「努力してまで欲しいものはない」というときに焦る必要はないが、自分の持つ「力」を認識しておくことも大切なことだ

以前、私に届いたある読者からのメールをきっかけに、私はここに3つの文章

先日私はある読者のかたからメールをいただいたのだが、その内容は私も含め多くのひとたちがいちどは考えることなのではないかと感じられるものだった...
前回、自分が孤独で生きる気力も持てないと感じたようなときには、守護霊の存在を思い起こしてほしいと書いた。 これはある読者のかた...
先日からある読者のかたとのメールをきっかけとした文章をいくつか書いてきた。 そのやりとりのなかで、私は 生きるこ...

を書いた。詳しくはそれぞれを読んでいただければと思うのだが、そこに記したようなやり取りの結果、最初は、

私は毎日のように死にたいと思っています

と言っていたそのひとが、

全てを信じる事もすぐに変わる事もできませんが

すごい奴が味方に付いてるということ胸に

できることから始めたいと思います

というところにまで変わっていくのを見届けることができ、私も深い喜びを感じたできごととなったのだった。

そしてあれから半年ほど経った先日、私が

「中庸」という言葉や概念を耳にすることがある。これは古代中国の孔子が『論語』のなかで、 中庸の徳たる 其れ到れるかな。民鮮きこ...

を公開してすぐ、久しぶりにそのご本人から私にこんなメールが届いたのである。

「中庸こそ大切」・・・の記事を読んで

最近個人的に思ったことと少し関係があるかなと思い

メールさせていただきました。

お時間のあるときにお返事いただけると幸いです。

幸せと無気力について、そして納得する生き方について

最近、幸せという事についてよく考えるのですが

自分にとって一番の幸せとは何もしない事だなと思いました。

正確にはやるべきことが何もない状態って幸せだなと思ったのです。

今も昔もこうなりたい、ああなりたいという願望はあります。

お金だってたくさん欲しいですし愛する人だって欲しいです。

信頼する仲間やくだらない事をする友達も欲しいです。

前を向いて人生を謳歌したいと思っています。

きっとこの気持ちは嘘ではないと信じたいです。

しかしそうなるための努力が空しいのです。

そうなるためには決して少なくない時間と努力と意思が必要です。

管理人様の言葉を借りれば中庸を壊さなければなりません。

ただ自分にとって一番幸せなのは何もしないことです。

欲しいもののためにやるべきことが発生したり

何もしない時間が減る事は納得がいかないのです。

要するに自分は努力してまで欲しいものがないという事に気付いたのです。

これって無気力なのでしょうか。ただの甘えですかね。

じゃあどうすれば納得のいく人生を送れるかと考えたところ

幸せを優先する事、つまり何もしない事、やるべき事を作らない事です。

極端な話になってしまうのですが

この世はなんの努力もせずに生きていけるほど甘くはありませんよね。

きっと想像以上に孤独でみじめで苦労ばかりの人生になるかと思います。

最後は孤独死ですかね。

絶対そうはなりたくないです。

そうはなりたくないのですけれど比較的納得がいきます。

そうなったのは幸せを優先した結果であり

当然ながら何も努力しなかった結果だからです。

上手く表現できませんが納得いかないけど納得せざるを得ないのです。

いやもちろんそうはなりたくないのですが。

大変分かり辛い内容で申し訳ありません。

お聞きしたい事をまとめると

努力してまで欲しいもの、なりたいものがない私は

無気力なのでしょうか。

生きる事とは均衡を壊し続ける事だとすれば

均衡を壊さない事に幸せを感じそれなりに納得している私は

そう思い込んでいるだけなのでしょうか。

私がこのメールを読んでまず思ったのは、

あれからまた今まで生き抜いていてくださってよかった……

という安堵だった。いくら私が精いっぱいの言葉を伝えても、いくら守護霊からのメッセージを聴いて元気になったとしても、それ自体で生きるうえでの葛藤や問題がすぐ解決するわけではない。結局、最も大切なのは

「本人自身の決意」

である。そしてそれは一時的な「打ち上げ花火」のようなものでなく、ずっと持ち続けていなければいけない。しかし、それはそんなに容易なことでもない。特に本人が深く傷ついているならなおさらである。そして「人間関係」というものも、お互いが目を離していると案外簡単に切れてしまうものである。

だから、私はこのメールを見て、率直に嬉しかった。そして、次のように返信した。なお、ご本人からメールの転載許可は得ているが、名乗られている名前が本名のように思えることもあり、一応お相手の名前の部分はすべて「あなた」に置き換えた。

