私たちは現代社会のなかで、日々いろいろな「宣伝」や「広告」にさらされている。
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もちろんこういったもののすべてに価値がないというわけではないが、ひとつ確かなことは
「そのすべてを鵜呑みにしていたら、自分の身が保たないし、主体的な生活が破壊されてしまう」
ということだ。
これを別の視点から言うと、
「現代社会では、いつも誰かがあなたを利用しようとしている」
とも言える。それがもし、自分が本当に善いと思っているものを相手のためを思って勧めているならまだいい。だが、ときには「押し売り」や「執拗なキャッチセールス」あるいは「詐欺」や明白な「犯罪行為」にあなたを巻き込もうとするひとたちがいるのも現状だ。
だからそういったなかで、私たちは「毅然とした態度」を学んでいく。どこからか番号を手に入れ、必要のない商品を買わせようと電話をかけてくるひとの誘いを、あなたは断ることができるだろう。迷惑メールや振り込め詐欺の誘いにいちいち乗っかって、自分の財産を失うことはしないだろう。もし路上でいきなりあなたの袖を掴んでどこかに連れて行こうとするひとがいても、あなたはそのひとの手をちゃんと振り払おうとするだろう。または大きな叫び声を上げて助けを求めるとか、用意していた催涙スプレーを遣うとか、ともかくありとあらゆる手段で自分を護ろうとするだろう。それは、あなた自身の意に沿わないからだ。そう、これは当たり前のことなのだ。あなたにはそうする権利があるし、実際にそうやってあなたは生きているだろう。
しかし、これが「霊存在」の話になると、とたんに話が変わってきてしまう。キャッチセールスはあれほどはっきりと断れるのに、悪意ある霊存在があなたの思考に侵入しようとするのをいともたやすく許してしまっている。防犯に気をつけ、オートロックの部屋に住み、夜道は出歩かず、護身術まで身につけているのに、負の霊団がまとわりついているのを気にも留めない。これは冗談や皮肉で言っているのではない。私にとって、確かな「事実」なのである。
ではなぜこんなことが起きているのか?それを最も単純に言うと、
「あなたにそれが見えていないから」
だ。道端でいきなり泥水をかけられそうになったら、反射的にでもそれを避けようとするだろう。あるいは財布や持ちものを盗られそうになったり、自分のからだにベタベタと触れられそうになったら、誰だって抵抗するだろう。それに、たとえその場で相手を問い詰めたり、解決することができなかったとしても、警察や公的機関に訴えて、適切な処置を講じてもらうように依頼するだろう。当然だ。あなたにはその権利がある。
しかし
「相手があなたに見えていない」
というだけで、状況は一変する。やられていることは同じなのに、
「被害が見えづらい」
というだけで、あなたは相手になにをされているのかすら、きちんと把握できていないのだ。そしてさらに悪いことには、
「相手が見えていない」
というだけで、このことについては警察も裁判所も、まったく無力になってしまうのである。
せめて霊存在が「紫外線」や「放射線」のように、認識できるものならよかった。そしてそこに「科学」のお墨付きがあれば、事態はこんなことにはなっていないだろう。だが現代ではその感性は抑圧され、封印され、公的には認められていない。そしてわずかにその「感受性」を取り戻したひとたちは「精神病者」として扱われることがほとんどだ。ましてそれを
「技術(職人技)として鍛錬する」
という発想は、ほとんどどこにもない。
だが、もしあなたがそれを認識していないとしても、それが「存在しない」というわけではない。だからそれは確実に、あなたに影響している。そしてその意味で、現代社会とはまさに、「霊的無法地帯」なのである。
それは本当に哀しく、いたたまれない事態だ。そしてそんななかで、ほとんどのひとが病み、生きる気力を失ってしまうとしても、それはむしろなんの不思議もないことだ。だから、現状はこんなことになってしまっているのだ。だが、もしあなたがそれを直接ではないにしろ、私を通してそれを認識してくれるなら、そこには「対処法」がある。そしてそれは、自分でも実践し、鍛錬することができるものだ。
しかし、霊存在と肉体人の違いはただ、「肉体を持っているかいないか」だけなのだから、対処法も変わらないのだ。それは、
「毅然とした態度を示すこと」
だ。
私は、あなたと一緒にイライラし続けたいわけではありません。そのような想いとともに生きるのは私の本意ではありませんので、お引き取りください!
