「自殺は5秒で決断しましたが、すぐに後悔しました」。魔が差すということは確かにあるが、自分の本心を見失わないでほしい

ひとの流れというものは面白いもので、途絶えるときはしばらく誰との間でも途絶えたかと思うと、重なるときは一気に重なって、また景色を変えることがある。私は先日、

これは、つい先日の話である。その日私は急遽連絡を受け、あるひとの霊的相談を受けることになった。そのひとは私の以前からの理解者の紹介を受け私の...

という文章を書いたばかりだが、今日これから書くことも、ついこないだの話である。

そのひとは、この『闇の向こう側』を通じてしばらく交流があり、前にいちど面識もあったのだが、そのときはあまり時間がなく、包括的な話をできずに終わってしまっていた。だが先日、ふとしたことから急遽今度はしっかりと時間を確保したうえでお会いできる機会を得ることができた。

そして私は、いつものように自分の霊的な体験の始まりから現在までを概略的にお話しさせていただいたあと、相手に関わっている負の霊団との話し合いなどを経て、守護霊さんからのメッセージを伝えるところまで、なんとか無事に終えることができた。

これは私との信頼関係を築いたり、「真実」についての相互理解・検証をしていただくうえで基盤となる部分ではあるのだが、今回のお相手は最初から『闇の向こう側』を読んでいる経験があったこともあり、ひとつひとつお話しさせていただくことができれば、それほど抵抗なく受け入れてもらうことができたのはよかったと思う。

そしてこの「基礎」を確認し合ったうえで、私は彼にどうしても気になっていた疑問を直接訊いてみることにした。

自殺を決意して実行するまでには、どんな心の動きがあったのですか?

そう、彼は「自殺未遂の経験者」だったのである。

もちろん、以前から私は

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

と述べているとおり、「自殺経験者」に数多く話を聴いてきている。しかし彼らは基本的に霊だ。つまり、

「自殺を完遂してしまったひとたち」

である。だが、今回のお相手はそうではない。そのひとは肉体人であり、

「自殺を図ったが生還したひと」

である。だから私は、どうしてもそのひとに聴いてみたかった。するとご本人は、このようなことを語ってくれたのである。

 

そのひとが最初に心の異変を感じたのは、おおよそ今から20年ほど前、30代の頃だったという。それはいわゆる「眠れない」ということから始まっているのだが、その原因ははっきりとはわからないということだった。たとえば仕事もそれほど楽しかったわけではないが、どうしようもないほど苦しかったわけではない。ただ、その頃から現在に至るまで、そのひとは基本的にずっと、睡眠薬を常用しながら、定期的に通院していた。

そんな折、ふと気付くと自分の頭から「自殺」というものが離れなくなり、ずっとそのイメージが付きまとうようになった。しかしこの時点でも、結局は

でもそんなことをしたら痛いし、苦しいよなぁ……

という想いが勝り、決行には至らなかったのだという。

だがそんなひとをあるとき突然、

自分なんかいなくなったほうがいい!

という強烈な想いが襲う。そしてそのひとはとっさに、そこにあったネクタイで首を吊り、自殺を図った。そして、意識を失ったのである。

続けてそのひとは私の問いに答えながらこう言った。

そのときは昼でしたが、その当日の朝も私は、まさか死のうとは思っていませんでした。ただ漠然とした死のイメージは1週間ほど強くへばりついていましたが、先ほども言ったとおり、死の痛みや苦しみを思うと、実際に実行できるとは思えませんでした。ただその歯止めが急に壊れて、一気に自殺に魅き込まれたんです

では、その自殺の最終的な決断を下したのは、いつなのですか?

重ねて訊く私に、答えは間髪入れずに返ってきた。

5秒前です。本当に、実行の直前なんです。それまではまさか、自分が実際にやってしまうとは……

しかし、そのひとは死ななかった。ネクタイが切れたからである。だから私は、次にこう訊いた。

それなら、意識を回復したときは、どんなお気持ちでしたか?死にきれなかったことは、苦しかったですか?

