私が霊媒師になってある程度経った頃、ある霊が私にこんな話をしてくれた。今の私にはこれが「実際にあった話」だと証明することはできないが、単に「物語」(寓話)として読んだとしても、少なからず意義のあるものだと思う。だから今からそれを、あなたとも共有したい。それは、こんな話である。
昔々、その頃の地球に暮らすひとびとは誰もが今よりもはるかに高い感受性を持っていた。するとそこには当然「霊的感受性」も含まれていたから、ひとびとは
やぁ、こんにちは!守護霊さんも元気そうでなによりです!
といったように、霊存在も含めて自然に受け入れ、一緒に暮らしていた。またあるいは
おや、なんだか今日はエネルギーが曇ってませんか?お茶でも飲んで、ゆっくり話でもしましょうよ
といったように、負の念に傾きそうなひとをみんなで支え、素に戻し合う仕組みがあった。だからその頃の世界には警察も裁判所も、奪い合いもなく、今よりはるかに調和が取れていた。
だがあるとき、あるひとが突然こう言い出した。
なんだその、霊?守護霊?みんなそんなのが見えるって言うけどさ、はっきり言って俺には、ぜんぜん見えない、わからないんだよね。だいたいそれって触れないし、掴めないし。どこにいるんだよ?
周りのひとたちは、意味がわからなかった。
え、だって、そこにいるじゃない?だいじょうぶ?ちょっと休もうか?
だが彼は、重ねて言い募る。
じゃあ見えるっていうお前らと、見えない俺と、おかしいのはどっちだ?俺がおかしいのか?それとも、お前らがおかしいのか?
このような思考は、他のひとたちには理解できないものだった。しかし彼は、来る日も来る日も主張し続けた。
するとどんなものでもそうだが、「程度の差」というのがある。だからついに彼は、こんなひとを見つけた。
正直言って、僕もぼんやりとしか、感じられないんだよね……
すかさず彼は言う。
ほらな!やっぱり俺だけじゃなかっただろ!じゃあなんで、お前は感じられないことを言わなかったんだ?みんなに流されてたからだろ?だけど実は、見えない俺たちのほうが正常なんだとしたら?コイツらは単に、「集団幻想」に嵌ってるんじゃないのか?
こうして彼は、着々と仲間を増やした。そしていつしか、多数派と少数派は逆転した。そして
見えないのが正常で、見えるのが異常だ!
という思想のもと、「異常者」は隔離され、嘲笑され、迫害され、殺された。そしてやがて彼は
私たちに初めて「真実」を教えてくれたひとだ!
として、崇拝されるようになった。これが、支配関係(上下関係・主従関係)の始まりだ。
そして最も酷なことは、最初に周りを先導し始めたこの彼は、「本当はすべて見えていた」ということだ!見えていたのに、見えていないと主張し、巧みに誘導して、他者から真実を剥奪した。そして実はこの背景には、彼を唆し、甘言で誘い、権力と引き換えに下僕とした存在(負の霊団)の策略があった。そのうえで万が一にも真実が広まらないように彼(ら)が講じた策、それが
真実と虚を混じり合わせた多種多様の情報を、まぜこぜにして世に出そう
というものだった。
こうしておけば、真実も情報の洪水のなかでかき消される。そして矛盾と対立に疲れ果てたひとびとはやがて思考を止めるようになり、
ともかく、多数派(常識)に従っておこう……
と考えるようになる。
こうして、真実は独占(寡占)され、歪められ、そこに「格差」が生まれるようになる。そしてひとびとは、真実の追究をやめ、日に日に無気力になっていく。
わかるだろう?これが、今の世の原因なんだ!
私は、この話を初めて聴いたとき、愕然とした。そして同時に、深く納得もした。しかしさらに、当時を知るという方々に、
なぜ、彼を止められなかったのだと思いますか?
と訊いたところ、彼らはこう答えたのである。
ひと言で言えば油断です。そして無知でもあった。まさか、あんな素晴らしい世界が壊されるときが来るなんて、まったく思っていなかったのです
しかし実際に、その世界は壊れた。それを成し遂げたのは、彼(と彼にまつわる負の霊団)の根気と執念である。
だったら今度は、私たちがその逆をやればいいということだ。真実を一部のひとたちで独占し、歪めたから格差(搾取構造)が生まれた。ならば今度は、
情報はみんなで検証し、真実を共有しよう
「誰かが誰かに教える」(一方通行)のではなく、「みんなで伝え合い、深め合う」(双方向・相互検証・相互理解)ことにしよう
と思えばいい。
もちろん、これには根気と努力が必要だ。一朝一夕には実現しないだろう。だがこれは、負の霊団がかつて実践したことそのものでもある。ならばこれは、
「いちどひっくり返されたものを、もういちどひっくり返す」
ということだ。
そしてそのときは、私たちは
いちどはあんなに素晴らしい世界から、ほとんどどん底まで堕ちたなぁ……
という経験すら活かして、「前よりも素晴らしい世界」を創ることができるのだ。そしてそのときは、もう油断しない。だから高い高い視点から見れば、これすら神(喜びを深めるはたらき)の願いどおりだと言えるのである。
とはいえ、今はまだその結果は出ていない。だがきっと、私たちは乗り越えられると私は信じている。そのときは逆に、
まさか、あんなにひどい世界から変われるときが来るなんて、まったく思っていなかったです
と笑いながら言ってみたいものだ。そしてそれはきっとできる。なぜなら私たちは単なる「傍観者」ではなく、この世界の「責任者」なのだから。未来は私たちの掌で、創っていけるものなのである。私はそれを、とても嬉しく思う。

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あけましておめでとうございます。
今年もこうしてDilettanteさんの記事が読める事を幸せに思います。
ブログのレイアウトもとても見やすくなって有り難いです。
今回の記事も吹き出しとはユニークですね。解かりやすいです。
読んでいてレムリア大陸を思い浮かべました。
霊的感受性が強く平和な世界ですらも、声の大きな者に変えられていく怖さ…。
肝に銘じます。
真実とは何か、ずっとずっと考えてきました。
アイヌの文化まで調べて、少し掴めたような気がします。
でも言葉にする事は諦めました。表現しきれず、無理に言葉にすれば嘘っぽくなるのです。
感じた事は、「ワクワク」するような喜びでした。
大きな存在といつでも繋がっている事の安心感、嬉しさ…
肉体の有り難みも噛み締めています。本当にすごいものですねコレは(笑)
不思議なもので、周りの現実主義な知人友人達も少しずつ私の言葉に耳を傾けてくれるようになりました。
少しはDilettanteさんの活動の助けになっていればと思います。
地球の住人みんなで、幸せになりたい、なりましょう!
今年もよろしくお願い致します。
モロさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
明けましたか、おめでとうございます。
私もこれからも、ずっと真実を追求し、身に宿し、表現していきたいと思います。
そしてこのリニューアルを機に、少しずつ「柔らかさ」もわかりやすく出していこうと思います。
吹き出しは、その一環です。
気に入っていただけたなら嬉しく思います。
時代の「常識」に合わないことを伝えるのは勇気が要ることですが、うまく私のことも活かしてくださいね。
この際、
もっとぶっ飛んでるひとがここにいるよ!
と伝えれば、あなたのような「良識あるひと」の言葉も、もっと伝わりやすくなるかもしれませんので。
あなたの人生に、少しでも多くのしあわせを感じられる瞬間がありますようにと、心から願っています。
これからもよろしくお願いします。