これは、つい先日の話である。その日私は急遽連絡を受け、あるひとの霊的相談を受けることになった。そのひとは私の以前からの理解者の紹介を受け私のもとを訪ねてきたのだが、相手の深刻な状態は、見た瞬間にすぐわかった。というのも、そのひとが私の家に入ってきた瞬間に、部屋の隅のほうに向かって、負の霊が走っていったからである。
しかし私は、こういうとき必ず一定の手順を踏むようにしている。なにせ現代の日本のような社会では、「霊媒師」などというのは社会的信用がなさすぎて、ほぼ100%が「詐欺師」か、そうでなければ「無自覚な病人」だと見なされているからだ。
だから私は、初対面のひとに会ったときは、相手の霊的理解・体験がどの程度であるかにかかわらず、まず最初に
- 私はいつどこでなぜどうやって、霊存在との関わりを持つようになったのか?
- 私の「真実」は、どのように見出され、追究され、検証されているのか?
- その過程で見出された私にとっての「真実」とは、具体的になんなのか?
ということを、相手に順を追って説明することにしている。そしてここまでに、少なくとも2時間程度の時間を割く。ここが、私が相手との信頼関係を築くうえでの、欠かすことのできない「基礎」になるからである。
しかし、その基礎がとても重要だからといって、あるいは重要だからこそ、それがすんなりと受け入れられるとは限らない。それは
「相手の『世界観』に私の『真実』(体験)がそぐわないから」
という場合も多いが、今回の相談者の場合はもっと単純かつ強力で、
話を聴くことに、どうしても集中できない……
というものだった。それはいわゆる「雑念」や「眠気」といったものもそうだ。そしてそのひとの場合は、そこに以前からの慢性的な「体調不良」の要素も加わっていた。さらに私は、いつものことながらその話の間じゅう、
余計なことをするな!
今すぐ喉をかっさばいてやるからな!
などといった、あらん限りの罵詈雑言(騒音)を受けていた。
だが、それがひと段落ついたとき、私はこう言った。
というようなことが、おおまかに私の今までの体験をまとめたものです。そしてそのような私から見て、今のあなたは確かに「負の霊団」というものに強い影響を受けています。それは非常に巧妙に入り込んでいるものでもありますが、今のあなたなら、「自分が影響されている」ということを、以前よりずっとはっきりと理解できるはずだと思うのですが、いかがですか?
するとお相手のひとは、静かにこう言った。
ええ、私はあなたが話している間、なかなか集中できず、眠気や体調不良も相まって、とても苦しい状態でした。ですが同時に、あなたの話を聴きながら、額のあたりに強い刺激を感じていました。そしてそれを受けるたび、少しずつからだと心がラクになっていきました。そして今、私はここに来てすぐの2時間前よりも、明らかに元気になっています
ええ、そうだと思います。私はこれまで、あなたのからだに触ってもいません。あなたの年齢も、苗字すら知りません。しかしあなたは、私の体験談を通じて、「自分がどんな状況にあったのか?霊存在がいかに、私たちの身近にあるものなのか?」ということをより深く理解し始めました。そして同時に、私が言葉と一緒にずっと送ってきたエネルギーが、あなたに伝わったのですね。だからあなたはそのぶん、ラクになったんです。それは本人であるあなたが、いちばん実感していると思います。だからこれは、真実なんですよ
しかし私は、これだけで終わってはいけないことに気づいていた。だから私は、こう続けた。
ですがこれには、もうひとつの要因もあります。それは今まであなたに関わっていた負の霊団が、「あなたに負の念を送りながら私にも負の念を送る」という2方面作戦では、私に敵わないことを悟ったんです。そのため彼らは、「いったん私を全力で潰してから、あなたを潰す」という策に切り換えました。だから、あなたはラクになったんです
そしていよいよ、始まってからずっと気になっていた、本題に入ることにした。
