個人と国家と企業の微妙な力学は、未来をどの方向に傾けるのか?

アメリカ大統領選挙が迫ってきていて、日本も含めた世界中の注目を集めている。それはやはりアメリカが世界に及ぼす影響力の大きさを示しているとも言えるが、結局のところ今回のアメリカ大統領選でどちらが選ばれても、根本的な世界の力学が大きく変わるわけではない。世界は国家だけの思惑で動くわけではないからだ。

もちろん話を単純化しようとすると必ずそこからこぼれ落ちるものが出てくることは注意しなければならない。だが複雑なものを解きほぐすには根本に遡ることも必要だ。そこでその核心に迫る要素を探してみると、そこからは3つの手がかりが見えてくるように思う。それが、「個人」と「国家」と「企業」である。

だいたいこのように3者の関係を抽出して考えると、それはたとえばじゃんけんにも見られるような「三竦みの関係」になることも多いのだが、この場合の個人と国家と企業の関係はさらに微妙な関係だと言える。だからそのすべてを詳細に解きほぐすのは容易ではないのだが、ひとまずはここでできる限り考えてみようと思う。

 

まず、国家と企業はどちらも個人から成り立っている。だから原理的には個人が見向きもしなくなれば国家も企業も一瞬で瓦解する。これだけを見ればこの3者のなかで最も強いのは個人であるように思える。だがそう単純な話では終わらない。それは国家も企業も、それぞれのかたちで個人を縛ろうとするからである。

まず国家は個人を縛るため、その居場所や財産、そして社会関係を掌握しようとする。もちろん、国家そのものが社会関係でもある。そして個人がその外に出たり、国家に反抗するような動きを抑制しようとするのである。そのうえで国家は自らの原動力としての「税金」を集め、それを「社会福祉」というかたちで還元することによって個人の流出を防ぐ。これが、国家が個人(国民)を縛るための基本戦略のひとつであると言える。

では企業の場合はどうか?企業は個人に自社の製品・サービスから愛想を尽かされることのないよう、まず基本的にはそのものの質を高めようとする。しかしそれだけでは個人(購買者)の無限の欲求を満たすことはできない。だからその質の鍛錬を日夜続けるように努める。だが、もちろんそこには限度がある。だから企業は次に、その質が以前と変わっていなくても(あるいは多少劣化していたとしても)変わらずに関心を持ち、支えてもらえるように、ある「仕掛け」を施す。それが「イメージ戦略」である。

自分たちの製品がいかに愛されているか、いかにあなたのしあわせを増進させるか、そしてあなたの大切なひとたちが、いかにそれを活かしているか……。そういったことを企業は全身全霊で個人に訴えかける。そしてそれをいちど定着させることに成功すると、個人は企業に縛られるようになる。こうなれば、企業の地盤はより強固なものになる。これが企業が個人に向けてくる基本戦略のひとつであると言える。

こうして国家と企業は、それぞれの存在基盤を握っている個人の力を逆に利用するため、個人をあの手この手で縛りつけようとする。そのことによって、彼らは本来主人であったはずの個人を上回る力を保つようになるのである。

 

では次に、国家と企業の関係はどうなっているのだろうか?実はここもかなり微妙なものだ。まず国家は個人(国民)から税金を得たいと思っている。だが現代社会はひと昔前のような「自営業者」を想定すればいいわけではない。むしろそのほとんどが「組織労働者」である。では彼らはどこで労働を行うのか?それが「企業」である。だから、国家は企業にも配慮しなければならない。そうでなければ、国民から税金を(納得できる範囲で)徴収することが難しくなっていくからである。

では、企業は国家よりも常に優位な立場にあるのだろうか?それも簡単には言えない。なぜなら国家は、その構成員としての個人からだけではなく、その集合体としての企業からも税金を徴収することができるからである。それがいわゆる「法人税」である。

 

こうして見ると、この3者の関係は微妙ながらもなんとか均衡を保ちながら、お互いの調和を保ちつつ、繁栄していくことができるようにも見える。個人は企業で組織的に活動し、国家に納税する。国家はそれを原資に個人に社会福祉を提供し、企業の独善的な利潤追求を抑制しながら、全体の均衡を図り、国民の支持を失わないようにする。この仕組みが理想的に機能していれば、そこには大きなしあわせが生まれることにもつながるだろう。

だが、実際には今の現状が理想的な状態だとは誰にも言えないと思う。そういう現状に至った要因はもちろん複合的なものだが、ひとつ大きいのは「経済がグローバル化した」ということが挙げられる。そのことによって、世界はより緊密に繋がった。個人は世界中のモノやサービスを手に入れられるようにもなった。国家は他国にも協力を仰ぎやすくなった。それは確かに好い変化も多くもたらした。だがその力をあらゆる意味で最も強く受けたのはこの3者のうちのどれか?それは間違いなく、企業である。

もちろん、それが「すべての企業」に遍く好影響をもたらしたとは言えない。そのグローバル化の大波は、それに対応できない、あるいはその体力を持たない零細企業を呑み込んだ。だがそれはその前から強大な地盤を築いていた存在をより強力な存在に成長させることになった。それはなぜか?彼らが最も「身軽」だったからである。

 

個人は社会環境と自分をそう簡単に切り離すことはできない。そもそも、離れた土地では文化も風習もまったく違う。そこに慣れ親しんだひとたちはいない。だから、グローバル化がやってきたとしてもそうそう自由に飛び回ることはできない。またこれは国家についても共通した事情である。遠く離れた場所には、自分と深いつながりを持った「国民」はいない。そしてそこでは自分の統制力を発揮することもできない。そもそも、そこには違う「主権」を持った別の「国家」が存在している。だから国家もまた、グローバル化がやってきたとしてもそうそう自由に飛び回ることはできないのである。

だが、企業だけはそうではない。自分の創り出すものに需要があるのなら、それを世界の誰に向けて提供してもかまわない。それに、労働者はどこで手に入れてもかまわない。国家の縛りが激しいなら、別の場所に本社を移してしまえばいい。それで労働者の不満が募るなら、もっと違うひとを雇えばいいだけだ。ここに来て、企業は過去最高とも言えるほどの力を手に入れたのである。

個人はブランドイメージから離れられない。だから今や世界中のどこでも「同じような生活」を味わうことができるようになった。ではその利益は国家に還元されているだろうか?いや、その最も直接的なかたちである「法人税」はむしろ低下させられている。それはなぜか?

