たとえ賊軍であったとしても、私は私の志に殉じる

現在から過去の歴史を振り返るとき、私たちは結果から遡ってことを見ることができる。だから、誰が勝者(想いを通せた者)で誰が敗者かは最初からわかっている。だがそれは、その瞬間の当事者には決して知り得なかったことである。

歴史(history)と物語(story)はよく似ている。さらにそこから、

歴史とは「彼の物語」(his story)だ

と言われることもあるが、これは言い得て妙である。そしてそのときの「彼」とはほとんどの場合「勝者」を意味する。これは原理的に、

「勝者が未来を創り、歴史を編み直す」

と考えれば必然でもある。勝者は結果から遡って、原因を見つけ出すのである。

だから、

勝てば官軍負ければ賊軍

と言われるのは正しい。そして原因を探せば探すほど、勝者が勝ったのは必然であるように思えてくる。と同時にその効果が派生して、

「勝者には正義があり、敗者には邪で不純な動機があった」

かのように見えてくる。こうして、敗者は勝者によって何重にも貶められることになる。

だが私たちが

「結果から遡って原因を探す」

ということをやめれば、そこにあったのは「正義と悪の対立」ではなく、「『正義』と<正義>の衝突」があっただけであるということに気付くはずだ。そしてその瞬間、未来は定まっていなかった。少なくとも「可能性」はひとつではなかったのである。

だからその瞬間は常に「中立」である。これは

「異なる『意志』が衝突している」

とも言える。だからそのときの当事者には、どちらが勝つかなどわからない。未来から見てどちらが正しいのかもわからない。しかもたとえ勝者のほうに与しているとしても、すべてが終わったあとで自分が生きていられる保証はない。そしてそれは、今を生きる私たちにとってもまったく変わらない事情である。

だが私たちは、いつもなにかを選択しなければならない。そしてそこでは、結果はわからない。ではなにを基準にして選べばいいのか?あるひとは

勝ち馬に乗ろう

という考えかたを採るかもしれない。またあるひとは逆に、

このままでは負けそうなほうを応援しよう

と思うかもしれない。しかしその途中経過すら、最後の最後までわからないものだ。だからそこで最終的に問われるのは「己の信念」なのだと、私は思う。

今までにも何度も言ってきたことだが、現在の私たちの世界は「思想戦争」の真っ最中である。私たちは真実を見出すことができるのかできないのか?私たちが生きていることに意味があるのかないのか?そもそも私たちは生きる価値があるのかないのか?霊はいるのかいないのか?私たちは愛されているのか罰せられているのか?私たちはお互いを理解し合えるのかし合えないのか?目の前のこのひとは自分の味方なのか敵なのか……?

ありとあらゆるところに葛藤と対立と相克があって、双方が日々信念と想いとエネルギーを懸けてぶつかっている。そしてそこには、いわゆる肉眼で見えない「霊存在」も含まれている。結局のところ、これは「内野にいるか外野にいるか」という違いしかない。私たちはみんなそれぞれが、なんらかの「チームメイト」と協力関係にあるのである。

私は霊媒師として、より実感的にこの「現実」と向き合っている。そして端的に言えば、私は

「守護霊チーム(Aチーム)/と負の霊団チーム(Bチーム)のうちのAチームにより強い共感を覚えている」

ということだ。そんな私は、言ってみれば

世界はもっと穏やかで、芳醇で、和やかで、味わい深い場所に変われる。私たちは自らの真の願い(決意)を思い出し、霊と肉体人と環境(地球・宇宙・生態系……)とが調和した関係性のなかで生きることを選び、自分自身を含めたすべての存在を慈しむことができるようになる

ということを信じている・願っている・そういう想いを育もうとしているということだ。だがここで大切なことは、

それが本当に叶うのかどうかは、私もわからない

ということなのだ。

私は私の願いがすべての存在に共通した願いでないことを知っている。それにこういう世界が実現することが「運命づけられている」わけではないことも知っている。そしてたった今の現状だけを見れば、こんなことが実現するなどとは思えないこともわかっている。だから私は別に、

「最終的には勝つのはこっちだとわかっているからこちらに与している」

わけではないのだ。

それに率直に見れば、現状は負の霊団のほうが圧倒的に優勢であるように思える。以前

この数週間、私はなかなかの負の念のなかでもがいていた。 しかし今そのどん底の状態から回復してみると、その体験はまたさらにいろい...

という文章に元負の霊団員の意見を赤裸々に記してもらったが、私も彼の意見には確実に一理あると思う。彼の現状認識と私の現状認識は多くの点で一致している。ただ私は、

そこから変われる可能性を信じているし、信じたい

というだけだ。それがなければ、私も彼とほとんど同じである。

それに実際のところ、私には負の霊団からも単なる妨害に限らず一種の「勧誘」に近いものが来ることがある。そこで私が鞍替えしないのはなぜか?相手のほうがむしろ圧倒的優勢だと思っているのなら、なぜそちらに与しないのか?それは私が自らの勢力の(逆転)勝利を確信しているからでも、逆張りが好きだからでも、自分の力を過大評価しているからでも、破滅願望があるからでもない。ひと言で言えば、

自分の志を偽れないから

だ。そしてこれは、

もし負けるとしても、この信念を選ぶか?

という問いに向き合った結果である。だからこれは、「勝てるかどうか」が問題ではないのだ。むしろまったく逆に、

この信念を貫き通して負けたとしても、まったく悔いはない

と思えているから、私は今の自分の想いを変えないのだ。そう思えないなら、たとえ勝ったとしてもなんになるというのか?

