ある若い霊(魂)が地球を見て回って率直に感じたこと

私たちは地球で長く肉体人として生きてきて、いろいろな体験を積んでいる。だがその結果あらゆることに慣れすぎてしまって、感覚が麻痺しかかっているところが多くあるのも確かだろう。そこから眼を覚ますためには、

「自分自身と真摯に向き合う」

ということが大切なのも間違いないが、一方で

「まっさらな眼を持つひとに意見を述べてもらう」

ということもいい手段になり得るものだと思う。

実は今回、それをするのにとても適した機会を得た。それは私のところに、まだあまり地球の実情を知らない、もっと言えば宇宙も世界のこともほとんど深く知らない、表面的な姿かたちではなく、もっと本質的な意味で「若い霊」(魂)がやってきたからである。

彼が私に率直に訴えかけ、質問してくれたことは、私自身にとってとても興味深いものだった。だから私はそれを改めて、ここでもあなたと共有したいと思う。

だが彼は

まだ自分の考えや意見にまとまりがない

ことを心配しているようだ。だが私は

そんな瑣末なことは気にしなくていいから、あなたが感じたとおり言ってくれたらいいんだよ

と伝えた。だからあなたにもゆっくり読んで、なにかを感じてもらえたら嬉しく思う。

 

悪いけどさ、俺はあんたがたに対して言葉を選べるほどの度量も奥ゆかしさも持ってない。だからただ、思ったことを素直に伝えるしかできないんだ。それは最初に謝っとくよ。だけどそれでいいって言うんなら、ぜひ俺の想いを聴いてくれ。

俺はさ、今までほとんど地球のことなんか知らなかったんだよ。っていうか、まだ世界のことすらよくわからないでいるんだけどさ。だけどとりあえず今回いい機会だと思って、地球の有り様をざっくり見てきたんだよ。それでいちばん強く感じたのは、

「なんだこりゃあ!?」

だ。

だってなんだい!この星で生きる存在のうち、喜び楽しんで生きてるのはほんのわずかしかいないじゃないか!あとの9割は泣いてるか怒ってるか喚いてるか、そうでなきゃ骨まで抜かれて絶望してるかだ!こいつはいったい、どういうことなんだ?

少し喜んでるひとがいたかと思えば、「嫌いなヤツがいなくなった」だの、「臨時収入があった」だの、「仕事が急に休みになった」だのって、そんなのロクな喜びじゃないじゃないか!

極めつけはさ、昨日こどもが生まれたばかりの家族が、もう今日には喧嘩してんの。

「自分の好きな名前をつけたいから」

なんて理由でさ!冗談だろう?相手のすべてを受け入れて、相手にすべてをさらけ出して、そのうえで何か月もの間一体でいながら大切に育んだこどもが元気に生まれた、その人生最高だって言ってもいいはずの喜びですら、たった1日も保たないで消えてしまうって言うのかい?

俺は考えたよ、俺なりにないアタマを絞ってよ〜く考えてみたよ。

「なんでこんなにひどいことになってるんだ?」

ってことをさ。

そしたらまず思いついたんだけど、あんたがたってもしかして、「なんでもかんでも当たり前」って思ってるわけ?自分が今生きていられるのも当たり前、明日を生きていけるのも当たり前、食べるものがあるのも、話を聴いてくれるひとがいるのも、目が見えるのも、動けるのも、元気なこどもが生まれるのも当たり前だと思ってんの?絶対に、そんなわけないのにさ!

じゃあどうしたらそのことに気付いてくれる?やっぱり、失ってみるしかないのか?苦しんでみるしかないのか?花粉症になっても気付かないなら、風邪を引いてみるしかないのか?それでもダメならインフルエンザ、まだ気付かないなら癌になるか?それでダメなら死ぬしかないか?なんだ、まだダメだってのか?だから死んでも苦しんで、さらには負の霊になって、終いには廃人と化すしかないのか?なぁ、ほんとにそう思うのか?

それともなんだ、あんたらはしあわせになりたいとすら思ってないのか?

「しあわせになろうが不幸だろうが、しょせん死んだらすべては同じだ」

って?そんなのあんたの勝手な思い込みだろうに!

