からだがあろうがなかろうが、「一個人の意見」に惑わされる必要はない

あなたねぇ、そんな生きかたをしていたら、あとできっと後悔するよ!

もしあなたが初対面のひとにこんなことを言われたからといって、どうしようもなく落ち込んでしまうということはないだろう。もちろん多少イヤな感じはするかもしれないが、結局は

「自分をよく知りもしない、一個人の意見」

に過ぎないからだ。あるいは、街を歩いていていきなり、

あなたなら、きっとアイドルになれますよ!だから今すぐこの書類に署名捺印して、銀行口座番号も教えてください。明日には前金で100万円ほど振り込みますので!

などと言われたからといって、すぐさまその話を信じるひとはまずいないだろう。明らかに、相手の好ましくない「意図」が透けて見えてしまうからだ。

このように、私たちは生きていく過程で、世界にはいろいろなひとがいて、それぞれの「意図」を持っているということ、そして誰にとっても当てはまる「人生の万能の答え」などというのはないのだから、

それがたとえ親族であれ初対面のひとであれ、「一個人の意見」は「参考」にはするとしても「鵜呑み」にする必要はまったくない

ということを学んでいく。この考えかたは、基本的でありながらとても大切な事実である。その相手にからだがあろうと、なかろうと。

では、私たちはどうやってそんな考えかたを学んできたのだろう?それは単純に言えば、

「たくさんのひとたちと関わってきたから」

だと言える。だが、現代のほとんどのひとびとにとって、それは「肉体人」に限られる。だから、ひと度それが霊のこととなった瞬間、「一個人の意見」にすぎないものに右往左往させられてしまうことも、とても多いのである。

私たちは、それぞれが多かれ少なかれ肉体界の荒波を渡り歩く百戦錬磨の存在であるのだが、そのほとんどのひとが、まだ「霊存在の声が聴こえる」という経験に慣れ親しんでいない。だから、もしなんらかの「声」が聴こえると、すぐ<神の声>だと思ってしまうことも多いのである。実際、その相手本人が、「私が神である」などと言ってくるからでもある。その結果、最も悲劇的な場合には、その存在に自分の人生を支配されてしまう。しかしこれは、実は「俺って業界のなかでは名の知れたプロデューサーなんだけどね」とか、「私の言うことを聴いておけば間違いありませんから。キャリアが違いますのでね」とか、「もしもし、全国弁護士会関東支部の佐藤ですが……」などというのと大差ないものなのである。そこにどの程度信頼を置けるのかが場合によるのは確かだが、少なくとも鵜呑みにして即座に飛びつく必要はないのである。霊が<神>を名乗るのは、私たちが年齢を5歳若く言うのよりも簡単なことなのだというのは知っておいていいと思う。

それにもちろん、これは霊存在そのものだけでなく、霊存在に関わるあらゆる活動を行っているひとびとに対しても言えることだ。どんなにメディアに出ていようと、どんな顧客を抱えていようと、どんなに資産が多かろうと、それはあくまでも「一個人の意見」である。ひと昔前であればほとんど「絶対的な権力」を持っていた「医師」ですら、「セカンド・オピニオン」や「インフォームド・コンセント」の必要性が言われるようになった時代ならなおさら、霊的なことであっても、なにかを判断するのに「総合的な吟味」が必要なのは明らかである。

そしてこれは、私自身が自分なりの「真実」を見出すために、今でも持ち続けている態度そのものでもある。私は、ともかく

「たくさんのひとの意見を聴く」

ということをしている。そして、その意見のなかで「多くが一致する部分」をとりあえずの「真実」として仮定しながら自分なりの考えをかたち作ってきた。もちろんその「真実」は、絶え間ない「検証」によって適宜「修正」されていくべきものでもある。だがその繰り返しによって、その質は少しずつでも高まっていくはずだ。

たとえば、この『闇の向こう側』についても、

早く閉鎖しろ!どれだけのひとたちから冷笑されているか気付いてないのか?

などと言ってくる存在も数多くいるが、それも「一個人の意見」である。だから私は、

でも、実際読んでくれてるひともたくさんいるからね

と返す。逆に

もっともっと書いてくれ!まだまだ伝えてほしいことは数多くあるんだ!

