怒りが狂気に変わる過程。決して、その「理由」を拡大させないでほしい

「怒り」という感情はとても強力なものだ。私は日夜たくさんの負の霊団と関わるなかで、多くの怒りをぶつけられてきた。そしてその過程で、負の念がいかに増幅されていくのかを見せつけられてきた。怒りはやがて「憎しみ」に変わり、最終的には「狂気」に至る。それはより強力な負の念へと変貌することを意味する。では、なぜそうした変化が起きるのか?それを知るのは誰にとっても、決して無駄ではないだろう。

具体例を基に考えていこう。

 

彼は自分の大切なひとを殺された。そして彼はその犯人に怒りを向けた。犯人は逮捕され、死刑になったが、それでも彼の怒りは収まらなかった。そんなことがあったところで、彼の大切なひとは蘇らないからである。

しかしその怒りを向ける矛先であった犯人は逮捕され、法の裁きを受け、死刑となった。これは法治国家における「極刑」であり、犯人の存在自体をこの世から消し去ってしまうものでもある。だが、それによって彼もまた、絶対の怒りの矛先を失ってしまったのである。

だから彼は、次に彼らの「関係者」に怒りを向けるようになった。犯人の行動は犯人の思考によって行われ、すべては犯人個人の責任と判断によって行われたものだ。だが彼の親が、家族がきちんとした環境で犯人を育てていれば、犯人はそのような存在にならなかったかもしれない。そもそも、犯人が生まれたのは、親がこの世界に産み落としたからだ。だが、その理屈は法的には通らない。それに、彼の関係者はもう「社会的制裁」を受けている。これ以上のことは誰もしてくれない。だから、彼はなおさらそのことに怒りと憎しみを覚えるのだった。

そのうち彼の心に、こんな疑問が浮かんできた。

彼の家族は、関係者はみんな社会的制裁を受けているって?いや、それすら欺瞞だ。確かに犯人を直接的に産み出したのはその両親だ。しかし彼がこのような人格に育ったのは、幼少期から受けた教育、その当時の時代背景、残虐な作品、下品な広告……そうした社会全体の影響によるものじゃないか?いや、この国のこの社会だけじゃない、この世界そのものが、私の大切なひとを奪った「犯人」じゃないか?死刑になったのも、社会的制裁を受けたのも、その「犯人」のなかの一部に過ぎないじゃないか?

そして彼はその想いから離れられなくなった。そしてすべてを憎み、呪いながら生き、死んだ。

絶対に許さない……

という念を抱きながら。

 

これは一例であるが、私が目の当たりにしてきた多くの体験に多かれ少なかれ共通するものである。そして、この彼のような存在が、いかに強大な負の念を持つ存在になるかは、想像に難くないと思う。

では、ここではいったいなにが起きていたのだろうか?私の現在での理解からひと言でまとめるならば、これは「理由の拡大」であると言える。最初、彼が怒りを持ったのは、

「自分の大切なひとが殺されてしまったから」

だ。だから、彼はその犯人に怒りを向けた。しかしその犯人が裁かれこの世から消えても、彼の怒りは収まらなかった。そして彼の怒りの「理由」は拡大した。それは彼の関係者へ、社会へ、その時代や国へ、そして、世界全体へと向けられるようになった。そしてその度に、彼の怒りは解消するどころか、むしろ増幅していったのである。

この「理由の拡大」は、言い換えると「理由の喪失」であるとも言える。あるものが極限まで肥大化すると、それはかたちを失って拡散し、すべてを覆い尽くすようになる。そしてその「始まり」は誰にも見えなくなってしまう。そしてそこでは、それはすべてを呑み込んで増殖する怪物になる。もはや彼に「存在の目的」は必要ない。「存在することそのもの」が、彼の目的なのである。

これが、私たちを呑み込む「狂気」の姿である。それは

「理由を喪った負の念」

である。それは当初の「標的」を喪って暴走し、やがてすべてを敵と見なすようになる。そして最期には「自分自身」をも敵と見なして自滅する。そうなれば、彼らの行き着く先は、「魂の墓場」である。

先日、ある読者のかたより、「魂の墓場」とそこに至る過程について、もっと詳しく知りたいという趣旨のメッセージをいただいた。そこ...