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

あんたはこんなの読んで悟ったつもりになってるかもしれないけどな、解釈が歪んでるんだよ!久しからないのは驕り高ぶってるからだ。亡びるのは世界全部を自分のものだと思って猛ってるからだ。真の喜びは消えたりしない。変化しながら、無限に深まってくんだよ!それをなんだ、

「すべてのものは終いには無に帰す」

みたいに捉えて勝手に絶望しやがって!

逆にあれか、あんたらはこの「絶望が当たり前」だと思ってんのか?今苦しいのも当たり前、今の自分がこう考えるのも当たり前、今日と明日が変わらず八方塞がりなのも当たり前だって?そんなわけないじゃないか、未来は常に、今の選択から生まれてるんだよ!

だいたいなんだ、

「未だかつて、世界は戦争も飢餓も克服したことがない」

とか言って決めつけやがって。あんたが見てるのは、たかがこの地球の、せいぜい数千年か数万年の歴史の一部じゃないか!それを言うなら、あらゆる星の、あらゆるひとたちを見てからにしろよ!

そもそもおかしいと思わないのか?なんで俺みたいなついさっき生まれたみたいな魂にもわかることを、あんたらがわからないんだよ?あんたのほうがずっと体験も積んで、ちゃんと理解したうえで自ら望んで生まれてきた、熟練者のはずだろう?ほんと、しっかりしてくれよ。俺だって、大先輩を憐れみたいなんて思ってないんだからさ!

頼むよ、俺だってできることがあるならやろうとは思ってんだ。聴いてくれるならこうやって話すこともできるんだ。だから頼むから、自分たちの力に気付いてくれよ。なんかほんとにかわいそうになってきちゃうじゃないか。あんたらも、あんたらの周りのあらゆる存在もだよ。そうじゃないだろ、この星は、この世界は、「喜びを深めるための総合体験場」なんだろう?

まぁなんだ、これ以上言っても埒が明かないからこの辺にしとくけどさ、たくさんのおもしろいおみやげ話を楽しみにしてるのがここにいるってこと、忘れないでほしいんですよね、先輩たち。あと個人的には、もっと烏(カラス)を大切にしてあげてほしいです。マジで、よろしくお願いしますよ。

コメント

  1. リヨン より:

    この記事を読み、勇気を頂きました。ありがとうございます。

    ただ、何故『カラス』でしょうか?以前、他の方のサイトで『カラス』は『邪霊』(天狗)の遣いだから、気をつけて。。とありましたので少しビックリしました。

    カラスは頭が良いと言われてますが、私は以前ベランダからカラスが飛んでるのを見て『綺麗だなー気持ちよさそうに飛んでるな』と思っていたら、そう思っている間、ずっと同じ場所でぐるぐる回りながら飛んでくれてましたが『邪霊の遣い』と聞いていたから、私の思いがカラスに通じたのかも?と少し怖く感じてしまい、私が部屋に入った途端にどこかへ飛んで行ったので不安に思っています。

    • Dilettante より:

      リヨンさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      彼があのように言っているのは、リヨンさんも陥っている誤った思い込みに気付いてほしいという理由もあります。

      確かに動物(特に虫や鳥)は霊存在に憑依され使者として遣われることは多いですが、だからと言ってカラスが必ずしも邪霊の遣いであるということはありません。

      また、天狗も必ずしも悪意ある存在ではありません。

      肉体を持った存在であれ霊であれ、「身なり」や「先入観」に囚われることなく、相手の意志と生き様を、よく見てあげていただければと思います。

      そしてもちろん私も、自分自身が見せるものも含めて、そうありたいと思っています。

  2. モロ より:

    面白き事もなき世を面白く 住み成すものは心なりけり

    「心の在り方次第で、面白くない世も面白くなるんだよ」という高杉晋作の句は、上の句だけ一人歩きしていますが、下の句と合わせてこそ、強いメッセージ性があると昨日読みました。

    祇園精舎~も語感が悲哀を感じつつも美しいですよね。

    若い魂さん…『地球のカルマを持たない魂がある』と聞きましたがその方でしょうか。

    地球に転生を重ねた私達はカルマを持ちすぎ、自縛しているのでしょうか。

    この蛇口をひねれば飲み水が出る豊かな日本に生まれても、不平不満の塊ばかり…

    私の住む地区は地震、水害、大雪、大台風でインフラが断絶した事が何度もありますが、自然の猛威を感じる度に、当たり前の日常がこれ程ありがたいものかと感じます。

    カラスと言えば、地震を警告しているように鳴く事があります。

    明らかに鳴き方が違います。実際に地震来ました。

    この一月くらい、ずっと騒いでいます。

    あまりの数にどう大切にしていいのか解かりませんが、注目はしていたいと思います。

    うちの近所にはリアルに「アホー」と鳴く子や、オウムのように人語を喋ろうと頑張っている子が居て面白いです。

    若い魂さんのメッセージも、しっかり受け止め伝えたいです。

    Dilettanteさんありがとうございました。

    • Dilettante より:

      モロさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、この句にはいろいろな説があり、下の句は別人が詠んだものだとも、

      おもしろきこともなき世におもしろく

      というのが本来の歌であるという説もありますが、いずれにしてもそれぞれの味わいがあり、まさにおもしろいと思っています。

      それから、「大切にする」というのにはいろいろな捉えかたやレベルがあるとは思いますが、いきなり「好きになる」(愛する)ことはできなくても、せめて「嫌わない」(憎まない)ことができればそれだけでもかなり穏やかな関係性が生み出せるようになるのではないかと思います。

      そしてそれぞれの立場や意見を合わせながら、未来を創っていけたらと思っています。

  3. ゆき より:

    真の喜びは変化しながら無限に深まっていくという部分をもっとよく知りたいです
    そもそも真の喜びってどういう感じなんでしょう

    • Dilettante より:

      ゆきさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      真の喜びとはなにか?

      という問いはとても重要なものであり、同時に様々な視点から多様な答えを見出すことができるものだと思います。

      ですがそれを前提としたうえで私なりに言うとすれば、たとえば

      • 「未来を生み出すもの」(破滅的な思考ではない)
      • 「他者を排除しない」(独善的ではない)
      • 「罪悪感がない」(心からの笑顔とともに想い描けるもの)

      というものがカギになるのではないかと考えています。

      ですが、私もずっと考え続けていこうと思っていますし、ゆきさんにもご自分なりの「答え」を探してみていただきたいと思います。

      よろしくお願いします。

      • ゆき より:

        Dilettanteさん

        お返事ありがとうございます。

        破滅的にならないのは大事なことだと私も思います。

        ネガティブ思考も一時的には「よろこび」を感じられますがいつかは身を滅ぼしますね。

        そしてそういう悪いものに限って中毒性がある気がします。

        最近ちょっと考えていることなのですが、人類がまだ開拓しきれていない部分も含めて、よろこびにもいろんな段階があるのではないでしょうか。物質的な欲望の充足など現代人がフォーカスしてるのは水面の一番わかりやすい部分で、その下には淡くも清らかなよろこびが隠れていて、感覚を研ぎ澄まして深く潜れば潜るほどさらに美しいよろこび(霊的なよろこび?)に出会えるのでは、と思うんです。

        • Dilettante より:

          そうですね、ひとつの捉えかたとして、この場合の「喜び」(よろこび)を「愛」と言い換えてもいいかもしれないと思います。

          愛に段階があるとすると、それは最初は「自己愛」から始まって、自分の身近なひとたち(家族・友人・恋人……)に拡がっていくということもできるでしょう(私も含め、自分を愛するのが難しいひともいますが)。

          しかしそこからさらにその愛の対象が拡がっていき、地域・国・地球・宇宙……とより多くの対象(もちろん人類以外も含めて)を愛し、慈しむことができるようになれば、それはより深い愛であり、そこにはより深い喜びが見出されるものと思います。

          それを踏まえたうえで、今の自分自身、あるいは社会全体がどのような段階・状況なのかを考えれば、自ずから課題が見えてくるものと思いますが、もちろん私も日々少しずつでも、成長していきたいと思います。

  4. 宮葉 より:

    こんにちは霊媒師さん。

    この若い魂さんの言葉はとても考えさせられますね。

    霊媒師さんの伝えたい思いが1人でもたくさんの仲間に伝わって浸透してそれが当たり前の世の中になったとき、本当に争いのない世の中になるのでしょうね。

    そんな世の中を生きてみたいし、見てみたいです。

    私も日々子ども達や周りの人達に感じてもらえるようにこのブログを読んで心に刻んで生きたいです。

    • Dilettante より:

      宮葉さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      はい、一緒に見てみましょう。

      私の想いを受け入れて、寄り添わせてくださって、ありがとうございます。

      あなたがその想いを持ち、深めていくところから、すべてが変わっていくことを、私も心から楽しみにしています。