リカルド・セムラー。「我が人生終焉の日」を意識する彼は、なにを実現し、なにを目指しているのか?

あなたは、自分の人生をどこまで自分で決めたいだろうか?

自分の人生なんだから、それは自分で決めたいよ。親にも教員にも指図されたくない。私は自由なんだ!

と思うひともいるだろう。だがそれと同じくらい、

なんでもかんでも自分で決めろと言われても、結果がわかるわけじゃないんだし、どの選択肢も長所と短所があるんだから迷っちゃうよ。こんな自分が決めるより、いっそのことカリスマ性のある誰か他のひとに決めたもらったほうが、よっぽどうまく行くような気がする

というような想いを持つひともいるだろう。

私たちは確かに「自由」だし、自分の人生に対する「主体」(最終決定権)も持っている。だが、それがそのまま私たちのしあわせにつながっているとは単純に言い切れないし、だからこそ、

私たちは、自由になりたいと願う。様々な事情により、望まない環境のなかで生活しているひとにとって、なによりも欲しいのが自由だ。しかし私たちは、...

とも言えると思う。私たちは他の動植物より、自分の幼い頃より、確かにより大きな自由を得たはずだ。しかし私たちは、それでよりしあわせになったのだろうか?

このような問いに真摯に向かい合おうとすればするほど、答えは簡単には出せなくなる。だから、同じ「現実」を見ながらも、私とは違う見解に至り、私の前に現れては想いをぶつけてくる存在もいるが、未だに「決着」はついていないままだ。

前回、私は毎年最も自分が強力になるときを見計らって私の前に現れ、そして根本的な決着はつかないまままた離れていくことを繰り返してきた、霊存在の...

それに、多くのひとが自分より「不自由」だと思っているだろう「彼」の言葉に、強く胸を打たれたこともある。

現代の多くのひとびとの(科学的)世界観では、地球上で人類ほど複雑なコミュニケーションができる生物はないとされている。他の生物もサインや発声に...

自分の自由を、どう活かせばいいのか?

どうすれば、自分にとってより好い選択ができるのだろう?

自分の意見と他者の意見が異なっているときには、どう決めればいいのか?

などという問いに対する万能の答えを、少なくとも今の私は持っていない。だがそれを考えずに生きることはできない。なぜなら「生きる」ということは、

「自分なりの『答え』を提出し続ける」

ということだからだ。だから私も、あなたと一緒にずっと考え続けている。

そんな私が、先日あるプレゼンテーションを観た。題名は、

How to run a company with (almost) no rules

((ほぼ)ルールなしで会社を経営する方法)

であり、話者は現在ますます世界的に注目されているというブラジルの企業経営者(CEO)、リカルド・セムラーであった。

これはまず題名だけでも充分に興味深かったのだが、彼のプレゼンテーションは意外にも次のような語りから始まった。なお、この講演の原典は英語であるが、この邦訳は動画に付けられた字幕から引用し、適宜句点を加えたものである。

私は毎週月曜と木曜に死に方を学んでいます。「我が人生終焉の日」 と呼んでいます。妻のフェルナンダはこの呼び名が好きじゃありません。でも私の家系では多くが 悪性黒色腫で亡くなっていて両親も祖父母もそうでした。それで私はずっと考えているんです。いつか医師の前に座った時私の検査結果を見てこう言われるんじゃないかと。

「リカルド あまり良くないね。余命は半年から1年だね」。

私はこれを耳にして、ますます彼の言葉から離れられなくなった。いったい、「我が人生終焉の日」を意識する彼は、なにを実現し、なにを目指しているのか?私はあなたにも彼の話を聴いてみてほしい。そしてなにかを感じ、考え、日々を生き抜く力に変えてくれたなら、私もとても嬉しく思う。