自己犠牲を厭わないことはあくまで「ひとつの手段」だということを、忘れないでいてほしい

私たちは、この世界にどれだけの苦しみや哀しみ、痛みや病みが満ちているかを、否応なしに見せつけられる。そしてその度に、多少なりとも、こんな現状を、社会を変えたいと思う。しかし、たとえその根底の想いに少なからず「共通点」があったにせよ、あなたと同じ経験をし、あなたと同じ視点から、同じ深さの想いを持っているひとはいない。だから基本的に、自分がやりたいことは、自分でやるしかない。

あなたは、どんな世界を望んでいるだろうか?戦争のない世界、飢餓のない世界、国境のない世界……。いつの時代もひとびとの心のなかには、それぞれの...

私たちは、他者のいのちや人生、それに時間などを、自分勝手に動かすことはできない。みんなそれぞれが「主体性」を持っていて、「助言」や「支援」をすることはできても、最終決定権を持っているのは相手自身だけだ。いつどこの言葉だったかは忘れてしまったが、

自分の実験材料にしていいのは、自分自身だけだ

というのを聴いて、深く感銘を受けたことがある。だから私たちは、なにより私たち自身の人生を、活かさなければならない。

だがあなたが叶えたい夢が、実現したい目標が遠大であればあるほど、私たちはそのために、多くのエネルギーを必要とする。そしてもちろん、それは他者との協力によって補い合うことはできるが、それでもいちばん自分の自由にできるのは自分自身だという原則に立ち返ると、結局これはいずれ、ひとつの問いに突き当たる。それは

この理想の実現のために、自分をどこまで「酷使」してもいいと思うか?

というものである。

これをもっと一般的な言葉にすれば

「自己犠牲」

と言い換えてもいいが、これについての自分の「線引き」が問われる状況というのは、その程度に差はあるにせよ、どこにでも存在する。それに、私はかつて

生きるとはなにか? この問いは古今東西あらゆる場所で繰り返されてきた。この問いへの「答え」は無数にあり得る。だが、ひとつ言うとすればこ...

と言ったが、

「どんな瞬間にも、どんな行動にも、2度と戻らないいのちを遣っている」

というのが事実なのだから、生きるというのはある意味では、

どんなことになら、自分を「犠牲」にしてもいいか?

ということを考えることと同じだとすら言えると思う。そして、あなたがもしそういった問いをも乗り越えた先にある

「どうしても棄てられない理想」

を見つけたのなら、だからこそあなたも

「自分を犠牲にする(酷使する)ことも厭わない」

ということを、無意識でも選択肢に入れることになるだろう。

緊急の現場で、医療者が全員「8時間以上の睡眠」を主張するようになったら、助かるいのちも失われていく。どんな立場のどんな生きかたにも、必ず

損得勘定を抜きにしても、成功するかどうかすらわからなくても、今は退くわけにいかない

という局面があると思う。そんなときに、自分の「痛み・苦しみ」を絶対に避けていては、どうしてもたどり着けない地点がある。

そしてなにより、こうした「自己犠牲」を厭わないひとたちというのは、端的に言えば優しいのだと思う。そして世界には、まして今のような状況では、世界にはあなたの優しさが必要だ。それに誰よりもあなた自身が、こんな世界ではない理想の世界を追い求めていて、そこに住みたいと思っているのだから、その想いの深さが、あなたを衝き動かしてやまないのだろう。私はそんなあなたを、心から尊敬している。そしてあなたが

「自分を犠牲にしてでも実現したい理想」

は、おそらく私の理想とも、共通する部分が多いのではないかと思う。

だがだからこそ、私はそんなあなたにどうしても、伝えたいことがある。それは

自分を犠牲にすることは絶対にやめてほしいとまでは言いません。ですがだからこそ、自己犠牲はあくまでも「理想を実現するためのひとつの手段」であり、決して「目的」ではないということを、忘れずにいてください

ということなのだ。

あなたが名医で、災害などの緊急事態において、ひとりでも多くのひとたちを助けるため、何日も不眠不休で活動したとする。私は、そのこと自体は心から尊敬する。しかしだからといって、あなたがもし

今回こういうふうにできたのだから、じゃあこれからも、最低1か月に数日は不眠不休で活動する期間を設けよう

などと言い出したら、私はあなたを全力で止める。

だって、もし私が普通に休んだら、そうして寝ている間にもどこかで「助けられるいのち」が喪われているのかもしれないんですよ!

と言われたとしても。

確かに、あなたがそれだけの技術と見識を持っているなら、あなたの「できること」はほとんど無限に思いつくかもしれない。そして実際に、あなたが眠っている間にも、「あなたなら助けられたはずのひと」のいのちが、喪われていることはあると思う。

しかしそれでも、あなたは休まなければいけないし、休んでもいい。なぜなら、あなたも人間だからだ。だがこれは別に、あなたが今生を終えて守護霊になったら休まず働けというようなことを言いたいわけではない。だからこれをもう少していねいに言い換えるなら

あなたもあくまでも「ひとつの存在」であり、ひとつの存在でいいんです。あなたの力には限りがあり、限りがあっていいんです。あなたは不完全であり、不完全でいいんです

と言えると思う。そしてこれは決して、あなたの理想を棄て去ることを勧めているのではない。そうではなくて、

あなたの理想は素晴らしいものです。ですがだからこそ、もっと「長期的な視野」を、忘れずにいてください

ということを、伝えたいのである。

理想が大きく、目的地が遠く、想いが深いならなおさら、その「目的」の達成のためには、様々な手段を、柔軟に検討する必要がある。そしてそのなかでは、ときとして

「自己犠牲を厭わない」というのが、今は最も有効な手段だ(自分が苦しむことを避けていたら、大きなチャンス・収穫を逃してしまう)

という場合もある。しかしだからこそ、それはあくまでも「手段」であるということを、優しいあなたには重々、忘れずにいてほしいと思うのだ。

自分の「生存本能」すら超えて、自己犠牲を厭わない行動が取れることは素晴らしい。そんなあなたがいなければ、成し遂げることができないことは、確かにある。だがそんなふうに、そんな行動が骨身に染みているあなたにこそ、

それはあくまで目的のための手段に過ぎない

ということを、何度でも何度でも、言い聴かせてほしいのだ。そうでなければ、あなたはもしかしたら

「自分を犠牲にすることそのものを目的として生きるひと」

になってしまうかもしれない。それでも、一見すると相変わらず素晴らしいひとに見えるかもしれないが、実際のところそのときのあなたは、もはやそれまでのあなたとは違う。それを

「死にたがり」

と呼ぶ。私はあなたに、そんなものになってほしくはないのだ。

私たちは、徹底的に自分を活かして生きたほうがいい。そしてそれができない世界なら、なんとしても変えなければいけない。そしてそれが困難なら、ときには死ぬ気でやらなければいけないこともある。それに、どんなに自分を護ろうとしたところで、いつかは私もあなたも必ず死ぬ。だったら、いのちを懸けても惜しくないことを見つけられたことは、喜ぶべきことだ。だがだからこそ、死ぬ気で取り組むに値することだからこそ、「生きる目的」を忘れずにいなければならないのだ。

もし私が死んだら、誰かが私の遺志を継いでくれると思う。だがそれならばなおさら、私も死にたがりになるわけにはいかない。そして私はあなたにも、死んでほしくはない。できるなら一緒に、素晴らしい未来を生きてみたいと思う。私はずっと一貫して、その理想を追い続けている。