それでですね、実はあなたがここに来た2時間前から、既に彼らは私の部屋の片隅に「築城」を始めています。そうやって、私の部屋(空間)の一部を占有し、そこから徐々に侵食していく気のようです。ですが私としては、もちろんそれを望んでいません。しかし同時に、これは「あなたに影響していた負の霊団」でもあります。だからもしあなたが「真実」にとことん向き合う気があるなら、私は今から行われる「話し合い」に、あなたにも立ち会っていただきたいと思っています。ですがそれが無理なら、私はあなたにお帰りいただいたあと、私個人として彼らに向き合います。だって私は、私の部屋に「意に沿わない同居人」が居座るのを野放しにしていたくないからです。だからいずれにしても私がすることは変わりませんが、あなたの立ち位置は、あなたが決めてください
するとそのひとは、
すべてを見届けます
という答えを出した。それは簡単なものではないが、私が願っている答えでもあった。そして同時に、私はさらに気を引き締めた。なぜならここからが「負の霊団との話し合い」つまり
「霊媒師としての正念場」
だからである。
私はまず、部屋の隅に創られた彼らの「城」に近づいていった。そしてこう伝えた。
ここは、私の家だ。私の開墾した土地でもなく、私の建てた家でもないけど、それでも私が正当に権利を借り受けている、私の家だ。そこにあなたが「異物」を差し込むことを、私は看過しない。ましてやそこから「侵食」を受けて、私の家がいつの間にか、「負の根城」になることを見過ごすわけにはいかない。それに「実力で奪い取った者勝ちだ」なんて理屈を、私は受け入れない。しかも私はあなたがなにをしているのかを、はっきり認識してる。だから私は私の主体的意志に基づいて、あなたの行為を止めるし、この建造物を破壊する。ただし私は、話し合いには応じる。なにか言いたいことはある?
しかし相手は、なんの言葉も反応も返してこない。だから私は、
じゃあとりあえず、これは破壊させてもらう!
と言って、彼らの城を攻撃し始めた。しかしそれは言ってみれば
「巨大な負の念の塊」
であって、なかなか容易には崩れない。しかもそれを壊そうとするたび、私の精神と肉体に強烈な負の念が刺さってくる。だから私は慎重を期しつつ、確実にそれを破壊していった。しかしその最終段になって、私がその城の「核心」に触れたとき、今までとは段違いの負の念に、私の精神が襲われた。そして負の霊の彼が、冷たく笑いながらこう言ってきたのである。
霊とひとの、最大の違いを教えましょうか?
必死に自分を保とうとする私に、彼はさらに笑いを湛えながらこう続けた。
それは、「時間を味方に付けているかどうか」ですよ。あなたがた肉体人には「時間制限」がある。しかし私たち霊にはそれがない。だから私は、「あなたが最も弱っているとき」を待てばいい。そして今のあなたの世界では、黙っているだけで病んでいきます。まさに「待てば海路の日和あり」というわけですよ。どんなにあなたが強力でも、どんなにあなたが強い想いを持っていても、あなたがやがて絶望するときを待てば、そのとき必ず私はあなたを潰す。それまで私の居場所が1ミクロンでもあれば、私はいずれあなたを必ず圧倒できる。針の穴ひとつあれば、私は絶対に、あなたには負けないんですよ!
私はそのとき、意識を保つか保てないかの瀬戸際にいた。しかし私は、だからこそこう言い返した。
確かに、あなたの言っていることはとても正しい。この世界は病みきっている。肉体は窮屈で、維持するのも容易じゃない。それに私も、いずれ必ず死ぬ。しかも私は、なにをしているのかを本当には理解されていない。助けているのに利用していると思われ、ただ体験を語るだけで騙していると思われる。愛すれば笑われ、憎むこともできず、ただ必死に生きているだけ。でもね、だからこそ、私はあなたの言いぶんを否定する。針の穴を通さなきゃいけないのはあなたじゃない、私のほうだ!あなたたちは私たちよりはるかに優勢だ。自在に動き、好き放題に活動して、責任も負わず、ただ私たちが苦しむのを見て笑って、優雅に日々を過ごしてる!だけどね、だからこそ私は、あなたに言われたことをそのまま返すよ。たとえどんなに劣勢でも、バカげてても、それでも針の穴ひとつあれば、私は必ずそこを貫き通す。そしてあなたを必ず、驚かせてみせるから!
