不安定と安定。私たちを老い疲れさせるものはなんなのか?

「安定」というのは、私たちの多くが多かれ少なかれ求めるものではある。しかし一方で、

安定にあぐらをかいたとき、私たちは老い始めることになります

といったことを言うひともいる。そして私は、このような主張が伝えようとすることも理解できる。

だがだからといって、まったく安定せず、常に不安定な状態のなかに身を置いてしまうと、それはそれで私たちをすり減らしていくことになる。

だとしたら私たちは、この矛盾というか両挟みに対して、どう向き合っていけばいいのだろうか?

自分なりにこの問題に向き合う切り口として、私はまず、

私たちを老い疲れさせるものは、いったいなんなのか?

と考えてみたいと思う。

ひとは安定のなかでなぜ老いるのかと言えば、その

「代わり映えのなさ」

が、生命力を奪うからだと言える。

しかしではなぜまったく逆の不安定のなかでも老いるかと言えば、それはまさにその

「不安定という荒波」

が、私たちをすり減らすからである。

だがこのことによって、安直に

結局のところ、私たちは安定しすぎても不安定すぎてもダメになる、わがままな存在なのだ

と結論付けてしまうのは、間違ってはいないだろうが、つまらないというか、どうしようもないような話になってしまう。

だから私は、ここからもう一歩掘り下げてみたいのである。そして先に私の結論を書いてしまうと、私は

本当に問題なのは、「安定しているのか不安定なのか」ではなく、「理想を持ったままでいられているか、それを見失っているか」だ

と、思っているのである。

そのような視点からもう一度先ほどの話を見直してみる。すると、安定が私たちを老いさせる理由は

「安定していることが現状維持の欲求を強めすぎてしまい、理想を思い描くことを忘れさせてしまうから」

だと言えることに気づく。そして一方で、不安定もまた私たちを老いさせてしまう理由は、

「不安定であることが余裕をなくさせてしまい、理想を忘れさせる、あるいは理想を諦めさせてしまうから」

だと言えることに気づく。だからこのような観点から見れば、安定していることの問題点も、不安定であることの問題点も、実は同じ根から派生したものにすぎないということが言えるのである。

今のあなたが安定した状況にあって、そのうえで理想を忘れずにいられているのなら、それは最高の状況だとも言える。ぜひ今の基盤を活かし、その間に力を溜め伸ばし、理想へ近づいていってほしい。

また逆に、今のあなたが不安定な状況にあっても、そのなかで理想を棄てず、現状に屈せずにいられているのなら、あなたの力はまだ奪われていない。だからそのまま準備をしつつ機を伺っていれば、あなたなら必ず乗り越えられる。そしてその波乱から得たかけがえのない経験値は、未来に向かうあなたの大切な糧となって宿ってくれることになる。

力を手放すから老いるのだと考えれば、理想を持ち続けることでなぜエネルギーが湧き続けるかの答えも自ずと出てくる。私たちは肉体人としてはいずれ必ず死ななければいけないし、特に体力については年々衰えていくし、そうすれば精神力や思考力にも当然影響は出てくる。だがそれでも、理想を持っているのなら、からだの状態はどうであれ、そのひとには計り知れないエネルギーが宿り続ける。だからそんなひとを「若々しい」というのに無理があるとしても、少なくとも

「瑞々しい」

とは言えるはずで、そのひとを老いていると表することは、誰にもできないと思う。そういうのは、

「年季が入っている」

というものである。

 

率直に言うと、少なくとも私の個人的な実感において、私は

「安定」

というものを味わったことがほとんどないと思う。それに私の肉体のピークは、どう見ても過ぎ去っている。しかしそれでも、私は

「生涯現役」

でいたいと思う。私は前線にいたいからここに来たのだし、そもそも私に限らず、

「自分にとっての理想を拓く最前線にいるのは、常に自分でしかない」

のだから、私の理想を追い求める限りにおいて、私は現役であるし、そう在る以外にはない。

そしてこの想いというのは、もちろん多少の大小や自覚の深さの違いはあるにせよ、基本的には、あなたとも共通しているはずのものなのだ。それはあなたが今生きていることによるまでもなく、

