50年とまで言わなくても、30年後の世界を見るのは、誰にとっても大きな意味がある

現代日本では特に、「少子高齢化」が進行している最中で、この状況とどう向き合うかは、とても大きな課題だとも見なされている。そしてこれは、今「先進国」と呼ばれているような国では多かれ少なかれどこでも起きていることだとも言えるだろう。

しかし、世界全体で見れば、今はまさに「人口爆発」と言ってもいいほどに、人口は増え続けている一方である。1800年には9.8億人だった世界人口は、1900年には16.5億人となり、その後1950年には25億人を超えた。こうして見るとこれだけでもすごい数字のように思えるが、これが2015年時点で73億人にまで増えているというのだから、今の状況は明らかである。

そしてこの人口増加については、「エネルギー革命」など、様々な要因が絡み合っていることは間違いないが、そのうえで霊的な観点から見ると、これは

「地球に生まれたがっている存在(霊)が数多くいる」

ということを示していると言える。だとしたらこれはいったい、なにを意味しているのだろうか?

よく親と言い争うときなどに

俺は産んでくれなんて頼んでないだろ!

といった言葉が遣われることがあるが、これはただ単に相手を傷つけるからという理由だけでなく、完全な誤りであるという理由で、言うべきではないものである。もちろんどの環境(親)のもとに生まれるかは「双方(すべての関係者)の合意」があって初めて決まるものではあるが、それにしても私たちが

どうしても今、ここに生まれてみたい!

という強い要望があって生まれたのだということ、これは確かな真実である。だから先ほどの言葉を嘘にしないためには、どんなに憤ったときでも

俺は産んでくれなんて頼んだ憶えはない!

というくらいに留めておくべきなのである(ただし私の場合は、自分の意志で生まれてきたことを完全に理解しているので、これすらも言えないのだが)。

となれば、現代の地球に、これだけ多くの人類がいるということは、少なくとも今いるひとたちの数は間違いなく、

この地球にひととして、からだを持って生まれたい!

という希望を持ったひとたちがいたということである。そしてなかには多少の例外がある可能性もあるにせよ、基本的にはほとんどのひとはそれほど「自虐的な趣味」を持っているとも思えない。だとしたらそれは私たちがそれぞれ、なにかしら

「自分が生まれるに値する『なにか』」

をこの時代、この環境に、見出していたということである。

しかしそんなことを言うと、

戦争に巻き込まれて数年くらいで死ぬような人生に、どんな意味があるんだ!

生まれて数日で死んでしまうようなこどもにも、同じことが言えるのか!

などと言われてしまうことがある。しかしこれは「生まれ変わり」(旋廻転生)のシステムを理解し、そのうえで

「今のすべては、未来につながっていく」

という事実を認識すれば、つまり「もっと長い時間軸」によって見てみれば、いずれ腑に落ちるときも来ると思うのだ。そしてこれは、単なる

「延々と続く(その場しのぎの)慰め」

ではない。私も、今のような社会が永続してほしいと思っているわけではないし、そもそも永続できるようなものだとも思っていない。そしてだからこそ、

その「歴史的な節目」を最前線で見てみたい!

という霊がたくさんいて、今のように人類が増えているとも言えるのである。

だから、この「節目」はそう遠い未来のことではない。しかし一方で、「明日やあさって」に唐突に、急激に起きるものでもない。最近もまた、

2017年の9月23日が「人類滅亡の日」だ!

というような言説が出ているようだが、こんなことに踊らされるのは無意味どころか有害である。そして冷静になって、2012年や1999年になにが起こったのかを、よく思い出してみてほしい。それにもしあなたが私を2012年当時から知っていたら、なおさら私の態度は知っているだろうし、その記録は今でもここに残っているから、何度でも読んでくれたらいい。そしてあなたには正しい意味で、

「ほんの少し先を見る」

ということを、してほしいのである。

確かに、

「今ここ」

に集中するということも大切である。しかし「今」というのは一方で、

「過去の種が芽吹いたもの」(≒過去の残像)

であるというのも確かだ。だからその意味で、「目先のこと」(眼の前の現状)だけに、囚われないでほしいのだ。そして

「今の種が花開く、ちょっと先」

を見ていてほしい。そしてそれを念頭に、喜びとしあわせの種を蒔き、少しずつでもそれを育てていってほしいのである。

ではいつ、その「花」が開くのだろうか?私はいずれにせよ、あと50年も経つ頃には、この社会のほとんどの仕組みは、根底から変わっていると思っている。そしてそれはもちろん、いい方向にである。私が咲かせたい「花」は、そちらのほうだ。だが50年も先のことに想いを馳せるのは、少し大変だとも思う。だからせめて、あと30年先を見ていてほしい。そしていい意味で、楽しみにしていてほしいのだ。そして私自身もずっと、そうしているのである。

しかし30年も先となると、私もこのからだでは生きていないかもしれない。たとえ私がからだを離れていたとしても、私ができることはある。ただできればせっかくだから、最前線のここで見ていられたらいいなぁとは思っている。あなたも、そう思わないだろうか?