こうして私はついに、彼の城を壊滅させた。しかし私は、そこから出てきたのがたった1人の霊だったことに驚いた。先ほどまでの「雑兵たち」は、もう諦めて離れていったようだった。だがそれでも、彼はこちらを冷徹に見据えてくる。彼はまだ諦めてはいない。そして彼は、数を頼みにしていない。こういう相手は、最も厄介なのだ。だからここからが第2幕、いわゆる「野戦」の始まりである。
そこからしばらく闘いになった。私は城の破壊に精神力を消耗していたが、それは精魂込めた城を破壊された彼にとっても同じことだった。だからひとしきり打ち合ったあと、私たちはお互い暫し距離を取りながら、ようやく「話し合い」を始めた。すると彼は敬語で、理路整然と冷静に、かつ力強く私にこう言ってきたのである。
あなたは、なにか勘違いしていませんか?私たちが、あなたたちを苦しめているとでも?それは、少し、いえだいぶ間違っています。だって「あなたたちを苦しめているのは、あなたたち自身」なんですから!
彼はまた、冷たく笑いながら続ける。
あなたたちの世界を見てください!水、空気、土、それに食べもの、言動、行動、それに価値観!ありとあらゆるものが、「自動的に自分を病ませる」方向になっているではないですか?それにそれを選んだのは、あなたたち自身なんですよ!それにあなたたちは、大きな勘違いをしている。「年を重ねるごとに、心身に不調が増えるのは当たり前だ」とね!テロメアが減るから?細胞分裂の際のバグが積み重なるから?そんなものは瑣末なことなのに!「時間が経てば経つほど、蒔いた種の結果が顕れてくる」という、ただそれだけのことだというのに!
なぜ、年を重ねるごとに病気が増えるんですか?なぜ、年を取るごとに生きるのがつらくなるんですか?それがいのちの宿命だと思ってるなら、あなたたちは絶対に変われない!ただ単に、「最初はまだなにも知らない(無視できる)」というだけだというのに!知らないから、自分勝手に他者をいじめ、環境を汚し、自分を傷つける。そしてその「種」が発芽成長して、後悔の素が積もり積もって、あなたたちを苦しめる!それは、あなたたち自身のせいでしょう?どうぞご勝手に続けていただければいい!そしたら私が最期の最期、あなたたちを後悔と苦痛と無力感のなかで殺し、あなたを迎え入れて差し上げましょう!私はただ、待ってるだけなんですよ!
それにね、あなたが向き合うべきなのは私じゃない、すぐ身近な地域のほうだ!目に見えない私なんかをひとり潰したくらいでなんになると言うんです?あなたが潰すべきは、近隣の精肉店でしょう!それにあるいは自動車産業、それにメディアや芸能界ではないんですか?それにあなたの世界には、「一定の病人がいたほうがいいひとたちがいるでしょう?彼らこそ、あなたが向き合うべき相手でしょうに!マスタードガスを濫用する製薬業界?食べものを破壊する農薬業界?あるいは「甘い水」を売りつける飲料メーカー?さぁ、どこから手紙を送りましょうか?どうせあなたの訴えなど、一笑に付されるだけでしょうがね!