「あなたがここに生まれてきたこと」

そのもので、既に証明されているものだ。あなたが望んだから、あなたはここにいるのだから。

人生はいつ終わるかわからないうえに、同じ人生は2度とない。だからまだ、老いている場合ではない。もちろん、疲れたら休んでもいいし、休むべきだ。だが、あなたの理想は、ずっと持っていてほしいし、見失ったなら、なんとかして見つけ出すか、さもなければ創りなおせばいい。想像力(創造力)は、私たちの力の源である。そしてそれは、無限である。だからそれを活かすという無限の課題と営みは、終わりのないものだ。そうであるなら、私たちが無限を生きるのも、その価値があるというものだろう。だから一緒に、未来を創り続けていきたいと、そう思っている。

コメント

  1. なすび より:

    人生において「安定」はないですか。。。

    分かってはいましたが、改めて断言されると、人生は厳しいなぁと思います。

    理想を失わずに生き続けるってそれだけですごいことだなと思います。

    きっとその人しか知らない悲しみや喜びが数多くあるんでしょうね。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      いえいえ、私が言ったのはあくまでも、

      (今までの)私の経験のなかでは、安定を感じたことがほとんどないです

      ということであって、このことをすべてのひとの人生について一般化する気はありません。

      ですから、人生のなかで安定を感じているひとはいるでしょうし、それを活かして力に換えられているのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。

      つまり結局は、

      「安定を求めてはいけない」というわけでもないし、「不安定なままではいけない」というわけではない。いちばん大切なのは、置かれた状況と、自分の感受性にどう向き合って、どう未来を創るかだ

      というふうに、私は思っています。

      そして私は、この先もどんなに不安定であろうが、理想を棄てる気はありません。そして不安定であることをわかっていてこの時代に生まれてきたことを完全に認識してしまっているので、それに文句をつけられる立場にもありません。

      ですから私は私の生きてみたい世界を実現するため、肉体人としてだろうが霊存在としてだろうが、試行錯誤を続けていこうと思っています。

      あなたにも安易に真似ることはとても勧められませんが、もしあなたご自身がその気になったときは、それに取り組む価値はあるということは、はっきり申し上げておきます。

      そして私もいつもあなたのことを、応援しています。

  2. なすび より:

    なすびです。

    なるほどです。一番大切なのは、安定を求める、求めないということというより、”置かれた状況と自分の感受性に向き合って自分の理想とする未来をつくろうと努力し続けること”ということでしょうか。

    私自身、自分の理想を目指して生きたいと思いつつも、どうしても今の状況に安住してしまっています。でも、このまま生きていってこの世を去ることになったら、きっと後悔するだろうなということも分かっています。

    私も正直、唯物的な今の医学に辟易しています。単純に肉体的な問題であれば、現代医学で治療することは可能でしょうが、多くの病気は霊的なもので、物質次元に根本的な解決策はないと考えています。多くの人の賛同を得ることは出来ないと思うのですが、もっとスピリチュアルな要素を取り入れることが出来たらと思っています。

    あわよくば、Dilettanteさんのような霊媒師さんの力も借りることが出来たらなぁと思います。

    もちろん、まずは優秀な臨床医になれるようにしっかりと勉強するつもりですよ。そこをはき違えてはいけないと肝に銘じる所存です。

    あと、夏休み(8,9月あたり)お会いしたいと考えています。また日が近づいたら連絡しますね。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私の素朴な感想を言うと、あなたは現時点で

      まぁ、悪くはない

      と言える人生を歩んでいるということなのだろうと思うので、それは素晴らしいことだと思います。

      ただもちろん、後悔は少なければ少ないほどいいでしょうし、ぜひもっともっと成長していっていただければと思います。

      ですが、こんなことは言うまでもなく、あなたはこれからもご自分を成長させていくでしょうね。

      そのうえでそこに私が多少なりともお役に立てるのなら、私も嬉しいです。

      お会いするときまで私も、もっと自分を磨いておこうと思います。

      どうぞよろしくお願いします。