ひとつの山場を超えて、次の山に登る前の幕間にお伝えしたいこと

10月も半ばを過ぎましたが、いかがお過ごしでしょうか?

思えばこのような書き出しで始まる近況報告もしばらくしていませんでしたが、このあたりでいちど整理してお伝えしておくのもいいかと思いますので、いくつかお話ししておきたいことがあります。

まず、この間から私にもまたいろいろなことが起こりました。そのうちのいくつかは「予測されていたもの」でしたが、それはなんとか乗り越えることができました。おかげでまたこうしてここに書けることを嬉しく思っています。しかし、考えてみると私たちにとって「予測されているもの」というのはたくさんあるものです。そしてそれは、

「予測どおり既に起きたこと」

と、

「いずれ必ずこれから訪れるもの」

に大別されるとも思います。

ここで少し視点を引いてみると、霊の世界というのは想いの世界なので、変わろうと思えば瞬時に変わります(もちろん、変わろうと思えなければいつまでも変われません)。これは、

「意志と結果との間に時間差がない」

というように言い換えることもできます。ですから基本的には、

「思った瞬間に実現する」

というのが霊の世界です。

しかし、私たちが今主に見つめている肉体世界は、意志と結果との間に明らかな時間差があります。そしてこれは、

「あまりにも違いの大きい意図を持った存在が同居している」

というこの世界(地球)の特徴によってさらに強まっています。ですが、その想いを強く深く持ち続けているならそれは明らかな「力」となりますし、たとえ時間差があっても、その「未来の種」は必ずなんらかのかたちで結実することになります。これは、からだがあろうがなかろうが、まったく変わらない根本原則です。

そして、霊界と肉体界というのは現在の私たちの多くが思っているよりもはるかに結びつきが強く、それは相互に影響し合っています。ですから、

「霊界でなにかが起きたらそれは必ず肉体界にも影響するし、私たち肉体人がなにかをしようとするときには、必ずそこに霊存在の影響がある」

ということが言えます。これを端的に言えば

「霊界と肉体界は映し鏡である」

ということになります。これは既に、多くの方々に言われていることと同じです。

しかし前述したように、一般的には肉体界の変化は霊界の変化より遅いです。ですから私たちは、

「自分の想いが世界を創っている」

ということや、

「霊界と肉体界が相互に影響し合いながら存在している映し鏡である」

という事実を認識しにくくもなっています。ですがそのことをわかったうえで見てみると、その時間差というのは概ね「1年/3年/10年/30年/50年/100年」というくらいで段階を追いながら表れてくるものだと思います。しかしそのなかでも私たちに意識しやすいものをさらに抜き出すと、「10年/30年/50年」この区切りで見てみるといろいろとわかりやすいのではないかと思います。本当は毎日毎分毎瞬の変化というのがあるのですが、その積み重ねをこの3つの時間軸で見てみれば、いろいろなことが実感しやすいのではないかと思うわけです。

さて、これを踏まえて考えてみますと、私がここに最初の文章、

世は、「スピリチュアル」花盛りである。もちろん、そんなものにまったく興味もなく生活しているひとも多くいるとは思うが、そんな方々でも、「マヤ暦...

を公開したのは2012年1月28日と記録されていますから、あと3ヶ月ほど、来年2017年1月末で、この『闇の向こう側』は丸5年を迎えることになります。そしてこの5年という時間軸は、先ほど言った10年のちょうど折り返し地点です。ということは、私がこの『闇の向こう側』を開設した当初に感じていたものは、これからまずます肉体界の現象としても顕れてくるということです。つまりここからますます、この場所の真価が問われてくるということです。

思えばこの5年間で、私もいろいろと変化しました。そしてその変化はこの『闇の向こう側』にも影響していると思います。事実を率直にお伝えすると、このサイトは開設当初から半年〜1年くらいの間、ほとんど誰にも読まれませんでした。今データを振り返ってみると、2012年の1年間で読まれたページ数が2200ページと記録されていることをお知らせすれば、あなたにも当時の閑散ぶりがおわかりいただけるのではないかと思います。ですから私はと言えばその間にずっと「開墾・整地作業」を行っていたわけですが、ここに負の霊団からの影響もありましたし、当時の私は今よりももっと未熟でしたので、ここが最初の難関でした。