するとそのひとは、即座にこう言った。

いえいえ、なんであんな恐ろしいことをしてしまったのかと、すぐに悔やみました

 

ここまで聴いて、私は話してくださったことに感謝しつつ、同時に私たちの「意志」を巡る綱引きの激しさを改めて思い知った。そう、ひとはその気になれば、5秒後には自らを殺せるのである。たとえ10秒前には、まさかそんなことができるとは、思っていなかったとしても。これは確かに、恐ろしいことだ。だがだからこそ私たちは、私は、この「現実」を直視しなければいけないのである。

そしてそのひとは、私にこう言った。

どうか、このことを伝えてください。負のスパイラルはあるとき突然加速する。だからこそどうか、それに呑み込まれないでくださいと。あれは、恐ろしいものです。だからどうか、ご自分を護ってくださいと、そう伝えてください

ただそのひとは、自らが決行した自殺未遂によって、今も少なからず後遺症を抱えている。実際に入院もしたし、通院も服薬も続けている。そして、そのひとの周りの人間関係や状況には、未だに解消しきれているとは言えない問題がある。そしてそのことは、ご本人がいちばん深く理解している。

だから私は、どうしても率直にこう訊かずにはいられなかった。

あなたはあのときに死ななかったことを、後悔していますか?死んだほうがラクだったなどと思うことはありますか?

しかし例によって、そのひとの答えには澱みがなかった。

いえいえ、そんなことはまったく思いません。確かに問題はまだまだありますが、それでも自分が想像していた「最悪のイメージ」よりははるかにいいんですよ。ほとんどは単に杞憂、取り越し苦労でしかありませんでした。だからむしろ、今の私としては、「サイコロの目がよすぎて怖い」くらいなんですよ。だからこれからいろんなことがあったとしても、その都度「後悔のないように」を旨に、自分と向き合って、生きていきたいと思います

私は、とても嬉しかった。私はそのあとも私にできることをできる限り行ったが、それ以上に私のほうも、そのひとの存在に、強く励まされたのである。

そしてこれを機に、私は改めて、あなたに言っておきたいことがある。そう、負の霊としてそこにいる、あなたにだ。

あなたはひとを疑心暗鬼や孤独感で弱らせ、無力感や絶望感を植え付け、そして自殺に追い込んで喜んでいるかもしれない。だがそんなことをどれだけ続けても、何百人何千人を自殺させたとしても、あなたの心は決して晴れない。それにあなたの誘いに乗って自殺したひとたちが、死後あなたに

あんな腐りきった世のなかから早く抜け出させていただき、ありがとうございました!

などと言ってくることはまずない。実際に、なかったでしょう?たとえ表面的に数を揃えようが、あなたたちは結局

「1人同士が集まっている」

というだけで、本当の意味での「2人」(仲間・友達・理解者)になることは決してない。なぜならそこには、「信頼・寄り添い・いたわり」といったような要素が完全に抜け落ちているからだ。そんなものに、真の力などあるはずがない。

そしてそんなことは、実はあなた自身が、いちばんわかっているはずだ。それなのになぜ、あなたはそんなことを続けると言うのか?私は理由を知っている。あなたは、

「誰かを苦しめることで気を紛らわしながら、自分自身と向き合うことから逃げている」

のだ!そうではないのか?そうでなかったら、いったいなんだと言うんだ?正直に答えてほしい。あなたはひとを苦しめて殺して、本当に楽しいのか?本当にしあわせだと思えるのか?

そう思えなくてもこうする。だから俺は負の霊なんじゃないか!しあわせなら負の霊じゃない!

