自分を護るためには、「堅固さ」でなく「弾力性」を持つほうがいい

先日、

私たちは古代から現代に至るまでの間に多くの変化を経てきたし、同じ「日本」という枠組みのなかで見ても100年前と今の姿は大きく異なっている。し...

と書いた。そこで書かれたようなことは誰にとっても切実なことなのだが、いちばん大切なのは

それにどう対処するか?

ということだろう。

だから私は、先日の文章のなかにも、

だから、私たちは相手が霊存在でもひとでも関係なく、話し合えばいい。想いを共有すればいい。そしていつも自分を省みて、こう言えばいいのだ。

「私は、喜びとともに生きていきます。変わっていきます。だからその想いを共有できない存在、私のその意志にそぐわない存在、私を苦しめようとするような存在は、離れていってください。そして私は、一緒にお互いの喜びを深める存在とともに歩んでいきます。守護霊さん、みなさん、力を分け与えてください。そして一緒にその喜びを、育んでいきましょう。よろしくお願いします」。

大切なのはいつも、なにを選ぶかだ。それは霊でも肉体人でも変わらない。そのとき必要なのは「根気」と「意志」だ。

とも書いたのだが、今回もまた違う視点から、この対策を補足してみたいと思う。

以前私は、師に言われた

結界など張ろうとしなくてもいい。結界とは「ガラスの鎧」のようなものだ。身を護るために役立つようでも、破られればそれは自らを傷つける凶器になる。そして、護りを固く硬くすればするほど、いたずら心を出した霊にちょっかいを出されやすくもなるものだよ

スピリチュアルの世界の方々や、「霊感」を持っているという方々のなかには、空間になんらかの「結界」を張ろうとする方々も数多い。もちろんそれぞれ...

という言葉を紹介したが、これは別の言いかたをすると、

どんな場所でどんな生きかたをしたとしても、他者(肉体人、霊存在、エネルギー……)からまったく干渉されないことは不可能だ

ということだ。もちろんそれが好ましいものであることもある。だがそれは負の霊団や負の念についても同じことである。だから、どんなに固い護りを敷き、「結界」のなかに籠ろうとしても、いずれはそれを破る存在も出てくるし、それはそもそも根本的な解決とは言えない。

ではどうしたらいいのか?私は師の言葉や自身の体験を踏まえた試行錯誤から、現時点ではこのような方針を持っている。それは、

「堅固さ」を求めるのではなく、「弾力性」を持とう

というものである。

硬く堅く固くと思っていると、どこかに無理が生じる。そしてその硬さは、いずれ自分自身をも追い詰めるものになる。それにどんなに繕ってみても、私たちには独りでは補いきれない弱さがある。かといって誰かと結びつけば、また別の弱さを抱え込むことになる。だからその弱さを無視して表面的な「強さ」を追い求めても、それは必ず「歪み」となって、むしろ負の霊団がつけ入るのに最高の窓口を提供することになるのである。

だから私は、「弾力性」を持とうと思っているのだ。それは他者からありとあらゆる干渉や影響を受けることを前提としたうえで、どんなに歪まされても、どんなに凹まされても、いずれまた必ず自分が本当に望む姿に、喜びある姿に戻る力である。そして私が求める本当の強さとは、そういう力なのである。

眼を背けたくなるような出来事や事実というものがある。それは見ようと見まいと、日々起こっている現実だ。そのような「苦しみ」に対して、そこから目...

私は、9割9分の存在が病んでいるような現代の世界にあって、自分だけがいつも病まずにいられているとは思っていない。率直に言えば、先日私が書いたような代表的な負の念というものは、実際に私のなかにも入り込んでいるのだ。だが私は、それを選ばない。選ぼうと思わない。それだけのことなのである。

私は脆い、弱い存在だ。大げさでもなんでもなく、よく今まで生きてこられたなぁと思う。だが私が今その理由を真摯に探求してみると、その理由は

私を「引き戻してくれたもの」があったからだ

と思う。それはときには音楽だったり、想い出の場所だったり、好きな香りだったり、食べものだったりした。あるいはもっと単純に、思いきり泣くことだったりした。

あなたにもきっとなにか、自分を引き戻してくれるものがあるはずだ。私はそれを、あなたにも探してほしいのである。それはもしかしたら、まだ手に入れていないものかもしれない。だったら、そこに向かって歩んでいけばいい。だがきっとあなたにも、

「忘れていた大切なもの」

があるはずだ。それはもうあなたが手に入れているものだ。

どんなに歪まされても、凹まされてもあなたが掴んでいたいものとはなんだろう?それに気づくためにはむしろ、追い詰められることが必要だったのかもしれない。いざとなれば余計なものは棄ててしまえばいい。ただ大切なものだけは、絶対に大切にしていてほしい。たとえ見失っても、また全力で探してみてほしい。それさえできればだいじょうぶだ。それにそれを私に教えてくれたのは、あなたなのである。

コメント

  1. なすび より:

    こんばんは、Dilettanteさん。なすびです。

    今日は飲み会でした。やっぱり飲み会の日は心が不安定になってしまいます。

    なので、またお邪魔しました。

    飲み会で思ったこと、書きたいなと思います。

    飲み会で話を聞いていると、皆色んな経験をしているんだなと改めて実感しました。

    友達とライブに行く人、恋人と旅行に行く人、他の大学の人たちと音楽合宿に行く人。。

    私は全部やったことないなぁ…いいなぁと思いながら話を聞いていました。

    でも、それでも、もう一度大学生をやり直せるよと言われても、私は今と同じ道を歩むと思います。

    それらもやろうとしましたが、どうしても自分の性分に合いませんでした。私は欲張りで、それらで得られる幸せよりもっと大きな幸せが欲しいんです。

    他の人から見ると、頑なに生きているように見えるのかもしれませんが、私は私なりに楽しみを見つけつつ、しなやかに生きていきたい!

    確かに、生きづらいなと思うことは多々あるけれど、そして落ち込むこともたくさんあるけれど、自分の傲慢さや愚かさに嫌気がさすことばかりだけれど、苦しいけれど、皆さんが思っているほど悪くない。そうやって自分と奮闘しているうちが私は一番いいなと思うのです。

    と、その場では場が白けるので言えませんでしたが笑、Diletatteさんのおっしゃるように、頑なにならないように注意しながら、明日も頑張りたいなと思いました。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      今日は飲み会でした。やっぱり飲み会の日は心が不安定になってしまいます。

      ええ、確か前にもどこかのコメントでそんなことをおっしゃっていたのを憶えています。

      ただ私からすると、そのように周りと自分との価値観が合わないことが多いとわかっていて、それでも飲み会に出席してお付き合いをしようと思う時点で、立派なことだなぁと思います。

      もちろん、飲み会に出なくなったらダメだというわけでもないですし、自分の意見どうのこうのの前に、せめて出席くらいはしないわけにはいけない空気があるのかもしれないことも、予想はつきますが、それでもあなたは実際には、あなたが危惧するほど頑なではないのではないかと私が思っているということは、ぜひお伝えしておこうと思います。

      これからも、あなたが少しでも

      いいな

      と思える瞬間を増やしていけることを、心から願っています。