2018年になりました。今年も大切なものを大切にしていきましょう

本日は新暦での元旦であり、今日から2018年が始まりました。いかがお過ごしでしょうか?

思えば今からおよそ1年前、私はこの『闇の向こう側』をリニューアルしました。

2016年もあと10日ほどで終わりますが、いかがお過ごしでしょうか? さて、突然ではありますが、この度この『闇の向こう側』は改めて生ま...

そして6月には共宰者にミリアを迎え、新しい体制での活動を模索し始めたのでした。

最後にこの『闇の向こう側』に文章を追加してから、早いもので3か月以上が経ってしまいました。いかがお過ごしでしょうか? 結果的に私はこれ...

しかし、それからの日々はそれまでにも増して「激動」と呼ぶにふさわしいものであり、その流れのなかで、私も様々な体験を積み、また様々な想いを、感じさせられることとなりました。

それは図らずもまるで季節の移り変わりを映したようでもあり、春には葛藤もはらみながらの期待のなかにいた私は、夏の暑さをエネルギーに変えようと奮い立っていましたが、秋にはそれまでの日々がもたらした「実り」のなかに、私が予測していない味のものが多数含まれていたことを思い知りました。そして今、私はまさに自分の心のなかに「冬」を感じながら、どうにもならないものをどうにもならないものとして受けつつ、しかしそのなかでもできる限りの暖を取る方法を模索しながら、遠からず来るであろう春を、待っているのです。

ですから今の私は、暦の上で「年が改まった」ということを確かに認識しながらも、そんなものでは区切ることのできない圧倒的な「連続性」のなかで、今もなお昨年、そして昨年以前からの「課題」に、向き合わされていることを、切実に自覚しています。

ですがそのうえでも、今改めて昨年2017年の全体を通して振り返ったとき、私は昨年が今までのどの年にも引けを取らないとても多くの「表情」にあふれた、とても「画期的」な1年であったことを、静かに認めるのです。

ですから私にとって、そのような昨年のうえに重なる今年がどんな日々になるのかは、とても興味深いとも言えます。そしてこれは言うまでもなく、

「絶対的で圧倒的な当事者性」

を持ったうえでの「興味深さ」なのですから、その意味で私は、確かに

「生きていることの醍醐味を味わっている」

と、言ってもいいのだろうとも思います。

さて、ここまではあまりに個人的な話でしたので、少し視点を変えてみましょう。するとまず今年2018年は、言い換えれば「平成30年」であるわけですが、現在のところ2019年の5月1日には改元がされることがほぼ決定されていることから、少なくとも今年2018年の大晦日が「平成最後の大晦日」となることは間違いないと思われます(なお、平成31年4月30日まで平成があると前提すれば、「平成最後の元日」は、来年だということになります)。

そして、新しい元号はそれに先立ち今年中にでも発表される見通しですが、

「明治維新から満150年」

でもある今年に、「平成」の終わりを告げられることは、なかなか感慨深いものでもあります。

ここに何度も書いてきたことですが、私がこの『闇の向こう側』を始めた当初の最大の動機は、

今年(2012年)で世界が終わる!

というような言説が「スピリチュアル」界隈でとてつもない猛威を奮っているように見えたことに対し、私も私なりの立場からなにか言わないわけにはいかないと感じずにはいられなかったからでした。そして、私は当初からずっと言っていたとおり、その日も

予言やマヤ暦にまったく関係なく、昨日死んだひともいたし、今日死んだひともいたし、明日死ぬひともいる。だから、今回の騒ぎや終末論、あるいは破壊的な予言にも意味があるとするなら、「日々の大切さ」を再確認する、ということに尽きるだろう。未来はなにがあるかわからないのである。10年後私やあなたがこの世で生きていられる保証はどこにもない。それならなおさら、1日1日を愛おしみ、縁ある方々を大切にし、自分の人生を精いっぱい楽しむことだ。こんなことは当たり前だが、今回のせっかくの機会に、改めて考えてみるのも悪くはない。今回のことをそのようなきっかけにできたなら、マヤの方々も、きっと喜んでくださるだろう。それでは、また明日。

2012年12月21日、あるいは22日。この日が世界の最後の日だと信じているひとがいる。この日で完全に世界が滅亡するという説もあるし、「アセ...

と言ったのですが、やはり「世界の終わり」が来ることはないまま、今を迎えることとなりました。

しかし、いずれにせよ私もその時点から、

これからの時代はなおさら激動の時代になる

という認識を持ち続けていましたが、その「当たり前の予測」は、少なくとも私自身に関しては、一貫して「当たり前に当たり続けて」います。

そして、少し見かたを変えてみれば、本来これからの「激動」に最も早く適応できるはずなのは、ずっと

今年で世界が終わる!

と言い続けてきたひとたちなはずだとも思うのです。なぜならそのひとたちからすれば、1999年とは言わないまでも、たとえ2012年末から数えても、既に

「5年以上の猶予期間」

が、あったはずなのですから。

しかし、こんな言いかたはあまりにも意地の悪いものでしょう。それに、私は自分ができていないことを、誰かに言うべきではないとも思っています。少なくとも私は、今にしろいつにしろ、

「世界が終わる準備」

など、できたことがありません。ですがだからこそ、私は私なりの確信を持って、かつてここを開設した当初と同じように、むしろもっと強い気持ちで、こう言い切ることができます。

世界は今年も来年も、いつも、決して終わりません。ただ今年も来年も、いつでも永遠に「変わり続ける」だけです

そして本来、そのような

「永遠の変化」

は、喜びであるはずです。だからこそ、世界は変化し続けるのであり、世界の根底には「愛」があると言えるはずなのです。そしてそれはきっと「真実」だろうと、私も思っています。

しかしそうであるからこそ、私たちは、その「変化」を「喜び」として受け入れられるよう、自らを変え続けなければいけないのだと思います。しかしそれは、単に

状況に応じていくらでも変わる!

と言えばいいだけのものではなく、むしろその逆に、

どんな世界になったとしても、私は私の大切なものを、「変わらずに」大切にし続ける!

とも言うべきものなのだろうと、私は思っています。

永遠に変わり続ける世界は、いつも

あなたはなにを大切にしたいの?

と問いかけてくるようです。

「大切なものを大切にする」

ということ、それはとても難しいものです。ですがその難しさをよく知っているからこそ、私は今日改めて、あなたが大切なものをずっと大切にし続けられることを、心から願いたいと思います。

そして私も、私の大切なものを、大切にしたいと思います。だからこそそれがいつであれ、あなたがここに来てくださったときには、私はいつもあなたを、心からの感謝と喜びを込めて、歓迎します。ようこそ、闇の向こう側へ。