思えばあなたと最後にこうしてメールでやり取りしたのはまだ夏が来る前だったようにも思いますが、あれから縁が切れることもなくまたつながることができて嬉しいです。

そしてあの頃はといえば、あなたはご自分で

「毎日のように死にたいと思っています」

とおっしゃっていて、私も日々やきもきしていたのですが、そこから

「どう生きればいいのだろう?」

という段階に進んだということは、確実な進歩ではないですか?少なくとも私は素晴らしいことだと思います。

そのうえで

「努力してまで欲しいものがない」

というのは、私からすると

「努力しても報われるかどうかわからない」

という恐怖による結果だと思います。

でもそれは多かれ少なかれ誰もが持っているものでしょうし、努力が報われないことで傷ついて傷ついて、その結果

「死にたい」

と思ってしまうようなこともあるのですから、つい半年前にはそんな想いのなかで生きていたあなたがそれほど一気に変われなくても無理のないことだと思います。

そう焦ることもないと思いますよ。

あとは、「仲間」や「理解者」、「友達」といったものの素晴らしさをもういちどよくよく思い出してみてください。「他者」とはときに自分を傷つける存在ですが、それと同じくらい生きる気力を与えてくれる存在でもあります。だからこそ、簡単には手に入らないとしても、「努力して探し求める」に値する存在だと思います。

そして、忘れないでください。あなたには既にたくさんの仲間がいます。私だって微力ながらあなたの仲間でいたいと思っています。

今後ともよろしくお願いします。

すると、さらにこのような返信をいただいた。

お返事ありがとうございます。

こちらこそ、繋がってこうやってやり取りできる事

とても嬉しく思います。

これからも宜しくお願い致します。

言われて気付いたのですが

確かにちょっと前までは「納得のいく生き方について」

なんて考えなかったです。

あの頃はただただ虚無感でいっぱいでした。

そう考えると随分変わりましたね…。

管理人様には生きる気力を与えてもらいました。

改めてありがとうございます。

最近は世の中に対して辟易したり、たまに怒ってみたり

くだらない、努力する価値もないと

随分悪態をついているのです。

ただ死にたいとは最近思ってないですね。

思わないようにしようとは思ってないのですけど。

まわりを見ていると明確な目標をもって努力している人がたくさんいて

素直にすごいなと思います。

すごいなと思うと同時に自分の無気力さが浮き彫りになって

少し焦ってしまいます。

報われないリスクを分かっていながら努力できる人たちは

努力している事そのものに喜びを感じているのでしょうか。

私には到底理解できそうにありません。

まだまだ時間がかかりそうです。

管理人様、守護霊という強い味方がいること

改めて胸に刻みたいと思います。

また遊びに行きます。
無理なさらぬようご自愛ください。

そこで、私はこのような返事を書いて送った。

そうですね、努力を続けられる動機はひとそれぞれだと思いますが、ひとつ私なりに言えるとすれば、

「どこまで成果が出るかはわからないけれど、少なくともこれで少しは目標に近づけるはず」

という感覚を持てているうちは努力できるような気がします。もちろん前提となるのは、それが

「強制された努力」(義務感、嫌々ながら)ではない「自発的な努力」

であるということですね。

私個人の例で言えば、私がネット上の匿名の立場から意見を言おうが言うまいが、自殺者が一気に0になったり、霊界の存在を全員が受け入れるといったことはないでしょう。けれども、何年も続けてきたからこそ、少なくともあなたにはなにかを伝えることができたわけです。それは私にとっては「努力の結果」であり、とても嬉しいことです。かといって、たとえば

「毎日更新しなければ!」

などと意気込み過ぎてしまうと、却って負担が大きくなり、長く続けることができなくなってしまうかもしれません。

ですから、あなたもまずはゆっくり自分と向き合いながら、少しずつでも世界に目を向けなおしていけばいいのではないかと思います。

決して焦ることはありませんが、「希望」を棄て去ってさえいなければ、いずれはなにか「やりたいこと」が見えてくるはずです。

そんな日が来るのを、私も楽しみにしています。

「努力」というのが必ず報われるようなものでないことは、私たちはみんな知っている。しかし、だからといって自分がなにもせずにいるということは、

「世界を完全に他者の掌に委ねる」

ということに他ならない。私がなにもしなくても、世界は勝手に動き続ける。そして、いつか私は死ぬ。努力してみたところで結果自分の思っているような成果が現れる保証もどこにもない。

だが、それでも私たちは、「生きて、選択し、行動する」ことによって、世界に少なくとも

「なにかしらの影響を与える」

ことはできる。そしてたとえ自分の生きているうちには実を結ばなかったとしても、それが100年後に現れるなにかに影響するかもしれない。「即効性」はないかもしれない。「効率」も悪いかもしれない。しかし私たちがなにかを「入力」したら、いずれ必ずなにかが「出力」されるのだ。これは事実であり、それを知ることがすべての「希望」の源である。そしてそれが私たちに与えられた「希望」の力なのである。

やりたいことが見つからないからといって焦ることはない。傷ついているときに無理に動けば却って逆効果にもなってしまう。だから、そんなときはゆっくり休めばいい。それは「甘え」ではない。だが、あなたは決して無力な存在ではないのである。ただ、今は「準備期間」なのだと思えばいい。そして、素晴らしい成果は周到な準備によって手繰り寄せられるものだ。あなたにはかけがえのない「力」がある。だからそれをじっくりと育てていってほしい。そしてそんなあなたがいるということこそが、私にとって、そして世界にとっての、なによりの希望なのである。