まったく正しい。そのとおりだ。だからあなたは負の霊だったし、今もそうなのだ。だがそれは、

「それがあなたの唯一の選択肢である」

ということを意味しない。あなたは今まで負の霊だった。しかしこれからはそうでない存在にもなれる。誰も

「本質的に負の霊だ」(負の霊としてしか生きられない)

というわけではないのだから!それにあなたが今まで何人を死に追いやってきているとしても、あなたが真摯にそれと向き合い、反省し、変わろうとするならば、あなたは必ず許される。そして変われる。

だからまず、自分がしあわせになることを、自分自身に対して許してあげてほしい。難しいのはわかる。私もそうだから。でもだからこそ、私はあなたを許す。ただし、「今のあなた」を許す(受け入れる)とは言っていない。ただ、今までのあなたがなんであれ、あなたが変わろうとするなら、その痛みや苦しみに、私も寄り添う。そして一緒に、しあわせになりたいと思う。一緒にだ。だから私は、あなたを許す。そして、一緒に変わろうと思う。

あのひとは、今も生きているよ。あなたはどうなんだ?本当に「生きている」と言えるのか?あなたはあのひとを、屈服させることはできなかった。だからと言って私も、あなたを屈服させることはできない。しかしあなたの道は、あなたが選べる。そしてその道が私の道とぶつかるなら、私は何度でもあなたの前に立つ。だが、もしその道が私の道と重なるなら、私はあなたの横に立っている。ただそれだけのことなのだ。そして私も、あのひとと同じように、今日も生きている。それにそれを、とても嬉しく思っている。これが私の本心だ。だから私はあなたにもそれを見失わないでほしい。それを私は、ずっと願っているのである。

コメント

  1. モロ より:

    こんにちは。最近ブログの内容が実践的というか…変わったように思います。

    前回の記事も大変興味深く読ませて頂きました。ありがとうございます。

    今回の内容は私にも大変身に覚えのあるもので、この場をお借りして書かせて貰ってもよろしいでしょうか。

    特に何かショックな事があったとか、ストレスを抱えていたわけではありません。

    お盆の時期で実家の墓参りに行きました。

    うちには自殺した身内がおり、墓を分けております。

    私はすっかりその人の墓を忘れ、素通りしました。

    その夜から、急に寝込み始めました。

    半月くらい経っても良くならず、死ぬ事ばかりを考えていました。症状としては鬱病に近かったと思います。

    何度も頭にリフレインしていた言葉は、

    「子どもを残して死んでもいいや…」

    です。

    もう限界で、主人が病院へ連れて行こうとしていた矢先でした。

    この言葉に覚えがあったのです。

    自殺した身内は、1歳の子どもを残して飛び降りました。

    「あの女だ」

    とようやく気付いた私は何故か線香を取り出し、部屋中焚き染めました。

    それから急速に回復していきました。

    墓を無視されたのが余程悔しかったのでしょうか。それにしても理不尽な攻撃でした。

    自殺者の末路は人の足を引っ張る事しか出来ないのなら、なんと哀しいことでしょう。

    その人が助かってよかった。私も助かってよかったです。

    逆にあの死の淵を眺めたからこそ、生きている世界が輝いて見えます。

    必要な経験だったと受け止めて、これからも限りある命を精一杯楽しみます。

    長文失礼致しました。

    • Dilettante より:

      モロさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ええ、『闇の向こう側』もおかげさまでもう丸5年になろうとしていますし、基本的なことはだいぶ整理できたと思いますので、お相手の迷惑にならない範囲で、こういった内容も加えていけたらと思っています。

      それにその意味でも、あなたがこうしてご自分の体験談を共有してくださることはとても意義深いものです。ありがとうございます。

      あなたのなさったように、まずなにより大切なことはご自分の心身を護ることです。

      それだけでも充分なのですが、そのうえでもし可能なら、お相手に対して慈しみの想いを向けてあげてください。

      それによって多少なりとも相手の念の影響を受けてしまうこともあるでしょうし、決して無理することではありませんが、それでも想い続けることができるなら、それがお相手の彼女に対するなによりの「供養」(薬)になるでしょう。

      そしてもちろん、あなたもこれからも自分を殺さずに、楽しみや喜びを少しでも多く見つけていってください。それが私の、いちばんの願いです。