だからあくまですべての元凶は、あなたたち自身にある!私たちはその「流れ」を、ほんの少し加速させているだけです。だからあなたがもし私を倒したところで、なにも変わらないんですよ。私の「同志」は数多い。あなたの理解者はほとんどいない。だからもう、結果は見えているではないですか!諦めてください
私は、彼にある種の敬意を抱いた。やはり、彼は強い。しかも実際には、彼は実在の企業名を列挙しながら、もっと雄弁に語っていた。そこには確かに、「力」が宿っていた。しかしそれでも私は、こう言った。
あなたの言っていることは、決して間違ってない。確かに、私たちを苦しめているのは、私たち自身だよ。でもさ、だからと言ってすべての問題をごちゃ混ぜにして、自分を正当化しちゃいけないよ?確かに、私たちの「流れ」は好くないように見えると思うし、それは正しいとも思う。だけどさ、その「好くない流れを変えようとするか、流れに乗っかるか?」を選ぶことはできる。そしてあなたは、私たちを元気づけて励ます守護霊じゃなく、その悪い流れをさらに加速させる負の霊になる道を選んだ。それは、誰がなんと言おうとあなたの選択と責任だ。だから、「他にも悪いひとがいる」(あなただって悪いじゃないか?)っていうことを言い訳にして、自分の問題から逃げていいわけない。それに私は、できないことを嘆くより、できることをしていたい。私に今日の環境汚染のすべては止められないけど、少なくともあなたのことは止められる。そして私はそれをわかっていながら、みすみすここから逃がすことはしない!
そうすると、ついに彼から笑顔が消えた。
正論すぎて吐き気がしますね。正論だけではひとは動きませんよ?
だからってごまかしの理屈じゃ私は納得しない。それに誰がなんと言おうと、ほとんどのひとたちが一笑に付するとしても、私は私がなにをしているのか、よくわかってるから
こうして、私たちはさらに闘った。彼は強かった。私は追い詰められながらも、彼の魂の1点を見つめ、掴み取った。そして、それを育んで彼に還した。それは彼のなかにある
しあわせになりたい……
という想いだった。この「種」はもともと彼のなかにあったもので、私はそれが育つのを、ほんの少し加速させただけだ。そしてついに、事態は決着したのである。
それから私は、すべてを見届けてくれたことに感謝しながら、来訪者のひとの守護霊さんからのメッセージをお伝えし、
病気を完治させられるわけではありません
ということをお伝えしたうえで、私はできる限りのエネルギー調整を行った。そして来たときよりずっと元気になったそのひとを、私も笑顔で見送った。こうしておよそ6時間に亘るできごとが、喜びのうちに幕を閉じたのである。
ちなみに、私はいつもそうしているし、この『闇の向こう側』でもその姿勢は一貫しているのだが、

こういった活動をした際の対価については、
すべてが終わったあとで、もし納得していただけたなら、ご自分の無理のない範囲で、いただけるものをありがたくいただきます
という方針を採っている。だからたとえば今回の場合は、後日ご実家の玄米をお送りいただくことになった。
「目に見えないエネルギーをお送りしたら、目に見えるエネルギー源をいただいた」
のだから、私もとても嬉しく思う。
今回私は個人情報を省いたこと以外は、ついこないだ起きたことを、ほとんどありのまま、こうしてあなたにお伝えした。そしてこういったことが、霊媒師としての私の「ありふれた日常」である。そして私は今回また自分にできることを最大限できたことを、とても満足して受け止めている。これが、私の「真実」である。
だが私は、ここまで赤裸々に語ったとしても、あなたにすべてを信じてもらえるとまでは楽観していない。しかし、それでもいい。もちろん本当は理解されたいと思っているが、少なくとも今は
こんな話、本当なのかなぁ……
と思われていてもいいのだ。それでもほんの少しでも、このことを心に留めていてほしい。そしてなにより、自分で心から、本気で、
しあわせになりたいなぁ……。喜びを味わいたいなぁ……
と思っていてほしい。それが今は針の穴ほどちいさいとしても、それでもいいのだ。それが完全になくなっていないなら、あなたはまだ絶望しきってはいない。そしてそうである限り、あなたは、私たちは必ず、喜びに変われるのである。だから私はそのときを心待ちにしながら、今日も悪戦苦闘しつつ、ここであなたと一緒に、生きている。そしてそうしていられることが、私にはとてもありがたく、とても嬉しいことなのである。

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こんにちは、Dilettanteさん。
とても興味深いお話でした。
こんな事が現実に起こっているなんて驚きです。
ところで、、、戦いの最後が気になりました。
この後、負の霊はどうなったのでしょうか?
往くべき所へ行ったのですか?
さいさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
とはよく言ったものですが、今のほとんどのひとたちにとっては信じられないほど驚きに満ちたものであっても、私にとってはこれは確かに「真実」です。
そしてどんな理由があるにせよ、相談者のかたが少しでも元気になってくださったという「事実」が、私にはとても嬉しいことです。
また、今回私が行ったことはいわゆる「除霊」ではなく「浄霊」(導霊)というものですが、その後の扱いについてはひとによって様々だと思います。
ただ私の場合は、いくら「信念の違い」とはいえ、相手の人生を根底から変えるようなことをしておきながら、
あとは自分でゆっくり考えなさい!
と放置したり
あとはよろしくお願いします
と言って誰かに引き渡したりするのではあまりに酷だと思っていますので、基本的には彼だけでなく誰にでも
ともかく、今までのやりかたでダメだったことは完全にわかったでしょう?だからって急に変わるのも難しいのはわかってるから、とりあえず私の傍にいて世界を新しい眼で観察しながら、今後の身の処しかたをゆっくり考えたらいいよ
と言うようにしています。
つまり彼は今、広い意味で言う私の「守護霊」となっています。それを「往くべき所」と言っていいかは微妙ですが、彼は私に敵わなかったわけですから、私に身元を引き受けられたとしても、文句は言えないと思います。もちろん、出ていきたければ出ていってもいいのですが、他に行くところもないなら、ここもそんなに、居心地は悪くないでしょうから。
Dilettanteさん。
なる程! 分かりました。
確かに、急に考え方を変えるのは難しい事ですよね。
でも、毎回身元を引きとっていたら、
もの凄い人数になってしまうのでは?
とも思いましたが、そこは、
出て行くのも自由だし、
考え方が変わって、浄化されるかも知れないので、
そこまで霊で溢れるという事も無いのですかね。
理解できました。ありがとうございます!
まさに、小説より奇なり!ですね。
追伸です。
「往くべき所」や「浄化」は、
「あの世に往く」という意味でした。
さ迷っている霊は、いずれは「あの世」に
往くのだろう、、、と思っていましたので、
そういう表現をしました。
そうですね、「霊界」というのは空間的にもとても広い(極小に極大が宿っている)とも言えるので、どれだけ引き取ってもあふれてしまうということはないですからだいじょうぶです。
そしてそれは「この世/あの世」という言葉から受けるほど明確に分かれているわけではないので、彼らは
「霊界にいながらにして肉体界に関わっている」
というのが正確な理解だと言っていいと思います。
ただ、その「霊界」というもののなかにもいろんな場所(性質の「層」のようなもの)があるということです。
これは先ほど言った「空間」に対する理解とも関連するものです。
ですから、その意味での
「『浄化』とは、より喜びの大きな場所に行くこと」
ということができると思います。
そして私もそれを、私なりに支え合いたいと、そう思っています。
私たちも、
「肉体界にいながらにして霊界に関わる(助ける)」
ということが、確かに可能だからです。
Dilettante さん。
「この世」と「あの世」は
明確に分かれている訳ではないんですね。
霊界の空間が、3次元的ではないのも
自分にとっては新情報だし驚きでした。
「浄化」も一気に進むわけでは無いんですね。
なる程です!
