「耳がよすぎる」ことで苦悩するあなたへの、同類からのあれこれ

さて、今日もとりとめのないことを書いてみようと思います。

最初にお伝えしておきたいのは、今あなたが自分のことで精いっぱいであれば(最近の文章はそんなのばかりなのですが)、このような状態の私が書くことを読むことは、あなたの苦しみをなおさら深くする可能性があるので、注意してほしいということです。ただ一方で、あなたがまさに私と同じようなことで葛藤しているのなら、私のリアルタイムの状態を共有することで、多少なりともあなたを元気づけたり、癒やしたりすることができるのかもしれません。ですから、私としてはただ一貫して、私の書くことが、少しでもあなたの力になれることを、願うばかりです。そしていずれにしても、あなたが今元気ならばなおさら、私の苦しみや葛藤に「感染」することなく、ただひたすら

こういうひともいるんだなぁ……

と、世界を理解する糧としていただければと思います。

さて、先ほども書いたように、私は前の

今、私の状態はとてもよくない。そしてこれは、現時点では、いつよくなるのかまったく見当もつかない。だからまず初めに、この文章はこういう状態の私...
前回 を公開してから、早いものでもう1か月が経とうとしている。その間私にメールやコメントで、励ましや慈しみの言葉をかけてくださ...
深く考えるまでもなく、誰かを責め続けているようなひとが、しあわせになるのはとても難しい。しかしだからといって、他者ではなく自分を責め続けたと...

の一連の文章にあるように、先日からずっと大きな「波」のなかにいるのだが、先日

本日は新暦での元旦であり、今日から2018年が始まりました。いかがお過ごしでしょうか? 思えば今からおよそ1年前、私はこの『闇の向こう...

を公開してからしばらくして、ついに体調までが目に見えてどんどん悪化してきた。今は、身体的にも最悪期は脱したように思われるが、私は自然と10年前や20年前のことを振り返っていた。

どうやら、浮き沈みと変化に富んだ私の人生のなかでも、特にやはり「10年」という単位はひとつの節目を成しているようで、その度にどん底に近いものを味わってきた気がします。

私たちは普段、「明日」を「今日」の延長線上にあるものとして捉えがちである。確かに、たった1日の単位で見ればあなたの生活はほとんどなにも変化し...

という文章は、そういう実感から生まれたものでもあります。

そしてそうしたときには、なおさら

「自分はいったいどういう存在なのか」

というのが、否応なしに意識させられるものだ。

思えば私は、幼少期からずっと、耳がとてもよかった。今までも何度か書いてきたように、私のからだは幼い頃からずっと弱く、ちいさな頃ほどとくにひどかった。しかしそんななかでも、耳は圧倒的によかった。そして、そんな私が昔から最も心をかき乱されるものが、

「こども(特に赤ちゃん)の泣き声」

だった。

一般に加齢に伴って、耳の機能も確実に衰えていき、特に高周波の音を聴き分ける能力などは、確実に失われていく。だが前ほどの聴力がない今の私も、やはりこどもの泣き声を聴くと、居ても立ってもいられない気持ちになる。あやしたくなるのだ。とはいえ、もちろん知人でもなんでもない私が、突然こどもをあやしに行くことはできないから、実際には

どうか、落ち着いて。楽しいことを思い出して……

という念を送り続けることくらいしかできないのだが、本当に、こちらが泣きたくなるほど苦しくなるのだ。

そしてそれは、本当には、こどもに限った話ではない。今の私は幼少期ほどの聴力を保っていないが、代わりに幼少期にはなかった「霊媒能力」を身に付けてしまった。これはある意味では、「聴力の究極形」である。なにしろ、
もはや「音」だけではない、

「飛び交っているエネルギー」

が大量に、感受されてしまうのだから。

だからそんな私が

「喜びを深めること」

以上に、

「苦しみをなくすこと」

のほうが重要であるという生きかたになったのは、必然だろうと思う。しかももちろんそれは、「私以外のすべての存在」も対象になる。誰かが苦しんでいるうちは、私の苦しみは、本当には、消えることがない。誰が、

「どうしたって聴こえてしまうもの」

を、無視できると言うのだろう?

だが、年を経るにつれ、私は無意識の領域でも、

「苦しみを感じていることを表現すること」

が、できなくなってきた。

だから、最近も私の親しい何人かに

あなたは、感情の動きが見えなすぎるんです。だから場合によっては、「なにも感じていない・興味がない」ようにすら、見えてしまいます

と言われて、苦笑いしてしまった。

私は、多くのことを感じている。しかしいつの間にか、

「感じていることを表現する」

ことが、ひどく苦手になってしまった。これは哀しみや痛み、苦しみや葛藤について、より顕著である。しかしこれが、私の

「意識的な決断」

によって起こった変化ではないことを踏まえると、私はこれはひとつの

「防衛機制」

なのではないかと、今は考えている。

感情は伝染する。感受性が強いひとほど、これを身を以って実感している。だからこそ自分の苦しみを、葛藤を、大切なひとに伝染させることを、強く恐れるようになる。だから、このようなことが起きるのではないだろうか?