ではこうした結末とそこに至る悪循環を断ち切るにはどうしたらいいのだろうか?すべては、際限のない「理由の拡大」と、その極地としての「理由の喪失」から生まれた。ならばそれを断ち切るにはその逆をするしかない。それは、「理由の縮小」と、「理由の発見」である。

そもそも、私はなぜイライラしているのか?この世界が腐っているからか?自分が愛されていないからか?道行くひとが私を不機嫌そうに睨みつけてくるからか?それとも、私が最低最悪の、生きる価値もない存在だからか?

違う。私がイライラさせられているのは、負の存在にそれを煽られているからだ。ではその煽りの「種」になっているものはなんだろう?そうか、私は暑さに弱っているのだ。それならうちわを扇げばいい。それに、水を飲んだらいい。それに少し、疲れているのだ。だったら単に、ちょっと横になればいい。

「喜怒哀楽」という言葉にも答えは示唆されている。この代表的な4つの感情のうち、「喜」と「楽」はとても近しい性質を持っている。楽しいから喜びが生まれ、ゆとりがありラクである状態も喜びを生む。それならば、残りの「怒」と「哀」についても同じことだ。実際この2つはとても近いものなのだ。

私はなぜ怒っているのか?それは、哀しかったからではないのか?そうだ、とても哀しかった。しかしそれを自分のなかだけで抱えていたら、身が引き裂かれそうだったのだ。だから、それを向ける相手を探し求めた。消えない哀しみを消すために、ずっとずっと相手を探し続け、彼らに永遠の怒りをぶつけ続けることで、自分の哀しみから眼を背けようとしていたのだ。私たち「現代人」にとって、最も表現するのが難しい感情は、怒りよりむしろ哀しみなのである。だから私たちは、怒ることよりも泣くことを、思い出さなければいけないのだ。それは、「自分を許す」ためでもある。

あなたは今しあわせですか?もしこんな問いに自信を持ってはい!と答えられるなら、それは尊敬に値する。なぜなら現代の多く...

私は直接、あなたを傷つけたわけではない。だが私も同じ世界を生きている者として、そのシステムとともに在る者として、責任がまったくないわけではないのも知っている。しかし、しかしそれでも、私はあなたに問いたい。

私を消し去ったところで、あなたの気は本当に晴れるのか?

私はあなたの怒りと哀しみが、とても大きかったことを知っている。だからこそ、あなたは今そんな姿になってしまっている。だが、その行き着く先は狂気でしかない。それに私も、自分の哀しみの原因を探しているのである。そして明らかなことは、あなたが泣いていたら、私の哀しみもより一層深まるということなのだ。

だから、一緒にその理由を探しに行こう。決して、膨らまされないように。決して、見失わないように。あなたは彼のすべてを嫌いだったわけではないはずだ。ただ彼の

「あのときのあの行動」

が哀しかっただけだ。そしてそこにもやはり、「理由」があるのだ。理由を拡大させないでほしい。決して見失わないでほしい。そしてその種がちいさいうちに、その根を断ち切ればいい。話し合えばいい。伝え合えばいい。確かめ合えばいい。すべての始まりは、とてもちいさな種である。だがたとえどこまで行っても、遅すぎるということはない。

そしてそれは苦しみだけでなく、喜びについても言えるのだ。だからこれからは、苦しみでなく喜びの種を蒔こう。その種はあなたのなかで芽吹きのときを待っている。どの種を選ぶかは私たち次第だ。そして未来は私たちが育てることができる。素晴らしいことだとは思わないだろうか?そう、それが今私たちがここに生きている、最大の理由なのである。

