しんがりを務めるという生きかた。あなたが崩れたときには、私が受け止める

あらゆる局面において、まず突破口を切り拓く先鋒役の重要さは言うまでもない。誰も踏み入れたことのない場所に赴き、周囲を探索し、あとに続く仲間たちの活路を見出す。そしてそこから得られた情報を持ち帰り、さらなる作戦の改善を図る。このように、

「未知に最も早く踏み込む」

という大役を買って出ることができるひとは貴重である。戦国の世であれば、「勇将・猛将」などと言われるのがまさにそれであるだろうし、今の社会においても、未知の「フロンティア」や「ブルー・オーシャン」に踏み込んでいけるひとがこのタイプであると言える。彼らは最も危険を負う役のひとつではあるが、ひとたび成果を生み出したとき、そのひとたちへの賞賛を惜しむものはいないだろう。

また一方で、最前線から少し離れたところで、その集団の置かれた状況を的確に捉え、環境の変化に速やかに対処策を講じ、最も効果的に自分たちの目的を果たすための手段を編み出すひとびとも重要である。彼らは「軍師・参謀」などと呼ばれるが、彼らのはたらきによって、その集団の力がどこまで引き出されるかは、その目的の成否を大きく左右する。いかに自らの優勢を確保するか、あるいはいかに自らの苦境を脱するかは、彼らに委ねられている。その力が見事に発揮されたときの記録は、きっと後世にも伝えられ、賞賛を受けることになるだろう。

しかしもちろん、どんな場面でも最後には「王」(総大将)の器が問われるのは言うまでもない。そもそも王の求心力がなければ、いかなる傑物も力を貸してはくれないし、たとえ一時的な助けを得たように見えても、たやすく離反してしまうだろう。それに、王がその核となる「理想・大義」をたやすく変質させたり、見失ったりするようなことがあれば、それまでの仲間たちも疑心暗鬼に陥り、あなたから離れていってしまうかもしれない。だから王はいつも周りに気を配り、お互いの心のうちを話し合える環境を開いておく必要がある。そしてもちろん、自分の大義に歪みが生じていないか、それで自分自身を本当に納得させることができるか、よく見つめていなければならない。その基盤があって始めて、その集団は存分にそれぞれの力を発揮することができる。だからやはり、王の重要さは計り知れないのである。

だがたとえどんな勇敢なひとが道を切り拓き、情報を集めてきたとしても、それをどんな智者が分析し、考えられる最高の策を練ったとしても、そしてあなたにどんな理想や大義があり、それを実現するために真剣に行動したとしても、それでもなお思い通りにならないということはある。それは一種の「敗走」である。だが、そのときこそ最も力を試されるひとたちがいる。それが「しんがり」の役を務めるひとたちである。

しんがりとは集団のなかの最後尾を務める役のことを言い、別名で「後備え」や「殿軍」などとも呼ばれるが、「最後尾」とはひとたび相手に背後から追撃を受ける際には「最前線」でそれを食い止める役を担う場所である。しかもそこを突破されたら、その集団は後ろから相手の攻撃を受け、最悪の場合壊滅してしまう恐れもある。だから、しんがりとは「殿」という字でも表記されるように、極めて重要な役目なのである。

そこには先鋒のような華々しさも、軍師のような涼やかさも、王のような高貴さもないかもしれない。しかも有事には最も危険な目に遭うかもしれないにもかかわらず、なにもなく目的がすんなりと達せられたときには、そこにたどり着くのは最後である。もちろん、本当の正念場を迎え、あなたが奮闘して切り抜けた際には、誰もあなたのことをぞんざいには扱わないだろう。しかしその前に、そもそもあなた自身が生きて帰ってこられるという保証もない。

もちろん、少なくとも現在の日本は物理的な「戦争状態」にはない。だが私たちはともするといつもなにかに追い立てられ、社会という集団のなかで自分の居場所を探し続けている。そして多くのひとは、他者よりも前へ、前へと進んでいることに必死になっているようにも見える。

「女性の社会進出」が叫ばれるようになって久しい。これはつまり、 「女性にも(資本主義的)仕事に就いてもらえる環境を整える」 とい...

を書いたこともあるが、そのような価値観というのは現代では少数派であると思う。それはたとえば「先進国」という言いかたにも表れているだろう。それに、多くのひとが光を求め、闇を離れていってしまっていることからも、その流れは間違いないと思う。

だが、私はやはりどう考えても先頭に立つ器ではない。それに、光も決して嫌いではないのだが、闇から眼を逸らすことができない。

私は、最初から一貫して、自分が「闇」の立場から、ものを書くと表明した。これは、私が「光」を嫌っているというわけではない。単純に言って、闇側に...

それはもう、どうしても変わることのない部分だと自覚していて、これを偽ることは、自分に嘘をつくことになる。そして私は、どちらかを選べというなら、先頭よりもむしろしんがりを務めたいと、ずっと思っているのである。

これは一般論だが、あなたが独りで誰かを護衛する際には、対象者の前よりもむしろ後方に立つのが基本である。そうしないと背後から対象者に近づかれたときに気がつきにくい。だから対象者の状態をいつも確認できる後方が望ましい位置なのである。もちろん、これは護衛が独りの場合であって、これが2人なら、もう1人が対象者の少し前を歩いて安全を確認する。あるいはそれ以上の数が確保できる場合は、もちろん四方を固めたり、何人かが遠くから全体像を把握したりなど、様々な方策が講じられるのは確かだ。だがあくまでも自分が独りの場合には、護りたい相手は自分の後ろではなく前にいてもらうほうがいいのである。

もちろん、あなたは決してひ弱な存在ではない。それにあなたには仲間もたくさんいる。それにいちばんいいのは、無事にまっすぐ目的地に着けることだ。だがもし、あなたが壁に当たり、道を見失い、無気力と虚無感のなかで崩れそうになってしまったときには、臆することなく後ろを振り返ってみてほしい。あなたは、ここですべてを投げ出していい存在ではないのだ。あなたにはもっと力があるのだから、こんなことで諦めてはいけないのだ。今わかったことは、

今ここでこのやりかたでやってもうまくいかなかった

ということだけだ。ならば今度は別のやりかたでやればいい。あるいは場所を、時機を変えてみればいい。あなたが本気でやれば、あなたの想いはきっと、なにかを生み出すだろう。

もう死んでしまった?なら霊存在としてできることをすればいい。終わりということは決してない。あとはあなたの意志を思い出すだけだ。それでいいのである。そしたらあなたにできることがたくさんあることに気がつけるだろう。

最前線から見える景色がどんなものなのか、私は知らない。だが私はあなたを尊敬している。そして私は私から見える景色も決して悪くないと思っている。ここからはあなたの尊さが、美しさが、愛おしさがよく見える。だから決してそれを、棄ててしまわないでほしい。いつもは後ろなど振り返らなくてもいいのだ。だがもし崩れそうになったら、私がここにいることを思い出してほしい。私には即効性のあるようなたいしたことはできないだろうが、せめてあなたをなんとかして受け止めようと思う。そのためになら私はいくらでも鍛錬を積もう。そして、あなたとお茶でも飲みながら、世界を一緒に眺めてみたいと思う。それができたなら、私はそれだけでこのうえなく、しあわせなのだから。