負の霊団が私たちに影響を及ぼすときの「古典的な戦術」を知ってほしい

私たちは古代から現代に至るまでの間に多くの変化を経てきたし、同じ「日本」という枠組みのなかで見ても100年前と今の姿は大きく異なっている。しかし、実のところそこで生きる私たちの性質は、それほど変わっていないとも言える。これを端的に言い換えると、

私たちの苦しみや悩みの原因は、どんな時代を経ても基本的にそれほど変わっていない

ということだ。

そして、そこを突いて私たちを病みに陥れようとするのが負の霊団(曇り・穢れ・邪・魔)だと言える。そしてこれはそれと無意識的にでも意識的にでも手を結んだ肉体人にも言えることだが、彼らの影響力は今でも強大で、だからこそ私たちはなかなか喜びを見出せずに生きているとも言える。

だが、私たちの悩みや苦しみの根本的な原因が変わっていないということは、そこを突く負の霊団のやり口もまた、言ってしまえば「古典的」だということだ。それはもちろんそれが「効果的」であるからなのだが、それに躍らされるのを望まないなら、まずは

「相手をよく知る」

ことも重要だ。

だからここで、相手の「代表的な戦術」を、いくつか紹介していこうと思う。

 

1:お前のやっていることは無駄だ!無意味だ!無価値だ!

まず初めに挙げるのはこれだ。これはつまり、自分のやっていることにはなんの意義もないと思わせる戦術である。それに嵌まると、私たちは無気力になる。そして、自ら今までの積み重ねを放棄してしまう。

2:こんなの、割に合わないんじゃないか?

これもよくある戦術である。そしてこれは私たちの「損得勘定」を刺激することによって、自分以外のことを考えさせなくするためだとも言える。またこれは特に「短期的な損得」に眼を向けさせ、「長期的な視座」を保てなくさせようとしている戦術でもある。

3:いつまで耐えればいいんだろうねぇ……

これも短期的な視座を持たせるための戦術である。これは「現在の苦しみ」を「永遠に続くもの」と思い込ませる術であるとも言える。これにやられると、たとえあと少しでそのトンネルから抜け出そうとしていたとしても、それを信じることができずに投げ出してしまうことになる。

4:これはなんのため、誰のためになるんだ?

これは自分がやっていることの意義を見失わせる戦術である。これと併せて

4の2:こんなの自己満足なんじゃないか?

というのを差し込まれると、足元がグラつくことも多い。

5:結局はアイツに利用されてるんじゃないのか?

これは上の4の2とは対称的に、誰かに時間や労力を「搾取されている」という思考によって不協和音をもたらそうとするものである。その結果、表面的な「量」によって

5の2:私はこんなにしてやっているのに、アイツは怠けている!

というような思考に入らされれば、さらなる深みに堕ちることになる。

6:いいんじゃないのか?自分さえよければ

これは他者との調整や連携を図ることに疲れさせ、自分だけの狭い思考に入らせようとする戦術である。しかし実際には、自分さえよければと思って行動すると、最終的には自分すらよくない結果を生むのである。

7:ずっと前から、あなたのそういうところが嫌いだったのよ!

これはそのときその瞬間に思っている感情に対して、

「歴史を捏造する」

という戦術である。これによって、言われた側のダメージは数十倍に膨れ上がり、その修復はより困難になる。

また、

7の2:初めて会ったときから、あなたは気に食わなかったのよ!

なども、この亜流であると言える。

8:これが私の本音だったのよ!

「本音」というのは実はそれほど固定的なものではない。

「本音などない」と言い切った師。「偽りの本音」に惑わされて大切なものを失わないでほしい
ずっと言おうと思っていたけどな、本当はお前のそういうところが大嫌いだったんだ! ほんとはね、こんな生活にはうんざりしてたのよ! 私たちは誰しも多かれ少なかれ自分の想いを抑え込んで生きている。だが、それが限界を超えて外に出たとき、...

しかしこう言うことによって、それに相反する事実や積み重ねはすべて霞まされることになる。そしてこの戦術が厄介なのは、これによって言っている本人も、

今まで言えなかったけど、これが私の本心だったんだ……

と思い込まされるところにある。これは

8の2:ずっと我慢してきたけど、今こそは言わせてもらう!

