霊存在からの「訴え」は、精神だけでなく様々な面にも明らかに影響を及ぼすものだ

世のなかにはいろいろな存在がいる。その「他者」と触れ合い、体験を持ち寄り、共感したり力を合わせたり、お互いの「想像力」を高めて自己や世界をより深く味わうことができるのは生きる醍醐味でもある。とはいえ、なかにはどうしても意見や価値観が折り合わず、これ以上関わり続けても今は互いを傷つけ合う結果になってしまうというときには、少なくともある程度の期間は「距離を置く」ということが事態を改善してくれることも多い。それはなにも永遠の「絶縁」ではないのだから、必要以上に恐れることでもないのである。

この世界には様々な考えかたを持ったひとびとが存在している。そのなかで私たちは基本的に相手を尊重し、自分も相手に尊重してもらいたいと思いながら...

ただ、お互いが距離を置くことに納得している場合はいいのだが、ときには相手がどうしても白黒つけようと食い下がってくる場合もあるかもしれない。そのときは、もちろんこちらにも強い決意と毅然とした態度が必要になる。あるいは、相手が霊存在の場合、彼らには「距離」も「時間」も関係ないのだから、さらに強い「意志」を持つことが求められることもあるのが現実でもある。

私はこれまで霊媒師として数え切れないほどの霊存在と関わってきて、嬉しいことにその多くの方々が「真実」を見つめ、喜びへと変わっていくのを見届けてきたのだが、もちろんその全員が喜びに変わってくれたわけではない。それは私の力不足もあるだろうし、まだ時間が必要なこともあるだろう。だからその場合にはそこから長い付き合いが始めることも多いのだが、肉体人同士の関係においてと同じように、それがどんな関係であるにせよ、当初は予想もつかなかったほど長くなってしまうこともあるものだ。

先日私がある想念を感じ取ったとき、私はすぐに誰からのものなのかを察した。

やはり今年も来たのか……

これは霊存在に限ったことではないのだが、自分、あるいはお互いにとって「大切な日」というのは、その「想いの力」が強くなりやすいという傾向がある。わかりやすい例で言えば「誕生日」とか「結婚記念日」、あるいは「ふたりが初めて出逢った日」などがそれだ。そして、その「力」をどのように遣うかは、それぞれの「選択」次第である。

今回私に接触してきたその霊存在も、そういった理をよくわかっている。だから自分がいちばん「力」を発揮できるときをじっと待ち、そのときになると毎年私に関わろうとしてくるのである。

しかし、率直に言って私は彼女から距離を置きたかった。というのも、今までの関わりのなかで、私と彼女とでは基本的な価値観や思想に根本的な隔たりがあり、それはこれ以上お互いに意見をぶつけ合ったところですぐに解消するようなものではないのだから、お互いの平穏のためにもここはとりあえずそれぞれが信じる道を行くのが最善ではないかと考えていたからである。ところが、すべての関係には「相手」があり、先に書いたように霊存在には「時空」の制約がないのだから、私の想いとは関係なく彼女のほうはあくまでも私との関わりを望んでいたのだった。だが、そのことを感じ取りながらも、だからこそ私は私でより毅然とした意志で、その接触を意に介さず日常を過ごそうと努めていたのである。

だが、このことに関しては、彼女の想いも並大抵のものではなかった。それにさすがに用意周到に時機を窺ってきただけのことはある。それをかわそうとしていた私には、次々と様々なできごとが舞い込むことになったのである。

まず最初は、電気機器の不具合である。調理機器や照明器具、またパソコン周辺機器に至るまで、様々な機器が通電不良などの不具合を起こし始めたのだ。一般に霊存在は「電気」に干渉するのが巧い。そして脳などの神経に作用するのもある種の「電気信号」であることを考えれば、私たちの「思考」に霊存在が関与するというのもあり得ることとして理解しやすいのではないかとも思う。

角をどちらに曲がるか?明日の晩ご飯はなんにしようか? 人生は「選択」の連続である。もちろん、「選択しない」というのも「選択」の一種であ...

こういった機器はまださほど使い古したとは言えないものだったのだが、現に正常に動作しなくなってしまっている以上、有償でも修理を依頼するしかなかった。そしてもちろん、これだけでなく私の精神にも執拗な「動揺」を誘うような想念が送られてきた。

こうやって財産が無くなっていくよ

生活にも影響するよねぇ……

努力しても報われないよね〜。生きてる価値なんてあるの?