私は、このひとをむやみに傷つけたいわけではなく、ただ話し合いたいだけです。それを外野から煽り立てて愉しむのは、やめていただきたい!
霊存在は、私たちひとりひとりの「思考」や「感情」に入り込んでいくことで、この世に対する「影響力」を持とうとする。そしてそれは、実際に成功している。だがそれは、「主体者」の強い想いと毅然とした意志表明があれば、いずれは離れるしかなくなるのである。もちろん、相手は「悪徳セールス」と同じなのだから、1度や2度で簡単には引き下がらないだろう。そしていつかあなたの「気が変わる」のを、虎視眈々と狙い続ける。だが、それにあなたが屈しさえしなければ、最後には必ず、あなたの想いが通るのである。
あとは、「霊存在」と言ってもすべてが悪意ある存在ではないのだから、
守護霊さん、私は穏やかな想いで生きていきたいのです。ですがそれを邪魔する存在がたくさんいます。だから私に、協力してください
と強く想い続ければいい。私たちは長年の「抑圧」によって守護霊とのつながりを遮断され、その通路は獣道のように荒廃させられているが、これもきちんと「手入れ」しさえすれば、必ずまた通じるだろう。大切なのは、続けることである。
最後に、私は霊媒師として、私たちを認識されないところから意のままに操り、負の念に溺れさせて不和を起こし、自分の仲間を増やして喜んでいる負の霊団の方々に、はっきり伝えたいことがある。そう、あなたにだ。
あなたがたは
自分のやっていることは永遠にバレないもんな〜
と高をくくって、まるで透明人間にでもなったつもりで好き放題し続けているが、あなたがたがなにをしているのかは、
わかるひとにはわかっている
のである。そして、
どうせ面倒なことになっても、コイツのからだから抜けてしまえばいいだけだし。誰も俺たちを咎めることはできない!
と思っているかもしれないが、いずれこの世界のひとびとは、元来の「感受性」を取り戻し、両の眼を見開いて、真実に直面するときが来る。そのときあなたがたに言い逃れの余地はない。そもそも、あなたが今までなにをしてきて、今なにをしているのかは、あなた自身がすべて知っている。それはあなた自身の魂に、すべて刻まれている。そのことの意味を、よく考えてみてほしい。
そしてもうひとつ、あなたが認識していたかどうかは別として、霊存在のなかにはあなたのような存在の今までの行いに業を煮やし、いよいよ「実力行使」に出ているひとたちがいることを知っておいたほうがいい。そして彼らはあなたがたを
「あなたがたにふさわしい場所に強制送還する」
ことも辞さないと言っているし、実際にそうされたひとたちもたくさんいる。だからこれは別に、口先だけの脅しではない。
ただ、私個人的にはそうした「強制的な実力行使による措置」というのに与したいとは思わないし、今現在与してもいない。だが、彼らには彼らの「信念」があり、彼らとしては
もう充分に警告したし、待っていたじゃないか?
ということなのだから、それはそれでしかたのない措置であるとも思う。そして、彼らはもう本気であるのだから、このまま行けばいずれあなたも、彼らから逃れられなくなる日が来るだろう。そしてそうなったら、私にはもうどうにもできない。それがあなたの「選択の結果」だということなのだから。
だが、今あなたが相対しているのは「彼ら」ではなく「私」である。そして先ほども言ったように、私の想いは彼らとまったく同じではない。そして私は、あなたに
早く変わってほしい
と思っている。私はあなたに報いを受けてほしいわけでも、苦しんでほしいわけでもない。ただ早く、本当の喜びに向かってほしい。他者を傷つけ、自分も傷つけた先に本当の喜びはない。そんなことは、もうわかっているはずでしょう?
それにもし私がうわべだけでわかったふりをして、きれいごとだけを述べていると思うなら、私の魂の記録を見てきたらいい。そしてそれでも文句や言いたいことがあるのなら、直接言いに来たらいい。それでもしあなたの言い分に私が心底納得できたら、私があなたの仲間になったっていい。けれど、自分すら納得していない言い分で、私を納得させられると思わないでほしい。そしてそんなふうに自分に嘘をついたままでは、あなたは私を操ることも、潰すこともできない。それだけは、何度でもはっきり言っておこうと思う。
私はただ、あなたのしあわせを願っている。自分と向き合うのは怖いかもしれないが、あなたは独りではない。そして大切なのは、いろいろなひとがいるなかで、
誰と仲間になりたいか?
