「共感覚」が一般に認知されつつあるなら、霊的感覚もいずれはきっと証明される

一般的に私たちの感覚は「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」の五感があるものとして把握されている。そしてときには、たとえば視覚的情報が音楽的記憶を呼び覚ましたり、逆にある音楽がある光景を想い起こさせたりなど、それらが互いに影響し合っていることを感じることもある。だが基本的には、それらの感覚はそれぞれ違った役割を担っている、個々の器官だと捉えられることが多い。

だが、それに重要な一石を投じるものとして「共感覚」という概念がある。これはまだまだ未解明の分野なのだが、たとえばウィキペディアにはこのように説明されている。

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。

このなかでも特に「文字に色を感じる」とか「音に色を感じる」という共感覚者は多く、活発に研究が行われているという。しかしその他にも、「他者の触覚を共有する」(ミラーリング共感覚)といった共感覚や、「時間を見る」といった共感覚など、様々な種類があることも知られていて、研究が進められている。

そしてそのなかの何人かは、その共感覚の実在性が、もう誰にも否定しがたいところにまで検証されてきているということなのだ。たとえばそのひとり、ダニエル・タメット氏は『ぼくには数字が風景に見える』いう本において、彼の日常的体験を著している。

こうしたことから、私たちはたとえ自分自身が「共感覚者」でないとしても、その能力を検証し、受け入れ、理解することが可能になってきている。もちろん、それでも受け入れないひとはいるだろうが、少なくとも彼らの訴えを頭ごなしに否定するひとは今後も減っていくことになるだろう。

では、こうしたことを踏まえると、自然と私のなかには、ひとつの想いが浮かぶ。それは、

「霊感」というものも、その存在を実証することは可能なのではないか?

というものだ。私はずっと、一般的に言われる「霊感」(霊能力)というものを、なんら特別なものだとは捉えていない。それは広い意味での「感受性」の一部である。その社会の平均よりも目がいいひとや、耳がいいひと、それに鼻が利くひとがいるのと同じように、霊感(霊的感覚)というものもまた、その感性のひとつなのである。

そしてもちろん、繊細な味覚を持っているからといって誰もが料理人やソムリエになる義務がないのと同じように、霊的感受性が高いからといって誰もが霊媒師になる必要はないし、その感受性の高さを公開する必要もない。だが逆に言えば、他のあらゆる感受性や能力は、必ずしも先天的な素養(才能)だけで決まるのではないのと同じように、霊的感受性もまた、それを自他のために強く活かそうと思うならば「修練する」ことができる。だから私はその理解が為されさえすれば、

この世には様々な「技術」を持った方々がいる。そしてその多くは「修練」によって身につけ、育んでいくことができる。逆に言えば、どんなことでも最初...

のである。

ただこれは、その実在性が受け入れられるところから始まる。だから私は、自分の体験を伝え、お互いの意志や状況が合致した相手には直接それを間近で見てもらうことによって、その検証を仰ぎながら、自分自身でも確かめているのである。

その一例として、数年前になるがこんなこともあった。その頃何度か面識を持っていたひとが「オーラが見える」と言っていた。そこで私は、相手の目の届く範囲にまで近づき、できるだけ先入観を与えないように静かに、私に関与している霊存在の仲間たちの想念を、自分のからだのなかに入れ込みながら、一定の間隔ごとに切り替えたのである。

そうするとそのひとはあとになって私のもとにやって来て、こんなことを言ったのである。

あなたのオーラがあまりにもよく変わるので不思議に思ってました。そしてその度に電極に電気が流れるような「バチッ」というー瞬の煌めきがあるのですが、あなたはいったいなんなんですか?

このとき私は、私のしていることを他者の目線から見るとどのように見えるのかということを把握する貴重な機会を得た。そして私自身も、そしてお相手のかたも、やはりなにかの思い込みや精神異常によってこうしたことが引き起こされているわけではないことを確認できたのである。

その後私とそのひとはお互いの体験や感覚をざっくばらんに話し合うことによって、それぞれの特性や感受性の違いを知りながらも、それが共通項を持っていることを確認することができた。そしてそのお相手のかたも、自分が見えているものがいったいなんなのかを、より深く理解するきっかけを掴んだと話してくれた。もちろんそれは私にとっても、とても嬉しいことだった。

だから私は、これからももっともっと多くのひとに私の体験を検証してほしいと願っている。そしていずれもう少し状況が整って、理解あるひとの協力を仰げるなら、私が霊媒行為を行っているときの脳波やその他の実証可能なデータに差が出るのかどうか、ぜひ見てみたいとも思っている。

私たちは、五感を通して世界を認識していると思っている。だがその認識の枠組み自体が、実は窮屈なものである可能性は高い。私たちの感受性はもっと多様で、柔軟で、深いものだ。そのことに気付いたとき、私たちが見る世界はきっと、さらに豊潤で、新鮮なものになるだろう。