これからは、「仲間たちの言葉」も直接あなたと共有していきたいと思います

4月も半ばに近づきました。もしかしたら年度替わりで新しい環境のなかにいるひとも多いかもしれませんね。いかがお過ごしでしょうか?

先日、私が久しぶりに強く「死」を意識したときのことを書きました。

楽しいかい? 私の師はいつも私にそう笑いかけ、 楽しくないのなら、なにかが間違っているんだよ と言って、飄々と自分の道を歩...

結果として、私は今もこうして生きているわけですが、あの日確かに死を間近に感じたとき、私の心にあった最も強い想いは、先日の文章にも書いたとおり、

だから、後悔のないように生きるしかないんだ……

というものでした。実際には、後悔というものを一切しないというのは、ほとんど誰にとっても不可能だとは思いますが、

限りある時間のなかで、なにを選ぶか?

という問いに対して、

できるだけ、後悔の少ない道を選ぶ

というのは、自身のしあわせのためにも、重要な視点であると思っています。

今まで読者の方々や実際の顔見知りにも、私は何度かこんなことを言われたことがある。 この世で起こることはすべて「本人の学び」として与えら...

ですから、私もずっとその道を模索しているのですが、先日、またひとつ強烈な体験を与えられたことで、私もまた改めて深く、そのことを考えました。その結果、私は、この『闇の向こう側』の活動に、また新たな「色・変化」を加えてみようと思うに至りました。それは、「仲間たちの言葉」です。

私は、霊媒師として生きているなかで、いつも数限りない多くの霊存在と対話し続けています。それは、この世に肉体人が数限りなくいることとまったく同じことです。そして、肉体人と同様に、霊存在もそれぞれ様々な「意図」や想いを持って活動し、それを肉体人を通して、この世界にも表現しようと思っているわけです。

独りでできることは限られている。そんなときは仲間を探せばいい。もちろん、ひとりでなにもできないとまでは言わないが、仲間がいれば心強いものだ。...

それは肉体人と霊存在お互いにとっての「仲間」であり、それを意識しているかどうかにかかわらず、すべてのひとに、その仲間がいるのは確かです。もちろん、あなたにも、私にもです。

ですから以前私が、

猿がシャッターを押した写真の著作権を巡る議論があった。現在のところ、 確かに写真撮影に至るまでの環境作りを行ったのはカメラマンだが、写...

と言ったように、私がここに書いていることは、私の「仲間たち」の想いを受け止めたうえで、その「意志の総合」として表現されているものだとも言えます。つまり、私独りでは、今この文章を書いているような認識には至れなかったし、その意味でも、「私」というものが今こうしてあるのは、多くの仲間たちの助けがあったからこそだということ、それは紛れもない「真実」なのです。

ただ私は、そういった肉体人も霊存在も含めた仲間たちの想いを受け止め、ときに、私を妨害しようとする存在との対話や体験も踏まえたうえで、私という存在の「主体」として、この文章を書き、『闇の向こう側』の活動をして、「私の人生」を生きてきました。ですから、私がここに書いている文章は、決して「誰かに操られて、強制的に書かされたもの」ではなく、すべて「私の責任」において書いたものだということです。

しかし一方で、先日の体験によって私が感じたのは、

もし、私が今死んでしまったら、私の「仲間たちの言葉」を伝えられるひとは、いなくなってしまう

ということでした。私はこれまで、私と志を同じくしながら、死んで霊存在となり、肉体を離れてしまったために、この世界に生きる肉体人に自らの想いを伝えられずにいた「仲間たち」の言葉を日々聴き、自分なりに消化し、自分自身の人生に反映させてきました。『闇の向こう側』はそのひとつの成果でもあります。なぜなら、ここで私が伝えていることは、私の仲間たちが、あなたに伝えたいことでもあるからです。

ですが、それを私は、「私の責任において書かれた文章」とするためにも、いったん「私なりに消化する」という過程を経て、ここに書いてきました。まして、「霊存在」などというもの自体が懐疑の眼で見られている現代社会において、自分ですら消化しきれていないものを書き、不特定多数の方々に読まれ、影響を与える可能性のある場所に公開するのは、不誠実であると感じていたからです。