と言われることもよくあるが、

生活費を得るためにも、やらなくてはいけないことは他にもあるんですよね

などと答えている。それですんなり納得してくれないとしても、それも「一個人の意見」である。

だから結局は、今までも書いてきたように、

「霊存在と肉体人の違いは『からだがあるかないか』ということに尽きる」

のだ。それは大きな違いでもあるが、たいした違いでないとも言える。それは、誰もが「一個人」であるからだ。もちろん私もそれ以上ではない。だからこそ、すべての人生の選択はあなたに委ねられている。その力があるからこそ、私たちはそれぞれが「人生の主役」なのである。その醍醐味を自ら簡単に手放してしまうのは、あまりにももったいないことだ。だから、「一個人の意見」を参考にはするとしても、それに惑わされる必要は、まったくないのである。

コメント

  1. だれか より:

    私は何も分からないので教えて下さい。「神の使者」ゲイリーレナード著 というものがあります。
    真実でしょうか?逆の存在でしょうか?ゲイリーさんの画像を見てその存在を教えていただきたいです。
    すみませんがよろしくお願いいたします。

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      このサイトの最初期に、「『スピリチュアル界』の他の方々に対しての対応方針」というものを書いたのですが、私は自分自身が見出した「真実」を書き、それを「検証」していただくことに注力したいので、特定の宗教・宗派を採り上げて、その考えかたと私の考えかたが「いかに違うか」ということを書くつもりはありません。これは単に私の見識と、時間と、エネルギーに限りがあるからです。それに、私はこのゲイリー氏のことも、『神の使者』という著書についても、今少し調べてみただけで、ほとんどなにも知りませんので、そんな私が具体的ななにかを言うのは筋違いというものでしょう。

      ただ、最も素朴なことを言うとすれば、私個人的には、彼(ら)の著書を買ったり、講座を受講しようという積極的な意志は起きません。これは今後も変わらないと思います。かといって過度に敵対する気もありませんので、ここは師に倣って、「そうかい?」と言って距離を置いておきたいと思います。向こうもこちらのことなど気にも止めていないでしょうから、これで今までどおりお互いの道を歩んでいけるでしょう。

  2. だれか より:

    とても丁寧にご回答頂き大変感謝しております。私自身も分からないので質問させて頂きました。変な道だとよくないのかなとおもって。まだ分からないので分からないままにしておきますね。中庸にて。この度はありがとうございましたm(..)m

    • Dilettante より:

      そうですね、ともかく私の考えはここに書いているものをお読みいただければおわかりいただけるかとも思いますので、あとは適宜他の方々と対比して、ご自分なりの「真実」を見い出していっていただければと思います。

      そのうえであとひとつだけ付け加えるとすれば、私にとっての「真実」とは、深く知れば知るほど「穏やかさ」と「生きていることに対する喜び」を感じさせてくれるものです。もちろん現在の社会のなかに変えなければいけないものはたくさんあるでしょう。しかしそれはあくまでも「現在の社会」の問題であって、「世界」は本来喜びに満ちたものであるという出発点は揺らがないと思っています。だからこそ、どうすれば喜びとともに生きていけるのか、それを一緒に考えていただければ嬉しいです。これからもよろしくお願いします。

  3. だれか より:

    ありがとうございました。内容がすごくても自身にとって温かさを感じなければ必要のないものとしておくことにしました。とても優しいご回答、誠にありがとうございました。

    • Dilettante より:

      はい、そのような態度でいれば迷路に嵌まる危険を回避しやすいのではないかと思います。

      ひとつ確実なことは、私たちは今「この世界」で生きていて、その時間には限りがあるのですから、最も大切なのは「この人生をいかに楽しめるか」ということに尽きると思います。それ以外のことは、言ってしまえば「些末な要素」でしかありません。翻って私の文章がどれだけあなたを元気づけられているのかはまだよくわかりませんが、少しでもお役に立てているとしたら、それは私にとって最高の喜びです。よろしければこれからも、のんびりとお付き合いください。