ということなのだ。それは決して誰かに「選ばされて」いいようなものではない。これはあなたの人生である。だからあなたが選ぶものなのだ。何度でも言うがこれは当たり前のことだ。あなたには、その権利があるのである。
コメント
こんにちは。
確かに、霊存在は自分には視えないので、変な考えが頭に浮かんでも、
どこからが自分の考えで、どこまでが干渉されてるのか全く判断が付きません。
霊能者を何人か尋ね歩いた時にも
「霊は憑いてない」という人もいれば
「強い死霊がくっついている」という人もいて
(取って貰うと、毎日続いてたフラッシュバックがなくなりました)
意見は分かれてたので、霊能者によっても視えたり視えなかったりするものなのか?と思いました。
自分にとって悪い影響を及ぼす霊存在を、見分ける方法はありますか?
ネガティブや否定的な考えが浮かんだら、もう干渉されていると思って良いのでしょうか?
それと、干渉している霊は、意図的ではなく
霊自身も知らないうちに、似た波長の人間にくっついて同化していると聞いた事があるのですが、
無意識の霊もいれば、意図的な奴もいるという事になるのでしょうか?
質問ばかりで、すみません。
さいさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
まず基本的な前提として、
干渉されていないひとはいない
と捉えていただければと思います。
それは霊能力(感受性)の上下にも関係ありません。
ですから、たとえ赤ちゃんであっても、様々なエネルギーの干渉を受けているということです。
また、それは次から次へと湧いてくるものなので、どこまで行っても
「完全に干渉されていない」ということはない
と思っていいです。
ならば、あとは
それにどう対応するか?
ということに尽きますよね。
あとは、霊能者を「技術職」として捉えれば、その鍛錬度に差があるのは当然のことだとおわかりいただけると思います。
それは終わりのない過程なので、私もまだまだ未熟なのですが、私の経験上、霊がまったく憑いていないひとに出会ったことはありません。
ただもちろんこの「霊」というなかには悪意(負の念を与える意志)ではなく善意(喜びを与える意志)によって関わってくれる存在もいますので、必要以上に怖がる必要はないです。
大切なのはやはり、
「誰と仲間になるか?」
ということであり、自分の意志に沿わないならば否定してもいいし、相手と異なる見解を持つことがすべてネガティブだということはありません。
ですからまずは、「自分の意志」を確かめることが必要だと言えますね。
そのうえで、
自分の喜びのためには、どれを選択すればいいのだろう?
と、真剣に考えて、何度でも自分に問いかけてみてください。その積み重ねが、きっと人生をより好い方向に変化させてくれるでしょう。
それから、霊のほうもふらふらと仲間を探していたり、意図的に誰かの思考に入り込もうとしていたりするそれぞれの存在がありますが、それも結局は肉体があるかないかの違いだけであり、私たちのなかにそんなひとがいるのとまったく同じことだと捉えていただいていいと思います。
またこういったことはとても大切なことなので、これからも気になったときは何度でも、遠慮なく訊いてくださいね。
そしてそれがさいさんが世界をより深く理解し、より喜び多い人生を歩む手助けになるのなら、とても嬉しいです。
Dilettanteさん
「自分の意志」
そうですね。
否定的な思考や怠惰な気持ちが浮かんだら、それも自分の心だと思いがちですが、
まずは「自分の意志」を確かめる事をしたいと思います。
「誰と仲間になるのか?」
自分の中には様々なノイズがあって、思考が支離滅裂になりがちですが、
これも「自分の意志」を確かめる事で、どの考えに寄せていくかを決められるような気がします。
感情のコントロールは、なかなか効きませんが、
これもなるべく「自分の意志」を確かめて、対処したいと思います。
という事は「自分の心、意志」と繋がる事が一番のキモなんですね。
やってみます。
丁寧に答えて頂いて、ありがとうございました。
そうですね。以前書いた
という文章とも関連することですが、
いかに自分の本当の意志を確かめるか?