というような言葉とも共通した性質である。それに、これをもう少し発展させると、

8の3:今冷静になって振り返ってみると、あなたのせいでどれだけひどい目に遭ってきたのか、よくわかります

8の4:今の私はとてもしあわせなので、当時の私がいかに不幸だったのか、よくわかります

というような発言になったりもする。そして厄介なのは、本当にこういうふうに言える事例がまったくないとも言えないことなのだが、いずれにしてもこのようなことを言いたくなったときには、自分が今本当に「冷静」なのか、そして本当に「しあわせ」なのかを、よくよく考えてみてからにしたほうがいいと思う。

9:うるさい!

これは単純だがとても強い力を持つ言葉である。これを言われてしまうと、そこに話し合いの余地はなくなる。また、こう言われることを恐れて、誰もあなたになにかを言えなくなってしまう。そうすると行き着くところは、「孤独」でしかない。

10:私の気持ちなんて、あなたにはわからないでしょ!

これはある面では反論しようのない真実である。だからこそとても厄介でもあるのだが、これは相手の「わかろうとする気持ち」や「寄り添いたいという想い」を拒絶する言葉である。そして

確かにまったく同じ存在はいないが、それでも共通点はある

という事実を見えなくさせる戦術である。こうなると私たちは根源的に砕かれ引き離されて、バラバラになるしかなくなってしまう。

 

と、細かく挙げていけばまだまだあるが、ここではひとまず代表的な10項目を挙げてみた。なお、これは今後も必要があれば追加するかもしれない。

だがこれは結局、同じ方向に向かわせるものだとわかってもらえるはずだ。それは

味方を敵と思わせ、敵を味方と思わせて、疑心暗鬼で潰し合わせて孤独にし、最後には無力感で自滅させる

という方向性であり、最終的には「自殺」あるいは「死んだように生きる」か「自暴自棄」にさせられていくのである。そしてその結果が、9割以上のひとが病んでいる現代であり、今の私たちの世界の姿なのである。そしてそこで、負の霊団が歪んだ笑いを浮かべている。

ここで改めて確認しておきたいことは、霊存在(エネルギー)というものは私たちの「思考」から入り込んで、私たち個人やその集合としての世界に影響を及ぼそうとしているということだ。だから自分に「霊感」があるとかないとかはいったん脇に置いて、自分の「思考」を確かめてみればいい。いかに多くの場面で、こういった思考に影響されているかがわかると思う。

 

だとしたら、私たちはどうすればいいのか?

まず大きな方向性としては、相手が

味方を敵と思わせ、敵を味方と思わせて、疑心暗鬼で漬し合わせて孤独にし、最後には無力感で自滅させる

という戦術で攻めてくるなら、こちらは

素直に話し合い、仲間と想いを共有し、なにもかも撹乱されないように、自分の意志を確かめ続け、相手のこともよく見る

という姿勢を保てばいい。

それは相手が

目先の損得を考えさせ、今すぐ見える結果がないと言い、捉えどころのない不安に溺れさせようとする

のに対して、

長期的な視点を保ち、蒔いた種が芽を出すまで待ちながら育て続け、大きな(大きく見える)課題に対しても、できるところからひとつひとつ対処していく

という軸を保ち続けるということだ。

また、こういった相手の思惑に対応する具体的な方法については、今までの文章にも書いてきたと思うし、これからの文章にも書いていこうと思うが、すべての大前提として

簡単な近道はない

ということを肝に銘じてほしい。だからこそ私たちは途中で諦めたくなってしまうのだが、あなたのやっていることは、あなたの存在は、決して無駄ではないのだ。

そして今回書いたようなことは、私が霊媒師として、今まで山のように言われ続けてきたことでもある。多くのひとは

「無意識のうちに思考に入り込まれている」

というわけなのだが、私の場合はこれを

「より直接的なかたちで感受する」

からである。それは決して楽しいことではないのだが、それに私は具体的に反論してきた。だからあなたも、自分に与えられているこのような思考・想念に対して、自分ならどう反論するかを考えてみてほしい。

また、たとえこうしたことをある程度認めたうえでも

たとえそのような存在が影響を与えているとしても、それ自体が「私の一部」になっている以上、それは「私の気持ち」であって、切り離すことはできません!