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

とも言うが、こうしたことを延々と言われ続けながら様々な突発事態に対処するというのは、まさに「消耗戦」であった。

それにこれは当然私自身だけではなく、私の周囲のひとたちにも影響を及ぼす。結果として私が連絡を取ろうとした友人になかなか繋がらなかったり、急遽約束を取りやめられたり、勘違いから不和が起きそうになったり、お互いの言葉の端々に「トゲ」のようなものが出てきたり、そういったことも矢継ぎ早に起こってきた。

ただこういったことは程度の差こそあれ今までにも幾度となく経験してきたことなので、ここでもまだ私は相手の誘いに乗らないようにしようと思っていた。しかし、そんな私でもさすがに驚くようなことが起きた。それが、「肉体の不調」であった。私は今までも書いているように生まれつき頑健なからだではないのだが、それをわかっているからこそ日常的にいつもからだを大切にしようとこころがけている。だから私はいわゆる「生活習慣病」には罹っていないし、風邪を最後に引いたのがいつかも憶えていない。だが、そんな私がふとしたはずみに「口内炎」がいくつかできていることに気付いたかと思うと、肌も荒れ、胃腸にも不快感が生まれ、挙げ句の果てには寒気と頭痛、それに筋肉痛とだるさまでがやってきた。私の自宅に体温計はないのだが、おそらく発熱していただろうし、体感的にはインフルエンザに近いような症状だと思っていた。ここで病院に行けば、間違いなく静養を命じられるか、少なくともなんらかの薬が処方されたことだろう。だが、そのときの私にとってのそれは最高でも「対症療法」でしかない。なぜなら「根本的な原因」は「ウイルス」や「病原菌」ではなく他にあるからだ。

ここで確認しておきたいのは、今回のような霊存在の関与がなかったとしても、電気機器はいずれは壊れるものだし、人間関係は多少なりとも困難を迎えるし、私の体調も変化していただろうということだ。だからもちろん、身の回りのすべてのできごとが「霊のせい」だというわけではないし、そういうことを必要以上に強調するようなひとはその裏で「心霊商法」を画策しているようなことも多いから気を付けたほうがいい。ただ、だからといってやはり「想い」に力がある以上、その「意図」や「訴え」というものをそれなりの強さで、それなりの期間に渡って向けられ続ければ、誰でも精神的に、そして肉体的にも、あらゆる面で程度こそ違っても明らかな影響を受けるということもまた、事実なのである。

また、私はまだ霊への理解が浅かったころ、師に

こうやって、霊存在の関与によって肉体的にも精神的にも追いつめられやすいというのは、霊媒師の道のりの険しさだと考えればいいのでしょうかね? だとすればやはり、霊になど積極的に関わりを持たない人生のほうがラクと思えてもしまいますが……

と半ば自虐的に問いかけたことがある。

すると師は、笑いながらこう言った。

こちらがそれに気付いているかどうかにかかわらず、霊は「誰にでも」関与しているんだよ。だからこそ、今の世のひとは流されるままに病んでいくとも言える。ならば、まだそれ「知っている」ほうがいいじゃないか? 「なにが起きているかわかっている」からこそ「対処できる」んだからね

だからあなたが私の話を信じようが信じまいが、霊に興味があろうがなかろうが、あなたにも確実に、霊存在はなんらかの影響を及ぼしているのである。そしてそれは、あらゆる面に及んでいる。まずはその「事実」を受け止めることから、すべての「対処」の可能性が開けてくる。そしてそれがたとえどんなに気が進まないことであっても、本当は距離をおいて平穏に過ごしていたくても、どうあっても「逃げられない」というときになったら、やはり相手と向き合うしかない場合もある。

だから私もここまで来てついに、相手の「想い」に改めて敬意を表し、その「訴え」に正面から耳を傾けるため、もういちど話し合いの場に向かうことを決めた。だが今からそれを書くとさらに長くなってしまうので、この続きはまた、少し日を改めて書いてみることにする。

続きは、ここに書きました。

前回、私は毎年最も自分が強力になるときを見計らって私の前に現れ、そして根本的な決着はつかないまままた離れていくことを繰り返してきた、霊存在の...