しかし、

自分自身信じてもらえるとは思えないけれど、伝えておかなかったことを後悔しない程度には残しておいて、もしいつか誰か必要なひとの眼に留まればいい。そして自分が納得できるまで書いたら、あとはスッパリとやめてしまおう

というように、悪く言えば若干の自暴自棄を含みながら、よく言えば開き直っていたのだと思います。そしてそのおかげで、必要以上の気負いもなく続けることができました。

今までにも何度か書いていますが、そのときの私の念頭にあったのは、「跋扈するアセンション(次元上昇)論」への危機感でした。この「アセンション(次元上昇)」というのは未だに定義不足なうえに不用意に用いると余計な混乱を招くと思っているのでできる限り避けているのですが、当時はそれが古来からある「終末思想」と融合し、それが極めて短絡的な解釈を経て、

2012年12月21日(あるいは22日)に世界が終わりを迎える

という思想を生み出していました。さらにはそれが一定の支持と傾倒を集め、ビジネス化し、選民思想めいたものまで含まれるようになっていました。私はそれがあまりにも危険なものに思われました。それで、

なんとか自分なりに言えることを言っておこう

と強く思って、それを原動力として書き続けていた部分も大きかったのです。

そして、2013年を迎えました。世界は滅亡しませんでしたし、ポールシフトも、「代わりの地球」への移行も起きませんでした。そして、当時注目を集めていたいわゆる「スピリチュアル系」のサイトの多くが消えていきました。そして今改めて振り返ってみても、ここがまた大きな「分岐点」のひとつでした。私は、

ここでやめるか、このまま続けるか?

の2つの道を見据えていたのです。

が、結果的に私はそのあとも書き続ける道を選びました。それは端的に言えば、

せっかくここまで基本姿勢の表明や用語の定義を進めてきたのだから、これからこれを土台にしていろいろなことが書ける。それをここでやめてしまうのは、あまりにももったいないじゃないか?

という想いが生まれたからでした。それで私は、その直前の文章、

2012年12月21日も、22日も、なにも起こらなかった。これで、有害なオカルト陰謀論・運命論は消えていくだろうと思った。しかし、話はそう簡...

からおよそ2か月後の2013年3月9日、再びここに戻ってきたのでした。

あなたは、「霊媒」(シャーマン)という言葉からどのようなひとを想像するだろうか? 山奥に住んでいて、一風変わった身なりをし、香を焚いた部屋で...

しかしその後も、私の状況は不安定でした。今改めて振り返ってみると、3月に1つ文章を追加したあと、その後4月は更新を途絶えさせていることから見ても、やはり思えばこのときも大きな難所を迎えていたのだと思います。しかしその次に公開した5月28日の文章、

もし、私が世界の王であれば、もっといい世界(社会)にするのに…… 程度の差こそあれ、誰もが1度はこんなことを考えたことがあるはずだ。「...

がまったく想像を超えて多くの方々の目に留まったことから、また流れが変わりました。私の書いていることを受け入れてくれる方々も少しずつ増えてきました。そしてまた、私はここでいろいろなことを書き綴るようになりました。

ですがそれからおよそ5か月後、2013年10月26日、私はここに

10月17日、出雲に「3つの太陽」が出現した。私はこれをニュースで見たのだが、「神在月」のタイミングも相まって、話題となったようだ。 ...

という文章を公開しました。このとき、私はそのあとの自分になにが起こるかなどほとんど意識していませんでした。が、

これは重大な節目なのか?

という問いかけは、まさに私自身にとって、そのとおりの現実としてもたらされたのでした。これは確かに3度めの大きな難関でした。しかしそれから5か月の悪戦苦闘を経て、私はなんとかここに戻ってきました。そのとき2014年の3月15日に公開した文章が

言葉とは、そのひとの排泄物なのだよ という言葉を聴いたことがある。言い得て妙だと思う。私たちは、意識しているかどうかに関わらず、常にあ...