というように言われてしまうこともあるが、それでも私としては、

「今自分がどう思っているか」ではなく、「自分は本当はどう思いたいのか?多様な解釈のなかから、どの解釈を選びたいのか?どんな方向に進みたいのか?」ということを、考えてみてください

とお伝えしたいと思うのである。私たちは、実のところそんなに強くはない。特に今のような状況では、守護霊とのつながりも、さほど強くはない。だから「今の私がどう思っているか」などというのは、本当は簡単に、変えられてしまうものでもあるのだ。だからこそ、

「今から私がどう思いたいか」

は、私自身が選ばなければならない。そしてそれこそが、私たちの未来を創る、最も大切な種となるのである。

 

私たちは今まで、見えないところから静かに操られ、嘲笑されてきた。それにもちろん、私は霊存在からだけではなく、目の前のひとの行動からこうした想いに嵌らされそうになったことも多々ある。そうなったとき、負の霊団はいつも拍手喝采で私たちを嘲笑っているのである。

そしてなにも知らずに好き放題にされてきたひとが、やがて死んで真実を知ると、今度はそんな自分の「仲間」を増やし、

苦しめられていたのは自分だけではなかった。だから、自分は変わらなくていいんだ。だって見てみろ、世界はいつだって変わってないじゃないか?

と「自分の正当性」を主張するために、自ら負の霊団の一員となってきたのだ。こんな哀しい事態が今でもそこらじゅうで起きているのである。しかしそんな「負の連鎖」はもう終わらせなければならない。というより私は心から、終わらせたいと思っている。

だから、私たちは相手が霊存在でもひとでも関係なく、話し合えばいい。想いを共有すればいい。そしていつも自分を省みて、こう言えばいいのだ。

私は、喜びとともに生きていきます。変わっていきます。だからその想いを共有できない存在、私のその意志にそぐわない存在、私を苦しめようとするような存在は、離れていってください。そして私は、一緒にお互いの喜びを深め合える存在とともに歩んでいきます。守護霊さん、みなさん、力をわけ与えてください。そして一緒にその喜びを、育んでいきましょう。よろしくお願いします

大切なのはいつも、なにを選ぶかだ。それは霊でも肉体人でも変わらない。そのとき必要なのは「根気」と「意志」だ。相手には相手の<意志>があり、執拗にこちらの意志を折ろうとしてくるからである。そしてもちろん私も、自分の心を振り返り、できることはしようと思いながらも、いつでもあなたを待っている。そう、喜びの連鎖を生み出す最初の1歩を踏み出すのは、あなたなのである。

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  1. だれか より:

    負の霊団の戦術、、、
    人がネガティブになった時に思う事ばかりですね。

    私は負の霊団の姿が、見えも聞こえもしないので、
    この話を聞くまでは、ネガな考えは自分自信の価値観であり、
    自分の中から生まれてきたものだと思っていました。

    友人には、ネガティブだと怒られるし、
    現在付き合ってる人は、私の3倍ネガティブなので今度は私の方がイライラしてしまいます。

    なので、Dilettanteさんが実際どんな風に聞こえているのかが気になります。

    良い考えやアイディアならば、どんどん湧いて欲しいのですが、
    凹むようなネガティブや、混乱するような発想ばかり浮かぶので、
    霊団の勢力は相当強いと思われます。

    よく、「悪い霊を引き寄せるのは、自分の波長のせい」という言葉も聞きますが、
    やっぱり自分の低い想念がこういうものを引き寄せているのでしょうか。

    でも、根気と意志で乗り越えるしかないんですね。

  2. だれか より:

    返信、ありがとうございます。

    そうですね。
    夢や希望や意志、私らしさを潰し、無力感を強くさせたのは、
    いつでも周りの大人達であり、社会に蔓延する偏見に満ちた価値観でした。

    そして、いつしか自分でも、自分のダメさを繰り返し唱えるようになり、
    みごとに無力人間に教育されてしまっていました。

    でも「ネガティブは自分の考えじゃなく、すり込みや負の霊団の影響なんだ。」
    という事に気付けば、ネガに深くは埋没せずにいられそうな気がします。

    こういう大切な事は、親も学校も社会に出ても教えてはくれません。
    教えるといっても、そもそも誰も知らない考えだとも思います。

    本当にポジティブで前向きに、人生を選び取って生きてる人がいかに少ないかが分かりますね。

    またネガに落ちそうになったら、この事を思い出したいと思います。
    ありがとうございました。

    • Dilettante より:

      ええ、おっしゃるとおり、これはとても大切で、基本的なことでもあると思うのですが、単に「知らない」というだけでなく、「言っても信じてもらえない」というのが現状だろうと思います。

      そんななかで数あるサイトや情報のなかから私を見つけ出し、関わり、信じてくださったこと、とても嬉しいです。
      ありがとうございます。
      私もまだまだ未熟者ではありますが、この認識や理解が少しでもあなたの人生を喜ばしいものにする手助けになることを願っています。