けれども、それを別の視点から見ると、「私が消化した結果」である文章を読むだけでは、仲間たちの「雰囲気」や「息遣い」といったものは、ほとんど伝わってきません。それは私のなかで消化されてしまったからです。そして、それは確かに「生の声」からなにかを剥ぎ取っているということでもあるのです。

こういったある種相反する感情を踏まえ、さらには死を意識した先日の体験を経て、私は、この『闇の向こう側』のなかに、「私の文章」とは別に、「仲間たちの言葉」という区分け(カテゴリー)を加え、そこには、「私の消化」という過程をできるだけ省いた「仲間たちの生の声」をそのまま書いていこうと思うに至りました。

ただし、もちろんこれは最終的には「私の責任」による行動なのですし、なにより彼らの言葉は「私のからだ」を通してここに書かれるわけですから、私の感性が多少なりとも入ることはしかたがありません。また、私に関わってくる数限りない存在の言葉を、そのままなんでもかんでも書くというわけにもいきません。なぜなら私に関与してくる存在のなかには、私がこういった活動を続けることや、私たちが希望を持ち続け、支え合い励まし合って喜びを深め、しあわせになることを快く思わないひとたちもいるからです。

ならばそれを「妨害者の言葉」とでも括って、さらに別の区分けで書いても構わないのかもしれませんが、あらゆる言葉には「力」が宿っていて、それは善くも悪くも、受け手に「影響」を与えてしまいます。それに、私の人生の時間にも、私がこの『闇の向こう側』に割ける時間にも限りがあります。そういったことからも、少なくとも現時点において、そういった「妨害者の言葉」をここで「生の声」として公開するのに力を注ぐつもりはありません。それよりは、私やあなたのしあわせを願う仲間たちの言葉を伝えるほうが、よほど重要だと思うからです。それに、私たちを絶望に追いやろうとするような「言葉」なんて、わざわざここに書かなくても、もう私たちは日々どこでもかしこでも、聴かされているではないですか?だったらもう、私たちにこれ以上の「反面教師」は必要ありません。むしろ今、私たちに必要なのは、なによりも「仲間の声」なのです。だから、私はそれをあなたにもお伝えして、共有することで、お互いの力に、変えていきたいのです。

それから、ネット上でも実際の対面式でも、既にたくさんの「霊媒師」や「スピリチュアリスト」が、「お告げ」だとか、「神示」などといったかたちで、多くの「声」を届けているとは思います。そしてそれが、「玉石混淆」であるからこそ、もうなにもかもわけがわからなくなっているのも現状でしょう。

ですが、私がこれからしようとしているものは、「特別な(自称)高級霊」とか<神>だとかの声をお伝えすることではなくて、ただの「市井のひとびと」の声をお伝えすることです。なぜなら、私を最も身近から見護っている仲間も、あるいは私を最も執拗に妨害しようとしてくる存在も、私を導いてくれた師も、すべて「有名人」ではなく「市井のひとびと」だったからです。そして、そんな「どこにでもいるようなひとたち」の力こそが、なにより私たちを支え、励まし、変えてくれるものなのです。そして実は、世界は今までもそうやって、変わってきたのです。「偉大な指導者」というのはただそこに、「きっかけ」を与えただけであり、いちばん重要なことは、それに「どこにでもいるひとたち」が、賛同し、共鳴し、力を貸してくれるかどうかということだからです。

世界は多くのひとの思惑が複雑に絡み合って動いている。だから誰も未来を見通せないし、誰かひとりがなにかを訴えたり行動したりしてみたところで大し...