であることは、今思うと感慨深いものがあります。

しかしこの3つの難所を越えたあとは、少なくとも月に1度の更新を絶やすことなく、ここまで続けることができました。その間様々な苦しみもありましたが、その度ごとに支え、私を護ってくれた肉体人や霊存在の方々には、改めて心から感謝しています。

そして、当初思っていたよりもはるかに長く、この『闇の向こう側』は続けられることになりました。そして先ほどからずっと見てきたように、ここには多くの足跡が刻まれています。私は誤字脱字などの校正を除いては、基本的に文章をすべて公開当時のまま残していますので、その変化はあなたにも多少なりともおわかりいただけるのではないかと思います。

そしてこないだ、私はまたひとつの「山場」を越えたと思っていました。それは実際にそのとおりです。しかしその直後、私はまたひとつ大きな「山」(変化)を迎えることになりました。そしてそれは、まったく予測していなかった変化でもありました。

しかし、いくら「予想していなかった」とは言え、生きることとは変化そのものなのですから、それは必ず誰にも訪れることになります。そしてそれは、私たちに「選択」を迫るものともなります。ですから私も、また改めて自らの立ち位置を認識しながら、いくつかの決断をすることになると思います。

それで、ここでひとつの核心に触れることになるのですが、私は今回の変化を受けて、現時点では来年の春頃を目処に、今住んでいる場所を離れることになると思います。私は現時点では以前ここでも書いたように「九州圏」に住んでいるのですが、今後90%以上の確率でそこから遠く離れることになるでしょう。未来になにが起こるかはわかりませんが、この決断に至った事情から鑑みて、これはよほどのことがない限りそうそう動かないと思います。ですからもし、私に会っていろいろと共有し合いたいというひとがいらっしゃいましたら、特にあなたが九州にお住まいの場合には、今後数か月の間にご検討いただければと思いますので、まずこれをお伝えしておきます。

それから、このことにも関わる話なのですが、私が普段ここに書いている文章の雰囲気から、私への連絡を必要以上に躊躇してしまう場合があるということを打ち明けられられることがありますが、私はあなたと同じように生きている「ただのひと」なので、疑問でも意見でもなんでも、言いたいことがあればなんでも連絡してきてくださればいいと思います。それにこうやって言ってもそれほど連絡は来ないので、あなたに返事をする余裕がまったくないということはありません。それに

もし、私に連絡を取りたい場合は、こちらのメールフォームをお遣いください。私のメールアドレスに内容が転送されます。 ご意見ご感想やご相談...

にも書いているとおり私は数日以内にはどんなメールにも必ず返信するようにしていますし、受信確認も兼ねて私から返信をせず会話を終わらせることもありませんので、返事が来ていないときは私に届いていないか、記入していただいたアドレスに誤りがあるということです。ですからその際は改めて送りなおすか、コメント欄で連絡してみるかなど別の手段を取っていただければと思います。

そうは言っても独特の緊張感が漂っているんですから!

と言われることもありますが、それはある程度しかたがないと思ってください。実際私の活動を快く思っていない存在も多々いるので、まったくの無防備でいるわけにもいかないのです。それに

「不特定多数の方々に向かって、ほとんどのひとが詐欺と疑うようなことを公開する」

というのに、緊張感をまったく持たないということは不可能だと思いませんか?

それから文体については最初から、

そして、私自身の文章は、できるだけ簡素なかたちにしたい。具体的には、「だ・である」調を遣い、「私の考えでは~」「あくまでも私個人の考えだが~」といった言葉を、最低限に抑える。なぜなら、いったんそれをし始めると、ほぼすべてにその枕詞をつけなければいけないからだ。だから、気になるかたは、私の文章はすべて、「主観的」だと捉えていてくれればいい。ただし、その主観的な文章を、読者であるあなたは「検証」することができる。自分のアタマで考えるということ、これが最も重要なのだから。

「業」(ごう・カルマ)という概念がある。私はこれを、「ある存在の行いすべて」と捉えている。そしてそのうちの大部分は、当人が肉体を離れてからも...

と書いたとおりに実践しているだけです。あとは

猿がシャッターを押した写真の著作権を巡る議論があった。現在のところ、 確かに写真撮影に至るまでの環境作りを行ったのはカメラマンだが、写...

という文章をよく読んでみてください。そこでも書きましたが、私がここで書いている文章は、ある意味ではすべて「合作」なのです。このことは

私とはなにか?