      そしてまたいつでも、遊びに来てくださいね。
      今後ともよろしくお願いします。

  3. なすび より:

    あぁ、読んでいて心に染みました。

    まさに今の私はこのような思いと闘っている最中です。

    絶対に負けたくないです。

    幸せになりたいし、周りの皆も幸せになって欲しいし、この世をもっとよくしたい。

    そのために生まれてきたんじゃないか。それが存在の目的なのではないか。

    私の愛読書、”シルバーバーチの霊訓”にも霊が人間の思考に及ぼす影響は思っている以上に大きいということが書かれていました。

    記事でおっしゃっているとおり、この道に近道はありませんね。

    明日からもまた頑張ります。

    倒れても倒れても立ち上がり続けていくしか選択肢はないし、それを積み重ねていくことがまた生きる目的なのかもしれない。

    • Dilettante Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですか、やはりこの「古典的な戦術」は、かなり普遍的なものなのだなぁと改めて思います。

      そしてそれはこの戦術の「強力さ」を示しているというわけで、私自身も何度もこうしたものに苛まれてきましたが、あなたと同じように、私も「倒れない」ことよりも「乗り越える」ことのほうに意識を向けることで、なんとか今も生きています。

      ただこれは自分に向けて言っていることでもありますが、ときには「立ち上がる」ことにだけこだわることもなく、「寝転がる」のも悪くはないかなぁと、そう思っています。

      今を見上げるあなたの心に、静かな暖かさが宿っていますように。

  4. りな より:

    お疲れ様です。いつも楽しくこちらを拝見しております。

    私は上記(負の霊団のセリフ) を生きている人々に言われ続け、無気力人間になりました(汗

    私の場合、何かやろうとすれば罵声を浴びせられ続け、今では引きこもりニートです。何かやろうとすれば心臓がバクバクして不安と恐怖しか感じません。例え 成功したとしても達成感がありません。

    現在 感じるのは言いようのない辛さ、恐怖、憎しみ、哀しみだけです。

    どうしたら喜び、楽しさ、達成感等の+思考が戻ってくるのか教えて頂けるとありがたいです。

  5. 門音 より:

    いつもありがとうございます。

    負の霊団・・哀しい連鎖があるのですね。

    「(負の霊団に笑われたひとが)死んだあとで、自ら負の霊団の一員となる」、そう聞いただけで苦しくなります。

    生まれ変わり死に変わりを続けるなかで、私も負の霊団に属していたことがあったのかなあ。

    私にとって、とても大切なひとが負の霊団にいるなんてことはないだろうか。

    もし、そんなことになっていたら私は、やり方も何もわからずに、でもなんとかしようと、なんとかできるひとになりたいと、そのためにはとにかく私が成長しようと、えいやっと(勢いで)生まれてくることを選びそうです。

    私なんて、たいしたことできるひと(魂・霊)でもないのに・・(苦笑

    嫌だな・怖いなとかも思いますが、ひとごとじゃない感じがとてもするし・・。

    護るって「助ける」「ただじっと見守る」いろいろ方法があるのだろうし、お節介やらの手のだしすぎはダメなのだろうし。難しいです (;´д`)トホホ

    それに私も、負の霊団には苦しめられている(であろう)、とてもとても弱い存在だし。

    でも、どれだけ傷ついても負の霊団の哀しい連鎖に加わることは(負の霊団の一員となることは)どうしたってキッパリ断ります、断りたいのです。頑張ろうっと。

    それから何度も読んでいるうちに、「病み」まで包み込んでくれるような「闇」に、「神(はたらき)」を強く感じた私なのでありました。

    Dilettanteさん、いつもいろいろ考えるきっかけをくださって、ありがとうございます。あたたかい言葉(文章)をありがとうございます。

    いまは、寒いですね。それでも、どうにかお元気でいらっしゃいますように。願っています(о´∀`о)

    これからも、よろしくお願いします。

    • Dilettante Dilettante より:

      門音さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうやって私の文章からいろいろと考えていただけて、とても嬉しいです。

      私ももともと負の霊だった存在をたくさん見ていますが、確かに過去の自分のしたことを省みることは必要だとしても、そのすべてと向き合って糧にできるのなら、過去のあるできごとによって永遠に責めを負うべきものではないと、私は思っています。

