元気がいちばんではあるが、それでも「病気がもたらす利点」があるとしたら、それはなんなのか?

この現代社会に生きているひとは、多かれ少なかれなにかしらの病気を抱えている。それはたとえば「癌」や「脳卒中」というようなものから、「インフルエンザ」や「風邪」あるいは「花粉症」と呼ばれるものまで様々である。

一方でいわゆる「精神疾患」というのは、その性質上診断が難しかったり、肉体的なものよりも強く「社会的価値観」の影響を受けやすいのは確かだ。だが明らかに肉体的に症状を確認しやすく、その結果統一的な診断も受けやすいものに限ってみても、枚挙に暇がないほどの数があり、もちろん私もすべてを知ってなどいないし、それはほとんど不可能である。

しかしだからこそ、多くのひとたちは

病気になりたくない!

と考える。

周りのひともこんなに病気になっているのだから、私も病気になっていい

などという考えを持つひとはほとんどいないと思う。そして私も、それは自然なことだと思う。私自身も、別にあらゆる病気を体験したいとは思っていない(少なくとも、今生、あるいは1つの人生にすべてを詰め込むようなかたちでは)。

だが実際には、ほとんどすべてのひとが生涯のうちでなにがしかの病気に罹る。そしてそれは、確かに「喜び」とは言い難い。誰だって「元気」でいられるのなら、それに越したことはない。しかしそれでも、よくよく考えて見つめてみると、そこには確かにある程度の「病気がもたらす利点」というのもあることに気付く。それは、いったいなんなのだろうか?

まずひとつは、

「病気になることで、自分がいわゆる『弱い立場』に置かれ、『痛み』を知り、優しくなれる」

という点である。しかしこの点については、既にあまりにも多くのひとたちが指摘していることでもあるので、ここでさらに深くまで踏み込みなおすことは(少なくとも今のところは)必要ないと考えている。

それに、

病気になったことで優しくなれたのだとしても、それが私にとっても真実だと認めたとしても、それでも私は、それなら優しくなんかなれなくてもいいから、病気になりたくなんかなかったと言いたいです!

と言いたくなるひとがたくさんいるということも、私はよく知っている。だから、この視点からだけでは、そのような意見に真摯に向き合い尽くすことはできない。ここにはある意味、

「他者への自己犠牲的精神」

が含まれているからである。そしてそれが

「自己犠牲だけ」

だと思っている限り、そのひとは絶対に、根本的に救われることはない。

だから私は、ここにもうひとつの要素(視点)を付け加えたい。それは、

「病気になることで、『自分がそれまでいかに病んでいたか』ということを、これ以上なくはっきりと、見せつけてもらえる」

というものなのである。

もうずっと昔のことになるが、私はかつて、いわゆる「無痛症」のひとと少しだけ関わっていた時期がある。このような状態は先天的にもおよそ100万人に1人くらいの割合で起きるものだとされていて、その度合いも様々だ。私が関わったそのひとの「無痛箇所」つまり「痛みを感じない場所」は全身ではなく、確か下半身だけだったかと記憶しているのだが、そのひとの生活の困難さは、私の想像をはるかに超えていた。

そのひとは「普通に生活しているだけ」でしばしば足をぶつけ、指を切り、指先だけでなくふくらはぎなど様々な箇所に、大なり小なりやけどをしていた。「自分が傷ついていないか」を確認するため、日に何度も裸になって、自分だけでなく他者の眼も借りながら、自らのからだを「点検」しなければならなかった。これは本人か関係者でなければ想像しづらいことだと思うが、たとえばネット上にあった

世の中には痛みを感じない先天性無痛症という疾患がある。多くの漫画や映画では「痛みを感じないことは...

のような体験談を見れば、このようなことは無痛症のひとにとっては「よくあること」であるという事実が、少しずつでもさらに理解されていくのではないかと思う。

そして重要なことは、

「痛みを感じないひとたちは、『痛みを感じられる』ひとたちに比べて、ずっと早く死んでしまう傾向が強い」

ということなのである。これはよく考えれば考えるほど、重大な事実だと、私は思う。

もしあなたのからだにインフルエンザウイルスが大量に入っていて、実際にからだを侵し破壊し続けたとしても、あなたにその「病状」が顕れなければ、あなたがそれに気づかなければ、あなたは相変わらず激務をこなし続け、いつの間にか死んでしまうかもしれない。

もしあなたの脳が出血しているのに、あなたの頭に激痛が走らなければ、あなたの言語能力にもなににも「支障」が顕れなければ、あなたはそのまま友人と談笑し続け、数時間には死んでしまうかもしれない。

だから、その意味では病気は決してあなたの寿命を縮めたわけではないのだ。むしろ

「病気はあなたのいのちを永らえさせている。そしてあなたの『真の病みの原因』は、その『根源』は、他のところ(その奥)にある」

というのが、より正確な理解なのである。

たとえば私はおそらくあなたよりもずっと、負の霊団というものをいつも身近に感じ続けていることだろう。だがそんなものを意識したこともないあなたは、「私よりしあわせで、恵まれている」のだろうか?そんなことはない。もしあなたが

