものも数多くあることは明らかである。

このようななかにあって、現代に生きる私たちは多くの「発展」の恩恵を受けていることを自覚しながらも、それがそれと同じくらい、あるいはそれ以上の「犠牲」の上に成り立つものであり、これをこれ以上推し進めたらどうなるかということ以前に、そもそもこのような社会が本当に「持続可能」なものなのかということにすら、まったく自信が持てなくなっている。というよりも、アタマのどこかでは、これがいずれは必ず破綻するものであることに気付いている。ただ、あまりにも目の前の雑事をこなすのが精いっぱいで、どうしようもなく余裕がないために、それを認めたとしてもどうすればいいかわからないから、はっきりとその感覚に向き合わずにいるだけだ。そしてこれこそが、私たちの多くが病んでいて、「閉塞感」を抱えている大きな要因であることは間違いないと思う。

そして私たちは、自分のことを考えるだけでも手いっぱいなのだから、そもそもこどもを産み育てることも、それ以前に人生の伴侶を見つけることもできにくくなっている。そしてそのような「未来」に対する不安を映すように、私たちは自分たちより下の世代を

理解できない

と口にすることも多くなった。「自分たちを乗り越えていく存在」だとか、「放っておくとすぐ堕落するからしっかりと導かなければいけない」とかいう以前に、まず

どう接していいかわからない

という感覚に囚われそうになるというのである。

これは単に現代の若者がなにか突飛な変化をしたからというよりも、むしろ私たちが

「余裕をなくした」

ということが最も大きい理由だと私は考えている。私たちに、そしてその集合体である社会に余裕がなくなるとどうなるかと言えば、まず「弱者」が切り捨てられることになる。そして、「他者」に対する想いやりがなくなる。「自分と違うもの」を受け入れることができなくなり、他者との関係は希薄化し、私たちはますます孤立を深めることになる。それがひとつの究極に達すると、

自分より上の世代は「アタマの固い老害」であり、下の世代は「能力のない未熟者」である

という考えになってしまう。では同世代なら協力し合えるかといえばそうでもない。なぜなら同世代の存在こそ最も警戒すべき「競争相手」だからである。このような考えが支配的になった社会をこそ私たちは「世も末」と評するのだが、私たちがなにもしなければいずれ私たちはこのような社会を生きなければいけなくなってしまうかもしれない。

だからこそ、私たちはいちど「原点」を確認しておく必要がある。それは、

「自分より上の世代の方々はすべて「先駆者」であり、下の世代の方々はすべて「希望」だ

ということだ。そして同世代に生まれたひとびとは、もちろんそのなかでも最も身近な「同志」たちなのである。

私たちが今こうしてこうして生きられているのは、それ以前にこの世に生まれてきてくれた多くの「先駆者」がいたからだ。そして私たちはそれぞれその「先駆者」の生き様を霊界から見つめながら、その成功も失敗も、苦悩も喜びもすべてを踏まえたうえで、自らもまたこの世に生まれてくることを決めたのだ。だから、この世の苦しみはすべて終わらせられる可能性があり、あらゆる喜びはどこまでも深められる可能性がある。そうでなければ、もしこの世に絶望し、打つ手がないと思っていたのなら、私たちは誰ひとりこの世に生まれてきてはいない。ただ、そのことを忘れてしまっただけなのだ。だから、思い出せばいい。

そして私の下の世代は、すべて私たちの生き様を踏まえたうえで、より深く練られた「解決案」を持ってこの世に生まれてきたのだ。だから、私たちはそれを引き出し、育て、協力していけばいいのである。

だから、私は私の上の世代の方々には深く感謝している。彼らは実に大きく、簡単には乗り越えられない。しかし、私は私なりの方法で、彼らの意志を引き継ぎ、必要だと思うところは変化させて、この世に表現していきたいと思う。だから、安心してほしい。

そして、下の世代の方々には大いに希望を持っている。私は今までも数多くの失敗をしてきた。きっとこれからもそうだろう。そして私は多くの「体験」とともに、不要な「固定観念」もまた多く身に付けてしまったかもしれない。だから、ここに書いていることも含め、採るべきは採り、棄てるべきは遠慮なく棄て去ってほしい。そうすればあなたがたは、私たちよりもっとうまくできるはずだ。だから、自信を持ってほしい。

私たちはそれぞれ、生まれた時代も場所も、いろいろな「違い」を持って生まれてきたかもしれない。だがだからこそ、私たちはかけがえのない「仲間」なのだ。そして私もこの世界に生きているのだから、まだまだ「現役」である。私は私にできることをするから、あなたもあなたにできることをしてみてほしい。そうすれば未来はもっと楽しいものになる。これは私の単なる「予測」ではない。「心からの確信」である。

コメント

  1. だれか より:

    確実に未来は開けているし・・

    明るい・・

    過去の海中の微生物から私達は、経験と思考錯誤を繰り返し

    人間の形を形成してきて天のハタラキに対して収穫物を捧げて来た

    そしてこんな悩みや喜びを表現出来るまで進化して今日に至りました

    日々生きている事を喜び

    明日も又いろいろあろうけれど・・起きてくる現実処理の毎日に・・

    「楽しいかい・・」

    「どうだ・楽しいだろう」と語りかけてくる存在に苦虫を噛みしめながら

    「そうですね・・楽しいですよ」と返答する私です

    日々おつとめ・・ありがとうございます。

    ひそかな読者より

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      日々

      楽しいかい?

      と問いかけてくるのはまさに私の師を思い起こさせられますが、そのなかで葛藤を感じながらも

      楽しいですよ

      と答え、

      確実に未来は開けている

      と感じられているのなら、だれかさんを見守っている存在もとても嬉しく感じていらっしゃることと思います。

      私もあなたも、いずれは必ずまたこの肉体を離れるときが来ます。そのことを深く考えれば考えるほど、肉体を持たない霊存在が私たちを羨む理由もわかる気がします。この世で生きることは決して穏やかなことばかりではありませんが、そのすべてがかけがえのない日々であること、そしてすべての出逢いもまたかけがえのないものであることを思い起こせば、やはり私も生まれてきてよかったと思っています。

      世界も季節とともに日々移り変わっていきますが、これからもだれかさんの日々が楽しさと喜びに彩られたものであることを、私も心から、願っています。