高い税金を課すと、企業は他の国に移転してしまうから

だ。そもそも究極的には、そんなことは紙1枚で済むような話なのだから。

 

では、国家は団結して企業の独走を抑制できるのだろうか?それはあまり期待できない。なぜなら企業がなくなれば、国民の活動の場もなくなってしまうからだ。政治家は必ず

雇用を創出する

と言う。だが彼らを雇うのは国家ではない。企業なのである。

これが、アメリカ大統領が誰になっても変わらない、現代社会の力学である。たとえ韓国大統領が暗殺されても、韓国からコカ・コーラは消えない。そして彼らはきっと、どこかの企業の酒を飲んで憂さを晴らすだろう。だからそんなことはたいした問題ではないのである。

 

こうして見ると、この3者の関係はいよいよ均衡を崩すかもしれないところに来ていることがわかるだろう。そしてどう考えても、このまま企業が独走した先に私たちの喜びある未来があるとも思えない。だが、企業は原理的に利潤を追求するものだ。だからそれ自体は当然の流れだとも言える。しかしこのまま放っておけば、企業はやがて得体の知れない怪物になって、すべてを破壊し尽くすことになるだろう。もう既に、それは始まっている。

だが、彼らに力を与えているのは、実は私たち個人なのである。私たちは彼らを止めることもできるし、育むこともできるのだ。だがそれすら忘れ去られようとしているのが、現状なのである。だから私たちはもういちど、よく考えなければいけない。私たちはなんのために企業を創ったのかを。なんのために国家を創ったのかを。そして彼らが、私たち自身が、いったいなにをしているのかをだ。

そしてまた、その判断の基礎になる「情報」を提供してくるのも企業である。だから私たちは、よく見ていなければいけない。よく聴いていなければいけない。そして吟味すること、選択することだ。そこからすべてが変わってくる。世界の見えかたすべてが変わってくる。あなたにとって、最近の最大のニュースはなんだろう?アメリカ大統領選挙だろうか?それともフィリピンのドゥテルテ大統領の政策だろうか?それとも韓国の政治情勢だろうか?あるいは、自分の給料が下がったことだろうか?確かに、どれもとても重大なことだと思う。だが私にとっては、特に個人的なことを除けば、まず第1のニュースはバイエルによるモンサントの買収である。こうして世界は動いていく。しかしそれがどんなに微妙で複雑なものだとしても、未来の手綱は、私たち全員が握っている。私はこのことを、ずっと忘れるつもりはない。

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  1. モロ より:

    こんにちは。お言葉に甘えて気軽にコメントしてみます。

    最近の第一ニュースは、

    地球上で最初の「遺伝物質」は隕石の衝突で誕生!再現実験で核酸塩基とアミノ酸の生成に成功! - 健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS
    生命誕生前の地球に隕石が衝突しDNAやRNAの素となる塩基が生成(shutterstock.com)  地球に生命が芽生えたのはいつか? なぜ生命のルーツが辿れ…

    でした。

    足元見えてなくてすみません。こんな世の中では宇宙に思いを馳せて現実逃避したくなるんです。

    記事を拝読しまして、私の足りない頭が拾ったことは、世界は欲まみれの騙し合いなんだな、という事です。

    ムヒカ大統領のような方が上に立ってくれたら、喜んで働いて納税するのですが。

    地元からして、無駄な箱物ばかり作って借金を重ねています。

    個人の意識を変えるためには、ある種のカリスマが必要だと思っています。坂本 龍馬のような。

    他力本願かもしれませんが、そう願っています。

    • Dilettante より:

      モロさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ご紹介いただいたニュースは初めて見ましたが、とても興味深かったです。
      ありがとうございます。
      宇宙も現実の一要素なのですし、そこに想いを馳せることで見えてくるものも多いと思います。

      それから、政治経済の在りかたを考えるのはなかなかひと筋縄では行きませんが、ひとつ言えることは今多くの社会で採用されている「『民主主義に基づく議会制民主主義』というのは、『カリスマを生まない(劇的な変革を起こさせないため)』に作られたものである」ということだと思います。

      それは戦争の惨禍や過去の様々な反省を活かしたうえで、「少数の意見で集団が動かないようにする」ということであり、悪い面ばかりでもないのですが、一方で「明らかに必要だと思われる変化も遅くなる」という側面もあると思います。

      それにおっしゃるとおり、そのすべてに「(近視眼的な)欲」と、それを増幅させる「カネ至上主義」が毒のように染み込んでいることが最大の問題のひとつだろうと私も思っています。

      しかしそれも含めてあらゆる社会体制や状況はやはり、私たちひとりひとりの選択(価値観)が増幅・反映されたものなのですから、私もまずは自分自身にとって、自分をしっかりと活かせる「カリスマ」でいられるようでありたいと、強く願っています。

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