      それに私をそのように助け導いてくれたひとのおかげで、今の私もいるんですし。

      ただいずれにせよ、負の霊団というのは未だに数えきれないほどいますので、私もいつかは、いつかには、彼らすべてと一緒にしあわせを感じてみたいと、そう思っています。

      ですから私はあなたが

      私にとって、とても大切なひとが負の霊団にいるなんてことはないだろうか。

      もし、そんなことになっていたら私は、やり方も何もわからずに、でもなんとかしようと、なんとかできるひとになりたいと、そのためにはとにかく私が成長しようと、えいやっと(勢いで)生まれてくることを選びそうです

      とおっしゃる気持ちに、私なりにではありますが、深い共感を覚えるのです。

      そしてそのうえで、あなたは

      私なんて、たいしたことできるひと(魂・霊)でもないのに・・(苦笑

      とおっしゃいますが、そんなことはないです。

      そもそも、

      「こんな時代のこんな地球に生まれてくることを選んだ」

      というだけでも、すごいことなんですよ。

      こんな大変なときには、よほどの決意がない限り、生まれたいと思わないものですからね。

      ですがそれでもすごく大変なのは私もわかっていますので、ともかく最期まで生き抜くだけでも、ひとまずは充分なのだろうとも思っています。

      そのなかでもいろいろなことが起きて、いろいろなことを学ばせてくれますからね。生きているだけで、大変なことです。

      そしてだからこそ、これからもお互いを励まし合いながら生きていければと思っています。

      あなたもどうぞご自分をいたわって、どうか少しでも、あなたらしくいてください。

  6. まさ より:

    苦しくて死にたいとき

    「自殺したいよね」

    「死にたいね」

    と私はひとり口にしたりしますが、それは負の霊がそう言わせているのでしょうか?

    私は死にたい、でも死んではいけない、生きるべきだと思ってます。

    負の霊には「稲荷の霊」も含みますか?多くの新興宗教の「教団霊」は稲荷霊なのだとしつこく教える人がいました。私の家は3代に渡る新興宗教の信者でしたが、それを聞いて私と母は教団を脱会しました。

    亡くなった親父は信仰したまま他界したので、あの世では稲荷の手下として走らされているかもしれません。27年前に亡くなった親父が、今でも憎いです。とんでもない暴力と偽善の恩着せがましいクソ野郎でした。

    父または母をののしる者は、必ず死に定められる

    マタイによる福音書 15 : 聖書日本語 - 新約聖書
    日本語で聖書章 - 新約聖書 - Matthew, chapter 15 of the Japanese Bible

    と書かれた『聖書』に脅かされて、

    「父を完全に赦しました」

    というような言葉を何万回も繰り返したり、『許すということ』という本を熟読してワークを行なったりしました。大阪や横浜でTFT(思考場療法)という手法を用いて、記憶(思考場)に刺さった心のトゲを抜いてもらうセラピーを大枚はたいて受けに行ったこともあります。

    私はそれで怒りも恨みも憎しみも全て解除して水に流したつもりでしたが、最近またセラピーを受けて、親のことを未だに許せていないことが分かり、愕然としました。

    病に伏した弱った私を見て、

    「小さい頃から、線の細いところが気に食わんかった」

    とボソリと吐き捨てた父。

    「こんなことなら、工員でも目指していたほうがよかった」

    などとも呟きました。私には「工員」という職種にある人を軽蔑する気持ちは一切ありませんでしたが、親父のその言葉にははっきりと軽蔑と差別の意識を感じました。そしてその言葉には「息子の職業選択は私が決める」という思い込みが滲んでいました。

    負の霊が親父の弱い心を乗っ取ってそう言わしめたのでしょうか?

    親父の日記には、発病当時の私を軽蔑し遠回しにしつこく批判する言葉で溢れていました。

    そんな人をどう許せばいいのでしょうか。

    親父が死んで天国へ行ったとはとても思えません。仏前で般若心経や観音経を上げることがありますが、それで親父が救われるとも思えません。

    私は自殺しないで最期まで生き切れる自信がありません。

    私は死に定められているということでしょうか?

    許してはいけない人の行為を許さなくてはならないのでしょうか?

    自殺してしまったら、私も始末の悪い負の霊になってしまうのでしょうか?

    助かる道はどこにありますか?

    • Dilettante Dilettante より:

      まささん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      苦しくて死にたいとき

      「自殺したいよね」

      「死にたいね」

      と私はひとり口にしたりしますが、それは負の霊がそう言わせているのでしょうか?