だから私は、あなたとも一緒に、できる限り生き抜いていたいのである。今、時代は大きく動いている。これは私が『闇の向こう側』を始めた当初から言ってきたことだが、今は2012年当時よりも、その認識を共有しやすくなっていると思う。そしてそれはもちろん、これからも続いていくし、これからのほうがより激しくなるとも言える。しかしだからこそ、生き抜いていてほしい。まだあなたは生きられるのだから。それにもし、その「節目」を見る前に今回のからだを離れてしまったら、またすぐ生まれ変わってもいい。私自身、そうしようと思っている。だがいずれにしても、あと50年、せめて30年後の未来を見ることは、誰にとっても大きな意味のあることだ。そしてその「意味」を創るためにこそ、私は今日も、生きようと思っているのである。

コメント

  1. なすび より:

    お久しぶりです。すごく共感できるところがたくさんあります!
    私も、親とけんかしたときとか、こっちも売り言葉に買い言葉で“産んでくれなんて頼んでねーよ”と言ってしまうことがあります。
    でも、そうですね。霊的知識に照らしてみると、言っていることが嘘ですね。言ってしまってから、あ〜嘘ついたな今と後悔しました。

    シルバーバーチの霊訓で霊的な知識を学んでから、(闇の向こう側さんのおっしゃることと、表現は違っても、述べていることは本質的に変わらないと思っています)私も、自分の生かされている意味を考えるようになりました。
    なぜ、この時代に生まれたのか、なぜこの家庭に生まれたのか、自分がこの人生で達成しなければならないことは何なのか、どのように生きてゆけば良いのか。前よりも1日1日を大切に過ごせるようになったと思います。

    “ほんの少し先を見る”ということから、霊能者の方に伝えてもらった守護霊のメッセージを思い出しました。そのメッセージにも先の未来を見ましょうという思いが込められていたように思います。肉体を持った私たちよりも、霊の方が時間というものに縛られないので、先の未来の様子も、過去にまいた種が、今をつくっていることもよく見えるのでしょうね。

    実は、私は医学部の学生です。このままいけば、医師になると思います。最近よく思うことは、なぜ霊的知識に目覚めたのだろうか?ということです。心霊治療と医療の架け橋になれってことなの?とかいろいろ考えたりするんですけど、一方で自分が考えたところでたかが知れているとも思います。そんな風に、外に対して働きかけるだけの器量があるのかも正直疑問です。自分のことで精一杯です。

    だから、私なりに、何となく最近考えているのは、今は自分ととことん向き合うこと。自分の欠けているところを見つめ、少しでも向上できるように努力、地に足着いた生活をしていくことです。外に向けて働きかけるのはそれからでも遅くはない。

    “大学生らしい生活をしなくちゃ!” ”友達がいないのは駄目だ”と思って、サークルやら、学校で、大学の人たちに合わせて、自分を抑えていましたが、ある時から、”もういいや〜”と思えるようになって、今は自分全開で生きてます笑 自分のやりたいことを好きなだけやっています。

    一人で過ごす時間が増えましたが、不思議と寂しいなと思うことも減り、自分を抑えて生きていたときよりも、安心感に包まれています。

    とは言え、寂しくなるときもあります。しかし、一人で過ごす時間が増えたのも、”自分と向き合うチャンスを与えられた”ということなのかもしれないなと最近ふと思うことがあります。私の場合、目先の寂しいという感情から、人との関わりを安易に求めていくのではなく、それと向き合っていくことが、”先の未来を見る”ということなのかなと思いました。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ええ、どんな環境に身を置いているにせよ、人生は日々試行錯誤と選択の連続だと、私自身、いつも痛切に感じています。

      ですがそのようにいろいろあるなかでも、

      前よりも1日1日を大切に過ごせるようになったと思います。

      自分全開で生きてます笑 自分のやりたいことを好きなだけやっています。

      というあなたの基本姿勢は、とても素晴らしいものだと、私も思っています。

      そのうえで、私も「友達」と呼べるようなひとをうまく作れたことがほとんどなく、それでいて極度の寂しがりであることを自覚していますが、だからこそなおさら、あなたのしあわせを、心から願っています。

      どうぞあなたのやりかたで、あなたの大切なひとたちを、そしてあなた自身のことを、癒やしていってください。

      これからも、よろしくお願いします。

      • なすび より:

        素敵な言葉をありがとうございます。元気がもらえます。

        こちらこそ、また楽しみに、記事を読ませていただきます(^_^)

        • Dilettante より:

          ええ、私の言葉が少しでもあなたを元気づけられているなら、とても嬉しいです。

          これからもどうぞよろしくお願いします。