というのは、ときにとても難しく感じられてしまうと思います。もちろん私にとってもそうです。
そしてそれはまさにさいさんの「支離滅裂」という実感に現れているとおり、いろいろなエネルギーの影響を受けているからだとも言えます。
だからこそ、自分の好きな音楽を聴いたり、自分の好きな場所に行ってみたり、楽しい想い出を思い出せるような環境を作ってみたりして、少しでも穏やかな気持ちで自分と向き合えるように工夫してみてください。
そしてそのときの想いを大切に、喜び多い人生を歩んでいっていただけることを、私も心から願っています。
穏やかな気持ちで自分と向き合える環境作りは大切ですよね!
自分の気持ちと向き合いつつ、意志の確認をしていきたいと思います。
ありがとうございました。
はい。
私も自分の意志をいつも確かめていたいと思います。
はじめまして。文章は、生きてる人間だけじゃなく、見えない方たちにも向かって書いてますよね、霊能者らしい文面だと思いました。私も何が真実なのか、たしかに情報も多いですし、光方面からきてるアドバイスか闇方面から来てるアドバイスか自分の魂からなのか、なかなか判別しずらく、混乱する次第です。自分自身は、スピリチュアルな方にいきたくない、地に足をつけて普通にいきていきたいと思う反面、真実や本質を知りたい欲求や、無視して相手にしないのがいいと思い込んでいるところもあるのか、気配があっても、基本無視しますが、しつこいと話しかけてしまうこともあります。光は光、闇は闇という考える人もいますし、闇と共生できる(共生という言い方はへんかもしれませんが、闇だらけの中で生きていかなきゃいけないし、闇に意識をむけず、影響も受けないと思えば大丈夫)とおもう人もいて、どちらが正しいということもないと思うのですが、どうするのがベストなのか、考え中です。ただ、うやむやにできず、きもち悪いので、自分の中では本質を知りたい、感じたいというのだけは、間違いないかもしれません。ところで、フラワーエッセンスってどう思われますか。選ぶ種類や、メーカーによっては、へんなものもありますか。プロの方の意見をお伺いしたいと思いました。最近、植物にも闇の波動のものがあるとの情報をみたのですが、真偽もわかりません。もしそうだとしても、バッチ博士などは、それもわかった上で、利用されているのでしょうか。ところで、このホームページの背景真っ黒は意味があるのでしょうか。黒いページに題名にも闇ってついてたら、普通の人だと、見たくなくなりそうですが、わざとそういう波長にしてるのですか。闇も訪れやすいとか?
細胞さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
以前
にも書いたことですが、「世界」というものをどう捉え、どう意味づけるかは、なかなかひと筋縄では行かないものだと思います。
ですが私としては、本来「霊的な(スピリチュアルな)こと」というのは、「地に足をつけて生きる」ということにとって、むしろ欠かせないものだとすら思っています。
そしてそれと同じ意味で、「光」と「闇」は本質的には相補い合うものなのですから、あまりにも「光」だけを礼賛する風潮が強いなかにあっては、むしろ「闇」を強調するのもいいかと思い、このような名称や、雰囲気にしています。
また、植物は本来的にはとても大きくて深い生命力を持っているものではありますが、ある部分では
「周りのエネルギーを吸着する」
という性質も持っているため、結果として澱みを引き受けてしまうこともあるかとは思います。
それから、あらゆる分野のあらゆることについて「玉石混淆」というのはあるのだと思いますし、すべては活かしかたでもあると思いますが、今の社会のなかではなにもかもが資本主義に呑み込まれ、「ビジネスライク」になりすぎていることもあると思います。
ですから私自身は私の身の丈に合わせ、「フラワーエッセンス」よりはただ、花を愛でていたいと思っています。
二極の間でバランスをとることがいいのでしょうかね、統合はあるのかなぁ。ストーブとクーラーをつけててなんで、と思ってる夢をみたりしました。中庸にいればいいのかなぁ。ところで、耳の中がもぞもぞするのって、波動的なものもあるのか御存じですか
いわゆる「中庸」についてもいろんな意見はありますが、以前私も
という文章にまとめたこともあるので、参考にしていただければと思います。
また、私も負の霊団に妨害されて耳鳴りや飛行機に乗っているときのような「気圧の変化」を感じることもあります。
ただそれだけではなく身体的な原因があることももちろんありますので、気になる場合はまず耳鼻科に行ってみてくださいね。
よろしくお願いします。