      そうですね、もちろんそこには負の霊の影響もあると思いますが、それはそれとして

      私たちの心のなかには日々さまざまな感情が湧いてくるものなので、単に「それを眺めて受け止めているだけ」であれば別に問題はないというか、むしろ「自分の現状を把握するのに役立つ」という面もあるだろう

      とも思います。私が以前から

      負の念が湧くのを責める必要はないが、それを言動や行動に移さないことが大切だ
      私たちは日夜様々な想いに晒されながら生きている。私たちはできれば穏やかに暮らしたいと思っているのだが、実際には自分の感情は不安定で、刻一刻と変化していく。これは「自分の感情」というもののなかに、多くの他者からの影響が与えられていることも大き...

      などと言っているのもそういう意味であって、つまり

      いちばん大切なのは、自分が感じている素直な気持ち(種)を、悪い方向に煽られ歪められることを防ぐことなんだ

      というのが私の立場なんですよね。そしてだからこそ私はあなたが

      私は死にたい、でも死んではいけない、生きるべきだと思ってます

      とおっしゃっているその気持ちと努力を、心から応援したいと思っているわけです。

       

      負の霊には「稲荷の霊」も含みますか?

      ええ、「含みますか」と訊かれたら、確かに含みますね。ただこれは別に稲荷(狐)の霊がみんな負の霊だ(悪さをする)というわけでは決してなくて、ただ単に

      「人間なのか狐なのか」あるいは「肉体人なのか霊存在なのか」といったことにはまったく関係なく、「どんな集団・属性のなかにもいろいろな存在がいて、それぞれの意図を保っている」というだけなんだ

      という意味です。そのうえで狐や狸、あるいは蛇のような動物の場合は、

      「人間が『そういう種類の動物』として扱うことが多かった」

      ことにより、実際にそれ相応の力を保つようになったという背景もありますね。

       

      負の霊が親父の弱い心を乗っ取ってそう言わしめたのでしょうか?

      そうですね、これは

      乗っ取ってそう言わしめた

      という表現だと強すぎるかとは思いますが、

      「唆してそう言わしめた」

      くらいの影響なら間違いなくあっただろうと思います。

      ただ、たとえそうであったとしてもそれがお父様の口を通じて表現された以上は、そこにお父様の責任がないと言うわけにもいかないですし、そうしたすべてを踏まえたうえで、あなたがお父様にいい印象を保てなくなったとしても、それについてあなたを一方的に責めることようなことは、私はしたくないですね。

      ですからそんな私に

      そんな人をどう許せばいいのでしょうか。

      許してはいけない人の行為を許さなくてはならないのでしょうか?

      と訊かれたとしても、そもそもゆるせないものを無理にゆるした(つもりになった)としても意味がないですし、それは

      大阪や横浜でTFT(思考場療法)という手法を用いて、記憶(思考場)に刺さった心のトゲを抜いてもらうセラピーを大枚はたいて受けに行ったこともあります。

      私はそれで怒りも恨みも憎しみも全て解除して水に流したつもりでしたが、最近またセラピーを受けて、親のことを未だに許せていないことが分かり、愕然としました

      とおっしゃる今のあなたが、誰よりも痛感していることだろうと思います。だからそのうえで私が言えることは

      「ゆるせないひとにはゆるせないひとの景色があり、ゆるせたひとにはゆるせたひとの景色がある」というだけで、それは上下でも優劣でもまして義務でもなく、ただそのひとの現状と選択を表しているだけなんだ

      ということくらいなんです。

      確かに、今の私にはゆるせないひとはいませんが、それだって私がずっと

      絶対にゆるさない

      と言われ続けてきた立場の人間だから、

      そんな私が誰かをゆるさないなんて言える立場ではない

      という自負をなくさずにいられただけで、もし仮にそんな経験がなかったとしたら、私自身誰かを責めたり恨んだりし続けていた可能性だっていくらでもあると思うんですよ。

      だからそんな私がこのようなことについて言えることはほとんどないということなんですが、でもせめて私も私なりにずっと考え続けていきたいとは思っています。

       

      あとはそれとはまた別の問題として

      自殺してしまったら、私も始末の悪い負の霊になってしまうのでしょうか?

      という点については、

      それが「始末の悪い負の霊」になるというかたちを取るかどうかは別としても、「あなたに関わったすべてのひと、もちろんあなた自身や私も含む全員にとって、かなり後味の悪い嫌なこと」になるというのは間違いないかと思います

      というのが私の素直な感想です。

      ですからそんな私としては、たとえあなた自身から

      私は自殺しないで最期まで生き切れる自信がありません

      と言われようが、

      それでもせめて自殺をすることだけは、どうか思い留まってください

      と懇願し続けるしかないんですが、でも一方であなたが

      助かる道はどこにありますか?

