死にたくないと思っていても死ぬことはあるが、そこから新たな章が始まる

今この世に生きている私たちのほとんどが苦しみに呑まれ、そのなかでもがいていることは、霊であれ肉体人であれ、少し周りを見渡してみて、自分の心を見つめてみただけでも明らかなことだと思う。そして私たちのほとんどは、もはや生きることそのものを苦しみだと感じてしまうところにまで追い詰められているとも言えるだろう。

それは私自身も率直に感じるところではあるのだが、だからといって私は、希望を棄ててはいない。そしてそれは、多くのひとが感じているように見えるある感情のなかにあるものでもある。それが、

死にたくない!

という気持ちである。

もし私たちがこの世に心底絶望しきっているのなら、死んでこの世界から離れられることは喜びであるはずである。ところが、たとえ毎日のように不平不満を語っているようなひとや、自暴自棄のようになって生きているひとでさえ、いよいよ自らの死を目前にするとそれを嫌がることがほとんどである。

「余命宣告を受けてからむしろ生き生きとし始めた」

というひとは希少だし、事故死であれなんであれ、

早く死ねてしあわせでしたね

と声をかけるひとはいない。もちろんそれは、相手(遺族)を不愉快にすることがわかりきっているからでもある。

ということは、結局私たちは、このような世のなかでさえ、心のどこかでは完全に理解しているのだ。

「生きることは、喜びである」

ということを。

これは「運命」や「寿命」の話とも深く関わる複雑な話であるから、細かく話していくとキリがないほどになってしまうのだが、端的に言えば「未来」とは「現在の選択」次第でかなりの程度変えられるものである。だがもちろん、肉体にはそもそもの限界があるのだから、少なくとも今の遺伝子と環境のなかで生きる私たちが500年も1000年も生きるというのはまず不可能である。それに、一概に長く生きたからしあわせというわけではないし、自分の魂の学びのためとか社会(周りのひとたち)の在りかたを問いかけるという理由で、若くして肉体を離れる方々もいる。そしてその大枠は、生まれる前に計画し、覚悟したうえで生まれてきたものでもある。このあたりのことについては、今までもたとえば、

前回、自分が孤独で生きる気力も持てないと感じたようなときには、守護霊の存在を思い起こしてほしいと書いた。 これはある読者のかた...

などで折に触れて書いてきたことでもあるから、それを併せて読んでもらいながら、少しずつ腑に落としていただければ嬉しい。だがもちろん、疑問点は補足したいと思う。

こういったことをどう捉え、どう理解しどう生きていくかが人生の醍醐味でもあるのだからここで答えを急ぐことはしない。だがそれでもひとつだけ明らかなことは、

「私たちは、いずれ必ず死ぬ」

ということだ。これは厳然たる事実である。そしてそれが自分の選択の結果であるとしても、たとえば「余命いくばくもない」と言われるような段階から、その後数十年に亘って行き続けることは、一般的に言って難しい。それは

「誰でも、過去の結果と向き合わなければいけない」

という仕組みから見ても、しかたがないことだと言える。

しかしそれを理解したとしても、やはり死ぬのは怖いかもしれない。それに苦しみはそれを糧にする過程で、

「身の回りの喜びの大きさに気付かせる」

という効果を与える。だから、

せっかく生きている喜びがわかり始めたところなのに、今死ぬなんてあんまりだ!

と思ってしまう気持ちもあるだろう。私もそれは、自然なことだと思う。心からそう思う。

だがそれでも、私たちは死ぬ。そのあなたの哀しみのすべてを癒すことは、私にはできない。しかしそれでもなんとか言えることはある。それは、

「生まれ変わりは確実にある」

ということを伝えることだ。そしてもし、あなたの哀しみの原因が、

「この世界がこれから変わっていくのを、最前線で見られずに死ぬ」(未来を喜びに満ちたものにするために、もっといろいろな役目を果たしたかった)

という点にあるのだとしたら、それを解消する道はある。それが、

「死んだらすぐに、またこの世界に生まれ変わる」

という方法だ。もちろんそれ以外にも、

「世界の喜びを願う霊となって、励ましの念を送り続ける」

といった方法もある。特にあなたが大切なひとを遺していくことになるなら、そうやっていつも相手を見守るというのは、とても大切な役割である。

だがもしあなたが

外野(後方)ではなく内野(前線)から見ていたい

という強い想いがあるなら、やはり生まれ変わって肉体を持つことがいちばんだと思うのである。

しかも、世界的には今は人口爆発の最中にある。多くのひとが死ぬ以上に、多くのひとが生まれてもいる。だからあなたがその気になれば、「器」はいくらでも用意されている。それに、生まれ変わりの間隔に縛り(定め)はないのだから、本気なら死んで数時間後に生まれ変わることだってできる。確かに「生まれたい存在」は多いのだが、それでもあなたが強く深く想いを述べれば、聴き届けられる可能性は高いと思う。これは実際、私がそんな例を見てきた経験からも言えることである。

それに、この世界が正念場を迎えるのは今後30年くらいの間だろう。だからあなたが今死んですぐ生まれ変われば、時代の変転を見られるうえ、今度は「新時代を築く」という役目を果たすこともできる。その頃、あなたはいちばん気力が充実している30代の若者である。まったく、素晴らしいことだ!

それにあなたのような強い想いを持ったひとが今生の経験を糧に、最新の霊界の様子に触れ、守護霊たちと直に話し合い、再度計画を練りに練ったうえで生まれ変わってきてくれるなら、私にとってもとても心強いことである。だからこれは、ある意味私からの「お願い」でもある。それに、一般的にはせっかくひとつの「章」を終えたなら100年くらいゆっくりしてもいいところではあるが、この地球の今後数十年に最前線で関わることは、ただ霊界でいることの数千倍、数万倍の価値があると言ってもいいと思う。だから少しくらいせわしなくても、充分に検討する価値はあると思う。

しかし、一応早合点しないように付け加えておくが、これは「死にたくないと思っていても死なざるを得ない状況に置かれたひと」に対して言っていることであって、「自殺を勧めている」というようなことでは決してない。つまり私が今言っていることを曲解して、

じゃあ自分も、今の状況が気に食わないから、いったんさっさと死んでリセットしよう!

というように考えないでほしいということである。私たちは、死ぬときには死を受け入れるように、生きているときには生きていることを受け入れることが肝腎なのだ。それができなければ、なにより自分自身が苦しむ。この事実は、何度生まれ変わろうが変わらない。だから言い飽きたようでも、繰り返し何度でも伝えていこうと思う。

そして、今まで言ってきたようなことは、もちろんすべて私自身も肝に銘じていることだ。私も、まだ死にたくない。それにせっかく今までいろいろな準備をしてきたのだから、今死ぬのはあまりにももったいないと思う。だがそれでも、今日明日に死なないとは言い切れない。だからもしそうなったら、私も今のところ、きっとすぐ生まれ変わるだろうと思う。今の時代を生きるのはとても苦しいが、やはりとても楽しいから。だから死のうが生きようが、私のやることは変わらない。だが今はまだ生きているのだから、生きることを考えよう。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

と言ったのはガンジーだが、同様のことは多くの方々が言っていて、いつも私の胸を打つ。同じ人生は2度とない。だから離れるのはとても哀しい。だがだからこそまた逢えたら、また一緒に笑い合いたい。その想いがあるから、今日もまだ私は、ここで生きている。