さて、ここまで前置きをしたうえで、どうやって実践していくかについてですが、今のところの考えでは、まず私が、そのとき言葉を伝えてくれるそのひとについて、ごく簡単な紹介をします。そしてそのあとすぐ「仲間たちの言葉」を、直接彼らに私のからだを貸して、書いてもらうというかたちでここに記します。そのときには、たとえば、

こんにちは。

というように、その部分を太文字の斜体で表記することによって、私の文章とはっきり区別します。そして書きたいことを書き終わったら、それでおしまいにして、また私が戻ってくるということです。ここで私は、一応書かれた内容を確かめ、仮にとても聴くに堪えないような暴言のようなものがあった場合には、本人と相談のうえで、多少修正することがあるかもしれません。ですが、彼らは基本的に私の「仲間」なのですから、その根底にあるのは、私たちに対する「敵意」ではなく

喜びに変わってほしい・自分の想いを受け止めてほしい

という「願い・想い」なので、それほどひどい暴言を吐くとは思っていません。また、自分の言葉が不特定多数に公開されるとわかっているのですから、彼らだって最低限の配慮はするでしょう。ですからよほどのことがない限りは、私はそれを、そのまま公開します。

そして、そのあとで私が私なりの感想を加えるかどうかについては、まだはっきりとは決め切れていないのですが、今のところ、特段の事情がなければ、それはしないで、あとはその言葉をどう受け取るかも含め、あなたに委ねたいと思っています。それはあなたが私の文章や活動をどう活かすかについて、委ねられているのと同じことです。

そして、先ほども言いましたように、私は私の仲間の声を「市井のひとびと」の声として届けたいと思っていますので、そのひとがどんなひとであるか、どんな想いを持ったひとであったのか、あるいは、名前がなんだとか、そういった説明はできる限り省きたいと思います。言葉の本当の力はその「想い」にあるのであって、その「権威」にはないからです。むしろそれは、言葉の本当の力を歪めてしまうだけでしょう。ですから私はあなたにも、どうかその言葉に秘められた「想い」を、聴きとっていただけたらと思います。

と、ここまでいろいろと書いてきましたが、実際これがどうなるかは、私自身「やってみなければわからない」というのが正直なところです。それに、私はこれからも「私の文章」を書き続けていきます。そこはこれからもずっと変わりません。そのうえで、これからはそこに「寄稿者」が増えるのだと思ってください。そしてあなたにはあいかわらず、それを受け止め、検証し、そこから自分なりの「真実」を、見出していっていただければと思います。

また、これは今のところそれほどたくさんあるとは思っていないことなのですが、もし、これをお読みになっている読者の方々のなかに、

自分の体験や想いを、多くの方々と共有したい

というようなことがありましたら、それをメールなどでお知らせいただければ、適宜相談のうえ、ここに公開します。それにこれは今までも、たとえば、

先日、読者の「ポロン」さんからこんなメールをいただいた。ご本人の快諾もいただいたので、この疑問をここで共有し、私なりの考えを書いてみたいと思...
先日、読者の「さい」さんからとても興味深いメールをいただいた。そこで私はその内容をあなたとも共有し、ともに考えを深めるために、ご本人の許可を...
以前、私に届いたある読者からのメールをきっかけに、私はここに3つの文章 を書いた。詳しくはそれぞれを読んでいた...

などにおいて、実際に読者の方々のご協力を得て、実現したものです。つまり、ここで言う「仲間」とは、別に「霊存在」に限ってはいないということを、もういちどはっきりと確認しておきたいと思います。そして私は確かに、霊存在だけでなく多くの肉体人の「仲間」にも支えられていて、そのなかにはもちろん『闇の向こう側』の読者の方々も含まれています。そこにはときとして喜びだけでないものもありましたが、その誰かひとりが欠けていただけでも今の私はいないということ、それだけは間違いありません。

つい先日、ある読者のかたが私に、

あなたはあなたを救うためにこの『闇の向こう側』の活動をしているんですよね

という趣旨のメールを送ってくれたのですが、この言葉は私の核心を突いていると思います。

ですがだからこそ、私はこれからもこの活動を続けながら、私自身の道を、模索して、変化しつつ、進んでいきたいと思います。そしてまさにこのひとのおっしゃるとおり、私が誰よりもあなたに支えられ、あなたから喜びとしあわせをいただいているのです。本当にありがとうございます。私もこれからも私にできることをすることしかできませんが、それが少しでもあなたの支えになるなら、とても嬉しいです。そしてこれからも一緒に、お互いの人生を、生き抜いていきましょう。今後とも、よろしくお願いします。