「肉体界にいながらにして霊界に関わる」
そうですね。
私は霊が視えませんが、きっとどこかでは
大きく関わっているんだと思います。
お返事頂き、ありがとうございました。
ええ、だからこそご自分のなかをしっかりと見つめて、望まないものは断ち切って、本当の喜びを深めていけるようにしていただけたらと思います。
もちろん私自身も、試行錯誤していきます。
これからも、よろしくお願いします。
この間の授業で、先生が、”歳を取れば、細胞のバグが増えますから、癌が増えるのは当たり前ですね”と言っているのを聞いて、この霊の言葉を思い出していました。
“病気になるのは、細胞のバグなんかじゃなくて、自らが蒔いた種の結果に過ぎない”ということ。
シルバーバーチの霊訓も、モーゼスの霊訓も、霊の書も同じ事を言っていたなーなんて思い出していました。
でも、歳を取れば取るほど、細胞分裂の回数が多くなるから、バグを起こしやすくなるというのも説得力はあります。
が、その一方で、もしそうだとすれば、子どもの頃にもっと癌になっていいのではないか?とも思います。子どもは、大きくなるために、細胞分裂がとても盛んなわけですから。でもそうなっておらず、50歳くらいまではずっと横ばいです。
こんなふうに、ごちゃごちゃ”頭”で考えてみたけれど、どれもこれもなんだか違うような気がします。
私が細胞バグ説を受け入れられない一番の理由はそれでは”夢がない”からだと思います笑
やっぱり各自が努力した分だけ幸せになれる、そういう世界であって欲しいなと思います。
でも真面目に生きている方でも、病気になることはあります。特に働き盛りの30代ののお父さんやお母さんは小さい子どもを残して死ななければならないこともあります。
そういう方が、少しでも長く生きられるようにするのが医療の大きな役目の一つなのではないかと思います。(死んでもすぐ近くにいると言っても、やはり生きているからこそできることもあると思います)
そうですね、「健康」というものをどう捉えるかと、健康と幸不幸の関係性については大きなテーマがあることを念頭に置いたうえで、ひとまず今回の文脈に沿って考えるなら、
いわゆる
「正常な細胞」
というのを保つ方法は大きく見ても2つあると思います。
まずひとつは
「バグが起こる数を減らす」
という方向性で、もうひとつは
「バグが起きたとしても、そこから回復する」
という方向性です。
この両面から考えてみれば、
こどもの頃に癌になりにくいのは、たとえ細胞分裂の数が多く、実際にバグも起きていたとしても、そのバグを修正する力もまた、はるかに高いからではないのか?
という仮説が成り立つ余地もあると思います。
そしてそのうえで、
では細胞のバグを起こりにくくし、細胞の修正力を上げる方法はあるのか?
と考えれば、それは確かにあると思われるので、その意味では、
どんな結果になったにせよ、それは自ら蒔いた種の結果だ
というふうに言っても、間違っていないと思います。
ただこの点に関して、もう少し踏み込んで考えると、
そもそも癌というのは、単なる「バグ」(エラー・本来不自然なもの)と言い切れるものなのか?
ということから見つめなおしてみるということにも、重要な意味があると思います。
それからあなたのおっしゃるとおり、生きる力を助けることも、医療の大きな役目だと思いますが、その一方で、今ほど病院で亡くなるひとが増えた現代では、
「死を看取る」
というのも、医療の大きな役目だと言えると思います。つまりその意味で、
もうどうしても治らないひと・状況に直面したとき、なおそこからなにができるか?
というのを考えることは大切であり、確かにそれはある反面
「医療の終わり」
でもあるでしょうが、もう反面では確かに
「医療の始まり」
でもあると思っています。
ですが私は直接的には、医師でも医療関係者でもありません。ですから私の考えていることにたいした影響力はないとも言えそうですが、それでも私は私の立場から、考え続けていきたいと思います。
いつもありがとうございます。
Dilettanteさんのように「話し合いのできる力」をつけていきたいです。
真実(愛)を知り、揺らぐことのない強い想いを手に入れるための私の人生であるのなら、これもそのための道のりであるのなら、私自身の現状をなんとかどうにか乗り越えたい気持ちです。
近道は、やはり無いようです。
支えてくださって、ありがとうございます。
あなたのおかげもあって、私は希望をなくしてしまわずにいられるのです。
これからも、よろしくお願いします。
門音さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
という目的は、素晴らしいものだと思います。私自身も、そんなふうになれたらと思います。
ただあなたのおっしゃるとおり、近道はないのでしょうね。
ですが一方で、どこにもたどり着かない道もないのでしょうから、私もなんとかして、私なりのどこかには、行き着いてみたいと思っています。
ただいずれにしても、世界に自分が独りではないと知っていることはとても大きな力をくれるということを、私も私なりにではありますが、身を以って知っています。
そこにいてくださって、ありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。