自分の「真の答え」を知りたいなら、己にせめて100回は真剣に問うことだ

ひとはみんな、存在している限り「答え」を探し求めている。それはちいさなことから大きなことまで様々あるが、みんな答えを探していることに変わりはない。今自分にはなにが必要なのか?自分は今どうすればいいのか?そもそも自分はこのまま、生きていてもいい存在なのだろうか?

そうして自分が選んだ答えは、それぞれの「行動」によって表される。たとえば今日海に行ったひとは海に行くという答えを選んだのだし、今日スパゲティを食べたひとはスパゲティを食べるという行動を選んだのだ。そしてその積み重ねが、あなたの人生をかたち作る。その意味で人生とは、「答えの集積」である。

だが私たちが出した答えは、いつも正しいとは限らない。もっと言えば、今の私たちは多くのひとが悩み苦しんでいる。ということは、今までの私たちが、そしてその集合としての社会が出した答えは、どこかが間違っていたということになる。これは確かに「経験になった」という意味ではまったく無価値ではないのだが、それでも誤りはできるだけ早く修正したほうがいい。

それに、ある種の間違いは取り返しがつかないような場合もある。たとえばその最たるものが「自殺」であると言えるが、肉体が死んでしまって、魂と肉体が離れてしまったら、あとでどんなに後悔しても同じ人生には復帰できない。あるいは、そこまで極端ではなくても、大切なひとに罵詈雑言を浴びせてしまったら、その記憶は相手と自分のなかで生き続け、そう簡単に修復できなくなってしまう。もしかしたらそれがきっかけで、離れてしまうことになるかもしれない。

だから、私たちは答えの出しかたを学ぶ必要がある。言い換えると、私たちは「真の答え」を見つけ出す必要がある。しかし

そんなことはわかっている。だがその方法がわからないんだ!

とあなたは言うかもしれない。だからその方法を、これから話してみようと思う。

極めて単純な結論を先に言おう。それは言ってしまえば1行に集約される。

真の答えを知りたいなら、己に1万回問うてみてください

これはたとえば、あなたが本当はなにを食べたいのかを知りたいなら、

私は本当はなにが食べたいんだろう?本当の答えを教えてください

と1万回問えばいいということだ。

これはあらゆる問いに応用できる。そしてこれができれば、必ず真の答えにたどり着ける。これは、あなたの「本当の想い」と言ってもいいし、「真の喜び」と言ってもいい。ただし、私たちは今あまりにも真実から遠ざかり、負の霊団に支配されていてもその現実どころか彼らの存在にすら気付いていないような状態である。だから、1万回の確認が必要だとも言える。

これを言い換えると、

1万回の間同じ答えを返せないような答えは、真の答えではない

ということだ。たとえばあなたが今

私は本当はなにが食べたいんだろう?本当の答えを教えてください

と言ったら最初は

肉が食べたい

という答えが返ってくるかもしれない。だがそれを1万回繰り返して、その間ずっと

肉が食べたい

という答えが返ってこないのだとしたら、そんなものはあなたの「真の答え」ではなかったのだ。それは、「思い込み」(偽りの答え・浅い答え・誰かの答え)でしかなかったのである。だから、そんな答えに基づいた行動では、真のしあわせにはなれないのである。

あなたは今まで、答えを出すのに真剣に問うていただろうか?自分の胸に掌を当て、本気で、心の底から問うていただろうか?そう、そうさせないこともまた、負の霊団の策略だったのである。だってそんなものはあまりにも、面倒なのだから。

だからこんなことを言っても、おそらくあなたが実行するのは難しいだろう。だからもう少しだけ譲歩してもいい。これは本当にギリギリの譲歩なのだが、いきなり1万回とは言わないまでも、せめて100回、真剣に問うてみてはくれないだろうか?

先には身近な例で食事の場面を挙げたが、1回の食事を決めるのにいちいち100回も問うている時間も心の余裕もないかもしれない。ならばそれはそれでいい。だがあなたにとって「本当に大切な問い」には、本気で向かい合ってみてもいいはずだ。というより、そんなこともする気にならないような問いは、あなたにとってそもそも重要な問いではないのである。

だがたとえば、あなたが今、

こんな私には、生きている価値などないのではないか?死んだほうがましなのではないか?

と思っているとしたら、なんとしても100回、己に訊いてみてほしいのだ。

私は本当に、死んだほうがいいのか?

と。もちろん、みんな訊いてきたのだろう。そしてその「答え」に基づいて、自殺したのだろう。だが、そんなものは「真の答え」ではなかったのだ。そうでないのなら、なぜ彼らはみんな、死んでから後悔するというのか?

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

本当は、1万回くらい訊いてみてほしいと思う。だがまずは100回でいい。その代わり本気で、心の底から問うことだ。ただ表面だけをなぞるように言葉を発するのではなく、1度1度に想いを込めて、切実に問うことだ。そしてできるなら、1日100回を100日かけて、1万回訊き通してみてほしい。そうすればあなたも間違いなく、真の答え、本当の想いに、たどり着くことができるだろう。

私は真剣に言っているのだ。本当は100万回と言いたいところを1万回、それをさらにギリギリまで譲歩して100回と言っている。そしてこれは、

「あらゆる問いに応用できる、真の答えを導き出すための奥義」

なのである。

それにあなたは今やこう問うことすらもできる。

この文章を書いているのは、悪意を持った詐欺師か?それともこれは、真実なのか?

これを本気で100回、1万回問うてみればいい。そうすれば、答えは必ず出る。それは誰から与えられるのでもなく、あなたのなかから、必ず湧き出てくるのである。

もちろん、問いというのは限りがない。答えを出した瞬間から、また次の問いが与えられる。状況が変われば、答えも変わるかもしれない。あのとき出した答えを引きずり続けることが、今の自分にとって最善だとも限らない。だが、それはそれでいいのだ。変化することは自然なことだ。だが最も大切なことは、

「その問いに真摯に向き合い続けること」

だ。そしていつも言っているように、私もあなたと同じように、答えを探し続けている。これまでもこれからもずっと、己に問いかけ続けている。

今日の私は、どんな生きかたをしたいのか?未来の私は、どうなっていきたいのか?

と。そして私は、今もここで生きている。そしてもっと、あなたと一緒にいたいと思っている。これが私の答えだ。そして私はこれを、間違っているとは思わない。

さて、未来とは私たちの「答えの集積」によって生まれる。だから私も、真剣に答えを探し続ける。そして私はあなたがどんな答えを出すのかを心待ちにしている。そこから、「私たちの答え」が生まれるのだ。その日はもう、目の前に来ているのである。