「自分に、そして自分の家族に、この世界にどれだけ負の霊団の影響が及んでいるのか」

を完全に理解したら、あなたは戦慄して、1秒でも早くなんとかしなければいけないと思うことになるだろう。そうなれば、そんなものを食べている場合ではないとわかるはずだ。そんな場所で、そんなことをしているわけではないとわかるはずだ。それなのに、あなたはそれを実感できずにいるから、今でも変われずに生きているのだ。生きられてしまうのだ。だからあなたは、自分のことを、まだまだなにも知らないのである。

自覚しなさい!という言葉はよく耳にする。私自身もよく言われてきたものである。しかしこれはあまりにも便利な言葉である。たとえば「社会人...

だから霊であれなんであれ、

あなたがそれを知らないから、自覚していないから、あるいは認めないからといって、それが存在していないわけではない

ということ、これが確かな真実なのである。だが、それは平時にはなかなか実感できない。だからこそ、私たちは「病気」になるのである。

病は気から

とはあまりにも言い古された言葉だが、これはやはり正しい。だがほとんどのひとは、「気の病み」になど気づけない。だから、「病気になる」のである。それは、

「自分がいかに自分を病ませていたか、この環境がどれほど自分を追い詰めていたのか、そして自分がどんなに喜びから離れてしまっていたのか、これ以上なくはっきりと理解させるために『病気にしてもらった』」

のである。だからこれは、その意味では、その意味でだけは間違いなく「喜ばしいこと」なのである。そしてこれは決して、

「他者のための自己犠牲」

ではない。その要素があったとしてもそれはあくまでも「副産物」である。その核心は、

「あなたが自分を正しく護り、喜びを知り、それを選択するため」

にあるのだ。これが、真摯に病気と向き合ったならば誰でも認めざるを得ないと思われる、「真実」なのである。

だがもちろん、病気はできる限り軽症のうちに治療したほうがいい。だから早く、自分の「病み」に気づいてほしい。そして一刻も早く元気になって、「真の喜び」のなかに生きてほしい。人生は、有限なのだから。私たちは喜ぶために、生まれてきたのだから。だからこそ私は、あなたが今元気だと言うなら、それをなにより心から、祝福したいのである。

最後に、現代医学の範囲ではほぼ確実に

「精神病(統合失調症)患者」

と見なされるであろう私の立場から、もうひと言付け加えておきたい。

私が霊存在との関わりを持つようになったのは突然で、最初は

「私の意志で踏み込んだもの」

ではなかった。

しかしその前から、私は私が「病気」だということにずっと気づいていた。それはほとんど、

「生まれた瞬間から」

である。だが同時に、私は

私を病気だと見なす、この世界こそが「病気」だ

と思っていた。しかしそう思うこと自体が「私の病気の深刻さ」を示していて、ともかく私は、ずっと怖かった。世界のことも、自分のこともである。だがそれでも私は、少なくとも

「自分が病気であるということにはずっと気づいていた」

ので、最初からずっと、

病気を治したい!しあわせになりたい!

と思っていた。それは今でもずっと変わらない。そして私は、今でも私は確かに少なからず病んでいると自覚している。だが昔と違うのは、

ほんの少しずつではあるが、その病みが確かに癒えてきている

ということを感じつつある点にある。ならばこの先紆余曲折はあっても、それは確実に癒えるのだろうと思う。そしてそのとき、私を「病人」と見なすひとは、どこにもいなくなるだろう。それは私の病みだけでなく、あなたの病みも、社会の病みも、いずれ必ず、すべてが癒えるからである。

コメント

  1. ツキヤ より:

    お元気にしてますか?最近の投稿がないので気になります。蠍座の満月からいい流れがきてるような感じなので、回復されましたか?
    闇の軍団のしつこさや執念は相当なものですね。光のスイッチを入れたら一瞬にして闇も光になるのに。闇も光潰しをやめてワンネスになればいいのですが。✨

    • Dilettante より:

      ツキヤさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      長らく更新できず、ご心配をおかけしてすみませんでした。

      ですがこの度

      最後にこの『闇の向こう側』に文章を追加してから、早いもので3か月以上が経ってしまいました。いかがお過ごしでしょうか?結果的に今回私は...

      に書きましたように、諸々の事情もひと段落しましたので、また改めて再始動していきたいと思います。

      ミリアともども、よろしくお願いします。

      そして私も、執念には執念で、根気と信念で、真摯に向き合いながら、乗り越えていきたいと思います。

      いつも自分にも言い聴かせているとおり、この世界でも結局は、想いが強いほうが、優るのですから。

      そして私も、あなたの喜びとしあわせが深まり続けていくことを、いつも願っています。