「不条理感」から生まれる負の念は、いずれ浄化(昇華)の涙へと変わり、やがては歓喜の涙を生む

怒り妬み恨み僻み、優越感劣等感焦燥感無力感……。細かく挙げていけばキリがないが、私たちはなぜ負の念に苛まれてしまうのか?この問いには様々な視点からの答えがあり得るが、そのひとつが

「不条理感(不公平感)」があるからだ

というものである。

これはときと場合によっていろいろなかたちを成す。

なぜ自分ばっかりこんな目に遭わなければいけないのか!

なぜ自分ばかり苦労させられなければいけないのか!

なぜ自分がこんな病気にならなければいけないのか!

なぜ私の努力は報われず、アイツは易々とすべてを手に入れるのか!

なぜこんなふうに死ななければいけないのか!

これもやろうと思えばいくらでも挙げていくことができるが、ここに通底しているのは「不条理感(不公平感)」であると言えると思う。そしてそこから負の念が膨らみ始め、やがて究極的には破滅(自滅)に至るのである。

さらに言えばこれは最初多くの場合哀しみとして表れ、それが怒りに変わる。あるいは最初の哀しみを自覚せずに、いきなり怒りとして発現する場合もあるが、いずれにせよそこに浸っていれば行き着く先は同じである。そしてこれは以前、

「怒り」という感情はとても強力なものだ。私は日夜たくさんの負の霊団と関わるなかで、多くの怒りをぶつけられてきた。そしてその過程で、負の念がい...

と書いたことでもある。そのときに私は、それを解くひとつのカギとして、「偽の理由を棄て、真の理由を探す」ということを挙げた。そしてこれは、今改めて考えてみてもとても重要なことだと思うのである。

なぜなら不条理感(不公平感)そしてそれに続く負の念が生まれる理由は、突き詰めていくと

理由がわからない

というところに行き着くからだ。ではどうすればそれを乗り越えられるのだろうか?理由を探しに行けばいいのだ。ただ、その理由がわからないから苦しんでいるのに、そんな簡単に見つからないかもしれない。それはそうだ。だがそれならばなおさら、せめて

「この現状には理由がある」

ということを認めることができればいい。その「理由」がなんなのかはまだわからなくてもいい。ただ「理由がある」ということだけはわかっていられたらいい。それが、私たちの心を支える芯棒と、原動力になってくれるのだから。

理由がわからないとき、私たちは理不尽さと不条理を感じながら苦しみの涙を流す。それは私自身何度も体験してきたことだ。しかし

この現状(結果)にはこんな理由があったのか……!

と私たちが心から「納得」したとき、それは「浄化(昇華)の涙」の涙に変わることになるだろう。そしてそのとき、あなたもきっと魂の震えを感じるはずだ。そう、私たちが生まれてきた理由は、

「いちど忘れてしまったその理由を、再び思い出すため」

でもあるのだから。

これはつまり、

「すべての結果には理由がある」

という素朴で深遠な事実を深く理解していくということだ。この過程はどこまでも続くものでもあるが、同時にこれだけではまだ「半分」だとも言えるのだ。なぜならこれを逆から読めば、

「理由を変えれば結果が変わる」

ということだともわかるからだ。これを真に理解すること、これが私たちにとって最大の力となるのである。

だからこれからは、ますます多くのひとたちにこの力が与えられることになるだろう。というよりも、その力は最初から備わっていたのである。ただそれを思い出すのは簡単ではないし、それを「腑に落とす」のはさらに難しい。だからこそその前の段階で、私たちは簡単に負の念に呑まれてしまうのである。

だが、忘れないでほしい。すべての結果には理由がある。これは確かだ。だからあなたが苦しくなったときには何度でも、

「自分が今こうなっているのには理由がある」

と何度でも言い聴かせてみてほしい。そしたらいつか必ず、納得できるときが来る。そこまで来たら次は、

「理由を変えれば結果が変わる」

ということを確認し続ければいい。そして実のところこれは最大の奥義のひとつである。これが意味しているのは、「未来はこれから創られていく」ということだからである。だからそれがわかったら、

未来はこれから創られていく

ということを何度でも言ってみてほしい。そしたらあなたもきっと歓喜の涙を流すときが来るだろう。ここまで至るのには多くの葛藤や苦しみがあるし、そこに至ってからもさらなる葛藤や苦しみがあるかもしれない。だがそれでも、あなたが今流している苦しみの涙はいずれ必ず浄化(昇華)の涙へと変わり、やがては歓喜の涙を生む。これは私が保証する。なぜなら私自身が、やっと少しずつ、そんな涙を流せるようになったからである。そしてそれは、あなたのおかげである。だから本当に、ありがとうございます。私はあなたと出逢えたことを、そして今でも一緒にいられることを、心から嬉しく思っている。この涙は、そのなによりの証である。

コメント

  1. カナメ より:

    このご時世にタイムリーな記事ですね、これも負の念なんでしょうか?怒りの感情のパワーで結構素敵な芸術作品を幾つも作ってきた人もいますしそう言う事なんでしょうか?

    後、タイムリーと言えばこんな話を見つけました。

    多分作り話だとは思いますがこの話を読んだとき向こう側さんの

    自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

    っていう話を思い出したんですよ、ちょっと長いですが是非読んでみてください。

    またここで質問ですが、幽霊同士でもお互いを見たりその声を聴いたり存在を認識する事ができない場合ってあるんでしょうか?

    • Dilettante より:

      カナメさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、以前

      私たちは日夜様々な想いに晒されながら生きている。私たちはできれば穏やかに暮らしたいと思っているのだが、実際には自分の感情は不安定で、刻一刻と...

      と書いたこともありますが、始まりは負の念だったとしてもそれを「昇華」することができれば、それでいいんだと思います。

      また、ご紹介いただいたお話はとても興味深かったです。

      コメントに

      スレタイ詐欺

      というのもありましたが、あとになるに従って味わいが増すいいお話だったと思います。私の体験とも重ねながら、最後まで読みました。ありがとうございます。

      さて、最後のご質問については、霊界は基本的に「想いの世界」なので、想い(エネルギー・世界観)が異なる存在はまず会うことがありません。ですからその意味において、

      認識することができない

      というのは正しいです。

      しかし、

      認識できないからといって存在しないわけではない

      ということは、私たち肉体人にとっても、また霊存在にとっても極めて重要なことで、それを理解すると必ず、世界はまったく違った色彩を帯びて見えてくるのだと思っています。