だから私は、たとえ私独りになってもこの道を行くだろう。未来のひとびとが私を「賊軍」と呼ぼうが「反逆者」と呼ぼうが、そんなことはどうでもいい。たとえ惨殺されても炎で炙られても、魂は笑っているだろう。だからそんな志に出会えた私は、心からしあわせな兵卒である。もちろんできるなら安らかに死にたいし、孤独よりは誰かに理解されたいとは、思っているのだけれど……。

コメント

  1. カナメ より:

    こんばんは、それなんとなくわかります!

    いつの歴史を紐解いてもどこの国を見てみても自分達こそが「正義」と信じて「事」を起こしている・・・そんなもんだと思います、けど自分の信念を曲げちゃいけないのも凄くわかります。

    そこでこんなお話があるんです。

    ANRI・小向美奈子・やまぐちりこ (抜粋) 20日で釈放してあげるからという条件もクロージングの材料にして、すでに逮捕状が出て逃亡先となっていたフィリピンの地で撮影クルーを集めて小向美奈子のAV女優デビュー作を収録したのです。そして堂々の出頭からの...

    っていう話なんですがそのやり方がどうも負の霊団的のやりかたっぽい感じがしてくるんですよね。

    窮地に追い込んで、そこに絶妙な手を差し伸べる。(略)坂口杏里は指名のホストから「この溜まったツケどうするんだ?」って追い込まれて、ホストはホストで売り掛け回収しないと自腹切らなきゃいけないから必死になって回収しようとする。

    そもそもそれ自体がシナリオで、その前の時点から、ホスト通いをしている坂口杏里をAV女優に堕とそうというシナリオがホストとAVプロダクションとの間でできていたのかもしれません。ホスト&スカウトマン&AVプロダクションの見事なコンビネーションですね。

    このやり方は本当に引っかかります、負の霊団が人間を窮地に追い込んで頃合いを見て救いの手を差し伸べる代わりに負の霊団の属霊や手下などにしてしまう・・・・・こんな事は本当にあるんでしょうか?向こう側さんの見解をよろしくお願いいたします。

    • Dilettante より:

      カナメさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      「正義」というのは「シナリオ」だと言い換えることもできると思います。実現したい「結末」があって、そこに「現状」をいかに近づけていくかという意味においてです。

      しかしその「シナリオ」はそれぞれによって異なり、だからこそ複雑な世界というのが誰か特定の存在(勢力)の意志だけで動くということはないです。

      私が自戒も込めていつも

      自分の意志を確かめていてください

      というのはそういう意味でもあります。それは

      窮地に追い込まれたのは本当に相手だけのせいなのか?自分がその流れに思考停止したまま乗せられたからではないのか?だとしたら、今自分にできることはなんなのか?

      ということを考えるということも含んでいることです。

      負の霊団は確かに強力で、巧妙で、明確な「意志」と「策略」を持って日々活動しています。

      しかし彼らにできるのは

      「窮地(破滅・自滅)に至るシナリオを用意し、そこに乗るように仕向ける」

      (そこから「救いの手」に見せかけた「隷属」を迫る)

      ところまでであり、

      「絶対に破滅するように強制する」

      という力はありません。

      なぜなら、「主体」(最終決定権)はそれぞれの私たち自身にあるからです。

      そうでなければ、私は今ここにいないでしょう。

      だからこそ、私はこれからもできるだけ、ここにいたいと思っています。

      • 宮葉 より:

        こんにちは(*^_^*)

        勝てば官軍、負ければ賊軍。本当にそうですよね。

        けれど、そこにきちんと志があれば賊軍であっても尊敬されたり皆から愛されたりしますよね。

        西郷隆盛も最後は切腹してしまったけれど、今となっては沢山の方々に尊敬され愛されていますよね。

        私は鹿児島出身なのですが学校の教室には西郷さんの写真と敬天愛人が飾られていました。

        そんな事を考えていたら、ふと気になったのですが、切腹も自殺になりますよね。

        西郷さんは今でも強い思いを持ってあの場所にいるのでしょうか…

        昔、主人が西郷さんの最後の場所を見て、強い思いみたいなのを感じたのか?調子が悪くなった事を思い出しました。

        あのように愛に溢れた方は例え自害しても、きちんと後悔なくこの世を去っていったと信じたいです…

        霊媒師さんはどう思われますか?

        • Dilettante より:

          宮葉さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

          自殺者は基本的に必ず後悔することになって、それは本人にとっての苦しみにもなる

          自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

          のですが、それは

          永遠にそこから変われない

          ということではありません。

          ですからたとえ自分の信じた道が通せずに自殺してしまい苦しんだとしても、それときちんと向き合って新たな希望と役目を見出すことができれば、もはや負の霊ではありません。

          あとはその当時の時代背景や思想などによって、「どうしても自殺するしかない(と思われる)場合」に自殺した場合は、本人の気持ちの切り替えも早くなりやすいとは言えるのですが、そこを強調しすぎると危険な思想(自殺許容論)につながりやすいですし、いくら

          「永遠にそこから変われないわけではない」としても「わざわざ苦しみに突っ込むこともない」

          のですから、私は誰にも自殺してもいいとは言いません。そしてもちろん、私もどんなことがあっても最期まで、生き抜いていこうと思っています。

  2. 宮葉 より:

    そうですね。いくら志があっても、時代がそうだったとしても自殺行為を肯定してはいけないですよね。

    私も何があってもどんなに苦しくても人生を全うしたいです。

    (*^_^*)