だから、私はもしあなたが

「とても繊細なひと」

であっても、

「あまりにも繊細すぎて繊細には見えなくなってしまったひと」

であっても、あなたがあなたのそのかけがえのない感受性を歪めることなく生きられるようになることを、そんなあなたを受け入れる世界が実現することを、いつも心から、切実に、願っている。

そしてそのうえで、本当には、繊細でないひとなど、この世界には誰もいないのだろうと思っている。たとえば自国民だけでなく全世界からバッシングされているトランプ大統領でもそうだ。彼が繊細なのでなければ、なぜ彼は

「自分の暗殺を恐れ、ファストフードを好んで食べている」

と言われるのだろう?

「自分が暗殺されることを恐れる」

など、繊細でなければあり得ない。私自身は、そんなことを気にしたこともない。だから彼はある意味では、私よりも繊細であると思う。

そして、彼が

「暗殺を恐れた結果食べ続けたファストフードで、健康を害して死ぬ」

ということになるのだとしたら、そこに私は哀愁を感じるしかないのだ。

もちろん、この情報自体は本人の口から言われたことではなく、あくまでも「暴露本」に書かれたものだから、間違っているのかもしれない。

しかし私はこうしたことを考える度、世界には

「とても繊細なひと」

「あまりにも繊細すぎて繊細には見えなくなってしまったひと」

「自分の繊細さに気づいていないひと」

の3種類しかいないと、強く確信するのである。

そもそも、あなたが繊細だったのでなければ、なぜ今の、こんなにひどい、こんな世界に、わざわざ生まれてきたのだろうか?

今実際に生きている私たちなら確信を持って言えると思うが、人生は、世界は

「ひやかし」

で飛び込めるようなものでは決してない。にもかかわらずあなたが生まれてきたのは、いかなる理由であれ、

「なにかを、放っておけなかったから」

でしょう?だから私はやはり、あなたが繊細であることを、確信する以外にないのだ。

私に最も強い影響と、同時に最も強い反発心を与えたひとりは、

孤独でも生きられる強さを持て!

と私に言った。だがそれを言っている当人が、孤独ではなかった。それが、とても腹立だしかった。

しかし私は思う。孤独とは、自分でなろうと思ってなれるものでもなく、なるまいと思ったからならずにすむものでもない。ただ、

「孤独に陥るときは、どうしようもない孤独に突き落とされる」

という事実があるだけで、その「現実」が起きたら、自分がなんであろうと、孤独だろうがなんだろうが、生きる以外にはない。だからそのとき、場合によっては、自分の「繊細さ」は、自分すら気づかない深みに、封じ込められる。そういうことなのだろうと思う。だから今の私は、私が最も反発していたあのひとのことを、以前よりは理解できていると思う。私を独りにしてふたりで生きたあのひとは、あのひとも、やはり繊細だったのだ。そしてそのことに気づいたのは、ある観点から見ると、まさに今の私自身が、私の最も反発したあのひとと同じように見えているのだろうということを、自覚しているからだ。人生とはまさに、

「怖くてありがたい仕組み」

である。

とりとめのないなかにとても大切なことを伝えておきたいのだが、あなたが繊細であればあるほど、いろいろな面で苦しむことは多いと思う。そしてその苦しみや葛藤があまりにも伝わらないと、

死ぬほどつらいということを、死んで(自殺して)教えてやる!

などと思うこともあると思う。だが、私が今まで

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

を筆頭に何度も言ってきたことを脇に置いても、なおただ一点だけを見ても、それはまったく意味がない。言い換えれば、あなたの救いにはまったくならないということだ。

「自分が死んでから泣いて(後悔して)いるひとたち」

を見たとしても、あなたの心は本当には、決して晴れない。私は自殺したことはないが、死んだことはたくさんある。だから自分の経験からも、そして自殺者をはじめとするあらゆる他者の体験からも、これは断言できる。この『闇の向こう側』で書いているすべての文章のなかでも、特に圧倒的な確信を持って言い切れることだ。自分が死んでから、泣いたり喚いたりして後悔しているひとをいくら見たとしても、ただ哀しく、虚しくなるだけだ。それはせいぜい

泣いてすらもらえないよりは少しだけましだ

という程度であって、それ以上では決してない。だから、自殺だけは、しないでほしいと思う。

とはいえ、私たちは孤独に近しい。だから簡単に、孤独を味わえる。そしてどこに誰がどれだけいようが、孤独なときは孤独であり、本当に孤独になってしまったら、自分が強かろうがなんだろうが、繊細だろうが図太かろうが、とにかく生きるしかない。けれどそれでも、私たちはつながり、支え合い、助け合うことができると、私は信じている。だから、あなたは孤独ではない。これは裏返して、私は孤独ではないと、言っているのと同じだ。だから私はまた、こうやってあなたに書いているのだ。耳がよすぎるあなたに、世界の苦しみが絶望を訴えかけてくるとき、どうかあなたに私が届けようとしているものが、少しでも支えとなりますように。いつも、そう願っている。

コメント

  1. フランシスコ より:

    トランプ氏は御子息共々スポーツハンティングされるそうです。遊びの犠牲にされたアフリカの動物さんたちの悲しみの声が聞こえて辛いのです。

    • Dilettante より:

      フランシスコさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、今の社会における人間と動物の関係性というのも、真摯に捉えて変えていく必要のある大きな課題だと思っています。

      私も食生活や服飾品まで、まずはできることからと思いひとつひとつ見直して来ましたし、これからも工夫は続けていきたいと思っていますが、あなたもご自分にとって少しでも心の痛まない生きかたを見出していっていただければと思います。

      そしてそのことの積み重ねがいずれ必ず、世界を変えていくのだと、そう思っています。