      とまで迷う必要もないだろうと思います。それは先ほども言ったとおり、既にあなたは

      私は死にたい、でも死んではいけない、生きるべきだ

      という想いも自覚できているからです。だから

      あとは、たくさんある感情や波のなかで、「あなたがどれを選び、どの流れや方向性に加担するか」ということが、すべてのカギになる

      ということなんです。つまりこれは他でもない、あなたの人生だからです。

       

      そしてだからこそ私としては、あなたに

      私は死に定められているということでしょうか?

      なんて憂いや恐怖を与えるような表現というか解釈は、できるだけ早くなくしていきたいとも思いますし、それもいずれきっと実現するだろうと思っているのですが、とにかくそんなことよりなによりも重要なことはあなたが生きているということそのものなんです。

      ですから私も自分の未熟さはよく理解しているのですが、それでもこれからもできる限りを尽くして伝え続けようとは思いますので、どうか、よろしくお願いします。

      • まさ より:

        「親を罵った罪で死に定められている」という観念に脅迫されていました。

        心のなかで親を罵っているとき、自己が責め咎められているのを感じ、罪悪感を抱きます。

        「許せない」と、沢山の人間がその想いに苦しんでいて、しかもそれを口にすることを禁じられている、だが禁じ切ることができずに、どこかで感情表出せざるを得ないのだとしたら。。。それを救う人類の叡智は必ずどこかに隠されていて、私達に発見されるのを待っていると思います。

        泉谷閑示という精神療法の医師が書いた

        『「普通がいい」という病』(泉谷 閑示):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
        頭とこころのバランスを取り戻すヒント満載。私たちはあまりにも「~しなくてはいけない」という言葉に縛られていないだろうか? 常識と思っていた言葉の手垢を落とし、「自分らしく生きる」ための10講。(講談社現代新書) 頭とこころのバランスを取り戻すヒント満載。私たちはあまりにも「~しなくてはいけない」という言葉に縛られていな...

        という本に、潜在意識の「感情の井戸」には、表面から井戸の底に向かって順番に「怒」「哀」「喜」「楽」の感情が埋っていて、表面の「怒」「哀」を取り出さないことには奥にある「喜」「楽」は取り出せないとありました。

        この場合、たいてい「怒」「哀」の感情は発酵したように(腐ったように)異臭を放ち、始末に負えないので専門のカウンセラーにも吐き出さないこと、とありました。

        どうするのかというと、思いのたけを気の済むまで『心の吐き出しノート』に書き殴り、吐き出しなさいということでした。そしてそのノートはカウンセラーにも見せないようにすることとありました。

        私はそれをやろうと思います。他人の前で感情表出する(心理的デブリーフィング)のは現在の心理療法では非常に注意を要するそうです。一時的にカタルシスがあっても、長い目で見ると悪化してしまうそうです。

        感情の蓋を開けるのは、その感情の入っている釜と蓋(心の器)をしっかりしたものに強化しなければならないとも習いました。

        抑圧が必ずしも悪者ではないので、ゆっくりと心の器を強くて柔軟なものに育てなくてはなりません。抑圧の蓋を開けるのはそれからということでしょう。

        『聖書』は神が書いたものではなく、神が人に書かせたHoly Bookでもないと知っているつもりです。それでも影響力を感じます。真理と非真理とが混淆していて見分けが付きにくいからです。

        このところ厳しい状況で、身悶えして苦しんでいますが、この度のDilettanteさんの言葉には慰められ、心が少し憩いました。「許せない」のをいたずらに責め咎める心が少し救われました。

        長い闘いになると思いますが、めげないで前進したいと思います。

        私が警戒している「稲荷霊」のことについて書いてくださり、非常に感謝しました。いたずらに彼らを警戒したり敵視したり、恐怖したりしない方がいいですね。この世にもあの世にもいろいろなひとがいるということでしょうか。

        • Dilettante Dilettante より:

          潜在意識の「感情の井戸」には、表面から井戸の底に向かって順番に「怒」「哀」「喜」「楽」の感情が埋っていて、表面の「怒」「哀」を取り出さないことには奥にある「喜」「楽」は取り出せないとありました。