コメント

  1. だん より:

    以前コメントを送った、だんです。
    状況は変わりませんが
    まだ生きています。

    • Dilettante より:

      だんさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですか!それはよかったです。わざわざご報告してくださって、とても嬉しく思います。
      ありがとうございます。

      今は長すぎる未来を考えるのが苦痛に思えるかもしれませんが、まずは目の前の1日、1分、1秒に向き合って、生きてみてください。
      私とあなたの状況が異なることは重々承知していますが、私もあなたと関わり合える世界のなかで、一緒に生き抜いていたいと思います。

  2. カナメ より:

    お久しぶりですカナメです!向こう側さんは如何でしたか?

    異常気象のせいでしょうか?とてつもなく暑い日と夏にしては涼しすぎる日もあるので
    どうか身体を労わってくださいね?

    本題?に入りますが怒りが狂気に変わる過程なんですが

    これは1回戦争が起きてしまえばその1回目の戦争を理由に戦争を2度も3度も何度も起こす・・・また別のケースでは戦争をするのにまたは喧嘩を売るのに理由なんてないあるとしたら起こす理由はぶっちゃけ後付けに過ぎない・・・

    この構造だと思いましたがこれは筋違いでしょうかね?もし争いをしたいというのであればそれは人間の何が根本なんでしょうかね?

    それと質問&例え話なんですが、その国家間の戦争問わずちょっとした争いにも守護霊やそれらが属する霊団が関係してくるのでしょうか?この漫画を参考にしてください。

    この漫画の場合は人間本人が仲が悪かったというオチですが逆の例もあるのでしょうか?

    つまり人間についてる守護霊またはその人間の魂が属してる霊団同士が仲が悪いと人間同士も仲が悪くなって諍いを起こしてしまうとか・・・逆に人間同士が仲が悪くなると、、この漫画みたいに守護霊や霊団すらもそれに影響されてそっちの方も仲が悪くなって諍いを起こしてしまうとかあるんでしょうか?

    どうかよろしければご返答をお願いします。

    • Dilettante より:

      カナメさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      もし

      世界のすべてのひとに理解されたい

      と思ったら多大な時間と労力を割かなければなりませんよね。

      ただそれをもっと速やかに達成したいと思ったら、もうひとつ方法があります。

      それは、

      自分を理解しないひとをすべて滅ぼす(屈服させる)

      という方法です。

      これこそが負の霊団が好む策略であり、争いに誘われるひとつの要因だと捉えることはできると思います。

      また、「守護霊」というのは

      喜びを深め合う

      という意志で一致していますので仲が悪くなるということはないです。
      ですが私たちに関与している存在は様々ですので、守護霊以外の存在が互いに反目するというのはよくあります。

      たとえば、

      「負の霊団同士の主導権争い」

      などですね。

      そのうえで私たち肉体人が負の念を選び続けると、それは負の霊団の力を増幅することになります。

      だから負の霊団は私たちをいがみ合わせようとするわけです。

      ですから私たちがしあわせを望むなら、そういったことを理解したうえで負の霊団ではなく守護霊とのつながりを深めることが大切だと言えますね。

      いろいろなことはありますが、カナメさんも少しでも穏やかにお過ごしくださることを、願っています。

  3. むめ より:

    こんばんは。はじめまして。

    貴方のこの記事を読んでいて、怒りが狂気に変わってゆくという事が、私自身にも思い当たるのではないかと思いました。

    その怒りの根っこは、恐らく「認められたい」という事だと思うのですが、「奪ってやる」という思考が止まらず、格の高い方々によって一旦はおさまっても次の日にはまた、「奪ってやる」という言葉が胸の辺りから聞こえます。

    自分の考え方によるのか、周りの環境によるのか自分では原因が判らず、どうすればおさまるのかも解りません。

    どうすれば、この怒りがおさまるでしょうか?