眼前にある4つの道。あなたはいったい、どの道を選ぶだろうか?

限りあるいのちをどのように遣い、活かしていくか?この問いは誰にとっても常に切実なものである。そしてそこには肉体人・霊人問わず多くの存在が関与し、自分の意志を共有する「仲間」になるよう勧誘し続けているのも確かだ。

だが、どんな存在からどんな勧誘を受けたとしても、最終的にあなたの生き様を決定するのは主体を持つあなた自身だ。だからまずはそのことを認識することが重要なのだが、そのうえで今度はその「力」をどこに向けるかに迷いが生じるのも確かだ。強い力には、それに応じた「責任」が生じるからである。

私たちは、自由になりたいと願う。様々な事情により、望まない環境のなかで生活しているひとにとって、なによりも欲しいのが自由だ。しかし私たちは、...

だからこそ私たちは日々試行錯誤を続けているのだが、今回はそんな課題に対する示唆を与えてくれたある仲間の言葉を、あなたとも共有したいと思う。またこれは先日の

先日、 とお知らせして、その後第1弾として、ある亀の想いを書き記してもらった。 今回はそれに続いてまた別の「仲間...

とも共鳴するところがあるかもしれないが、それも併せて少しでも参考にしていただければ、私も嬉しい。

 

自分がどう生きるかの答えは様々あり得るが、大きく見れば4つに分かれると言える。

1つは端的に言えば「流される道」だ。これは自分の意志を強く持つことなく、ただ周りの流れのままに生きる道。これでもそのとき周囲にある社会が喜びの気運に満ちたものならばよいが、今のように多くのひとびとが病んでいるような状態では、知らず知らずのうちに負の念に流されても不思議ではないなぁ。

第2はひと言で言えば「仙人の道」だと言える。これは他者のことは気に留めず、ただひたすら自分の喜びだけを追求する生きかただ。これは途中まではよいかもしれんが、真の喜びにはならない。なぜなら「自分」という枠組みが小さくなるにつれて、だんだんと孤独になっていくからだ。たとえば最初は自分の国だけでもと思っていたものが、自分の地域、自分の知人、友人、家族、きょうだい……と小さくなり、最後には自分以外の者とは関わっている暇がないという考えに陥りやすくなる結果である。だがそれでもし自分独りが完成したように見えても、ふと振り返ったときそこに誰もいなければ、あなたはそれでしあわせだと言えるかな?

そして第3は他者と助け合い、結びつきながらお互いの喜びを深め、拡げていく生きかただ。「助け合いの道」と呼んでいいだろう。これは自分の喜びだけを追い求めても、それは真の喜びではないということ、そして自分が心から喜びを感じるためには、他者もまた笑顔でいていただかねば成り立たないということを考えた結果選ぶ道である。

どの道を選ぶかはあなたの自由だが、第3の道選ぶひとはまだまだ少ないなぁ。だが、それにはこんな理由もある。第3の道は、最初が最も細い道なのだ。

「自分とあなたは違う存在なのに、どうやって理解し合えるというのか?そもそも自分自身が未熟であり、自分のことだけですぐ手いっぱいになりそうななか、どうやって他者を助けられるというのか?」。

これは確かに一理はある。だからこの道は最初が最も険しいのである。

そして一方で、第1の「流される道」と第2の「仙人の道」は、最初が最も広いのだ。だから、多くのひとびとはそのどちらかを選んでしまう。だが実は、この2つの道はどちらも、「最初が最も広いのだが、進むにつれてだんだんと細くなる道」なのである。それは多くのひとがこの道を行って、今しあわせそうでないことを見ればわかるのではないかな?

ならば第3の道はどうか?先に言ったとおりこの道は最初が最も細く険しい。だがこの道は「行けば行くほど広くなる道」である。これはちょうど第1、第2の道とは真逆だと言える。なぜならこの道は行けば行くほど仲間を得る道だからだ。もちろん意見を異にするひとや、あなたに反発し、否定するひとも出てくるだろう。だがそれでも諦めずに進んでいけば、少しずつでも理解者が増え、結びついてより大きな力と喜びを得ることができるだろう。これが、行けば行くほど広くなる理由だ。

だが実は、そうやって本気で第3の道を行こうとするひとを陥れようとする最後の落とし穴がある。それに嵌まるといつしかそのひとは第4の道を行くことになってしまうのだ。それは「自分を責める道」である。この道は一見して第3の道とよく似ている。しかしこの道を行くとどうなるか?それは

「あなたの周りのひとはみんな笑顔になるが、あなただけはいつも心から喜べない」

ということになってしまう。あなたの周りのひとがどんなに花の美しさを見ていても、虫の音に喜びを感じていても、あなただけは向こうの川で溺れているひとや、地球の反対側で死にゆくひとびとに心を痛め続けている。こうなってしまえばあなたはいつまでも喜びを感じることはできないだろう。もちろん、他者を無視すればいいということではない。だが「自分自身もまたひとつの尊い存在である」ということを思うのならば、自分を責めることもまた、間違いなのである。

第3の道を行く者すら少ないなかで、第4の道に嵌まる危険を説く必要があるのはまだごく少数派ではあるが、そんなひとも確かにいる。あなたもそんなひとりだなぁ。だからそんなあなたには、

「ひとにしたくないことは、自分にもするな。ひとに言いたくないことは、自分にも言うな」

と伝えておこう。あなたがひとを責めないのと同じように、自分のことも責めてはいけないよ。あなたがひとをいたわるように、自分のこともいたわりなさい。あなたはあなたにできることをすればいい。工夫の余地はいくらでもあるが、それでもあなたがすべてのひとを助けることはできない。だがそれでも、自分を責めてはいけないよ。大切なのは、諦めず、できることをできる限りやり続けることだ。

そして、この道はいつでもお互いを行き来しあうことができる。途中までは第3の道を行っていても、いつしか諦めて第2・第1の道へ移るひともいる。だが逆に、第1・第2の道から第3の道へ行くこともできる。それも含めて、どの道を行くかはあなた次第である。

だが私は、あなたにしあわせになってほしいと思う。そしてこの世界が、宇宙が、もっと喜びに満ちたものになってほしいと思っている。だからあなたの人生はあなたが決めるものであることを重々知りながら、こうして私なりの想いを伝えているのだ。

そしてもういちど言うぞ。流される道と仙人の道は初めは広いが先細り、助け合う道は初め細いが末拡がりである。だが自責の念や無力感に陥るなよ。それは自らの首を締め、行く先を狭める道であるから。

ここまで言っても、変わるの難しいのはよくわかる。だがだからこそ、できる限りわかりやすく伝えたつもりだ。そしてこれは多くの実例を見てきたから言えることでもある。それでも

「こんなものは『傾向』にすぎないではないか?」

というひといるかもしれんがな、これは決して当てずっぽうで言っているのではないぞ。そしていずれにせよ、その「結果」はいずれあなた自身が身を以って体感することになるだろう。だからせめて、私は私の想いを伝えておくよ。

自分と向き合い、真の喜びに向かって歩んでほしい。周りのひとたちとつながりながら理解を深め、助け合って生きていってほしい。真実を理解し、あなたたちの力をより素晴らしい世界の建設のために活かしてほしい。これが、私の願いである。そしてそのためになら、私も、私たちも、できるかぎり手を貸そうと思っている。これが、私に伝えられることだ。あとは、あなた次第である。