          なるほど、私はその著者も本もまったく知らなかったのですが、あなたのご説明に加えて

          感情の井戸
          ■━━━━━………‥‥・・■━━━━━………‥‥・・   The Open-minded Life littl…
          どうして「心の声」が聴こえなくなってしまったのか
          「怒り」は嫌悪すべきものだろうか?心の奥にある「怒り」や「哀しみ」に耳を傾けることで、初めて解き放たれる感情がある。精神科医から3回目のメッセージ。

          などのページも参照することで、なんとなくの概略は掴めたかと思います。確かに、これはまたとても示唆深い見解ですね。

          特に

          この場合、たいてい「怒」「哀」の感情は発酵したように(腐ったように)異臭を放ち、始末に負えないので専門のカウンセラーにも吐き出さないこと

          思いのたけを気の済むまで『心の吐き出しノート』に書き殴り、吐き出しなさいということでした。そしてそのノートはカウンセラーにも見せないようにすること

          抑圧が必ずしも悪者ではない

          という指摘や実践は、私にとっても実に参考になるものでした。

          こうして共有してくださって、本当にありがとうございます。

           

          このところ厳しい状況で、身悶えして苦しんでいますが、この度のDilettanteさんの言葉には慰められ、心が少し憩いました。「許せない」のをいたずらに責め咎める心が少し救われました。

          そうでしたか、少しでもお役に立てたなら嬉しいです。

          家族関係や親子関係に悩んでいる(悩んでいたことがある)ひとはあなたに限らずとても多いと思いますし、もちろん私もそのひとりで、だからこそ折に触れていろいろと考え続けてもいるのですが、今になって私が思うようになったのは、

          それがたとえ一時的なものであれ長年に亘るものであれ、なんらかのかたちでこどもから疎まれたり嫌われたりするのも、なんと言うか「親の役回りのひとつ」なのかもしれない

          ということなんですよね。つまりこどもが親に反発するのはある程度しかたがないと言うか当然のことでもあって、親もそれはどこかで最初から覚悟していることなんじゃないかなと。でもだからこそその

          「こどもから親への敵愾心や嫌悪感」

          のようなものは、ほとんどの場合「いずれ時間が解決する」と言ってもいいんじゃないかと思うんです。

          ただもしこれが逆に

          「親からこどもへの敵愾心や嫌悪感」

          だった場合ははるかに深刻で、つまりこれは

          親は「こどもから嫌われること」に耐えられても、こどもは「親から嫌われること」に耐えられない

          という認識から来ているものなんですけど、でもこれすらも今の私は

          親がこどもを嫌ったり憎んだりするとしたら、それは「その親本人が自分の人生(あるいは『自分の親』との関係性)に不満を保っている」か、もしくはもっと単純に「我を忘れるほど余裕がなくて歪んでしまっている」だけで、つまりそれは社会の現状なども含めた「全体の環境」の影響もとても大きいんだ。でもそれならいずれ世界が改善してみんなが「本来の状態」に戻っていけば、この問題もいずれ必ず解決する

          と思えるようになってきたんですよ。

          つまり私はもともと

          負の霊は「親子関係と恋愛関係を狂わせ潰し続ければ、世界のすべては思うがままになる(無限の混乱と悪循環、そして同士討ちが続く)」という基本構想を保っていて、それは確かに功を奏しているんだから、こちらとしてもそこをなんとかすることなしには逆転の目はない

          とずっと思ってきたんですが、今生もここに至って、ようやくか細いながらもそれを打開する糸口が見えてきた感があるんです。

          とはいえもちろん、こんなところで油断する気はまったくないですけどね。

           

          ただそんなすべてを踏まえたうえで私としては、あなたが

          長い闘いになると思いますが、めげないで前進したいと思います

          とおっしゃるのを心から応援するのはもちろん、そこに

          私の感覚からすると、「本当に『長い闘い』というのは一生では収まらない、それこそ数百年数千年、あるいはそれ以上に亘ることも普通にある」と思ってもいるんですが、でもあなたの場合は、きっと今生で終わらせられると思います

          という予測も、勝手ながら付け加えさせていただこうと思います。

          もちろん今の私たちの感覚では、「今生で終わる」というのもまだずいぶん長く感じられるわけですけど、でもそれすらももっと早められるかもしれないんですし。

          ですからおっしゃるとおり、どうかめげずにがんばっていただければと思います。

          この世にもあの世にもいろいろなひとがいる

          というのはまさにそのとおりだと思いますが、それでも方向性さえちゃんと定めれば、あとはいずれ必ず、それぞれが望んだ場所に行き着くんですからね。

          どうぞよろしくお願いします。

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