という誰にとっても切実な問いにつながりますので、こんな言葉だけで説明しきれるとは思いませんが、よく考えてみることはご自身にとっても有意義なことだと思います。ちなみに今のこの文章は、かなり「素の私自身」が出ていると思います。

あとは、先ほども言いましたとおり、本当に気になることは私に直接訊いてきてください。それに私は、あなたさえよければ、誰とでもお会いしてかまいません。この文章がわかりにくいのは体験の差だったり、認識の差だったりもありますが、

「本当に大切なことは簡単に伝えられない」

ということ、そして

「器を超えた力は却って害になる」

ことを私自身が切実に知っているからです。そして

「情報とは、最大の力」

なのです。

それに、人生というのは試験勉強ではないので、

ここが大事だよ!

などということは教えてくれません。赤のアンダーラインも、黒太字の強調もありません。それはそもそも「答え」が定まっていないからです。それに、先ほど言いましたように情報というのは極めて扱いの難しいものですので、

「大切なものを大切じゃないかのようにサラッと伝えることで、わかるひとにだけ伝えつつ、悪用を防ぐ」

ということが必要な場合も多いのです。ですから、わかりにくく感じられてもしかたのない部分もあるのですが、もしあなたが「本当に知りたい」なら、いくらでも訊いてきてください。そして、その「力」を活かしてください。逆にまだ意志が固まっていないときは決して無理をしないでください。知ってしまったら変わるしかないのがこの世界です。だから、準備ができるまでは知らなくてもいいのです。それは独占したいということではなく、あなたを護るためでもあります。ですから、よく考えてみてください。でも私からもうひとつだけ付け加えるとしたら、

変わることは、嬉しいことです

ということです。どうか、これを忘れないでください。

さて、もうすぐ6000字に到達しそうなので、そろそろ終わりにします。ただ私がいちばん言いたいことは、私はあなたにも、一緒に生きていてほしいということです。たとえあなた自身がそう思っていないとしても、私にとって、あなたは大切な存在だからです。

ただそうは言っても、あとはあなた次第です。それに、今も改めて痛感しているのですが、私を好ましく感じてくれる方々から見れば、私が多くのひとから邪魔されているなどということは考えられないかもしれませんが、逆に私の存在を疎ましく思う存在から見れば、私を受け入れて好ましく思ってくれる存在がいることは、狂っているとしか思えないのです。だから私も多くのひとのそれぞれの想い・価値観・視点のなかで生きているということです。

そしてそれは、あなたも同じです。あなたを嫌う存在や、あなたを苦しめたがる存在は霊にも肉体人にもいるでしょう。ですがだからこそ、私のようにあなたを大切に思っている存在もたくさんいるということを、よく憶えていてください。

ということで、もうすぐ『闇の向こう側』は丸5年を迎えます。これがどこまで続けられるかはわかりませんが、そのなかで私にもあなたにも多くの変化が与えられるでしょう。特に今後10年、30年の時間軸で見ればなおさらです。そのときに、苦しみに呑まれることなく喜びに向かえるように、最期までともに支え合っていければと思います。そもそもそのために、私たちは同じ時代に生まれたのですから。これからも、よろしくお願いします。そして私もあなたのしあわせを、心からずっと願っています。

コメント

  1. 渡辺 より:

    子どものために生きていたいけどもうお金がありません。誰も助けてくれません。環境は変えられません。やっと子どもは学校に行けるようになり前より楽しみを見つけられるようになったのに。どうにもなりません。子どもを不幸にしたくないのです。

    • Dilettante より:

      渡辺さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      まず、端的かつ具体的に申し上げますが、生活保護を受給することを検討なさってはいかがでしょうか?

      誰も助けてくれず、環境は変えられず、どうにもならないというのは、思い込みです。

      この国は、なんだかんだ言ってまだ恵まれています。

      もちろん助けてもらうというのには葛藤がありますが、助けてもらおうとしてくれなければ、誰もあなたを助けられません。

      本当は、あなたを助けようとしているひとは、実際にいるのです。

      ですからどうか、必要な助けは、受けてください。

      よろしくお願いします。

  2. 渡辺 より:

    ありがとうございます。このサイトのメッセージを読ませて頂き今は少し落ち着いて考えられるようになりました。この先どうなるかわかりませんが、もう自ら命を絶つ事など考えず、必ず未来はあると信じて生きていこうと思います。出来るような気がしてきました。今日も一日生きていられました。ありがとうございます。