まずひとつでいいからなにかを見つけたら、そこからすべてを変えていける

先日

誰かを愛したいなら、まずは自分自身を愛してください 自分のことすら癒やせていないひとが、誰かを癒やせるはずがない こうした意見と...

という文章を書いた。今回書くこともこれと深く関連していると思うのだが、結局それが

「癒やし」

であろうが

「愛」

であろうが、その他どんなことであっても、

どこのなにからが出発点でもいいから、まずできることからやる

ということでいいのではないかと、私は改めて強く感じているのである。

たとえば癒やすことであれば、自分を癒やせないとしても、誰かを癒やしたいと思うことができれば、そこから癒やしが始まっていく。または逆に、誰のことも愛せないとしても、まずは自分自身だけでも愛することができれば、そこから他のひとのことも愛せるようになる。だからこれは、どちらの、あるいはどの出発点が正しいということではないのだと、私は思うのだ。

よく「ドミノ」や「シャンパンタワー」などの例を出して、

しあわせを拡げたければ、まずはいちばん最初で身近な自分自身から満たさなければいけないのです

というひともいるし、そのすべてが間違っているとは私も思わない。

しかしそれでも私としては、しあわせや愛や癒やしのモデルを、

「一方向的な流れや単線的な連鎖」

ではなく、ひとことで言えば

「共振」

のようなものとして、捉えてみたいと思っているのだ。

だからここにおいては、愛にしろなんにしろ、「上から下」とか、「左から右」とか、「自分からあなた」のように、特定の流れも、特定の源も存在しない。さらに言えば、お互いの存在を認識していることさえも、必須ではないと言える。どこからでも、誰からでも、いつでもいい。ただとにかく

「まずはひとつ、なにか」

を見つければ、そこを出発点にして、すべてを変えられるのである。

とても単純に言ってしまえば、

「自分」と「誰か」のうち、自分が愛しやすいほうから、愛していけばいい。「自分のため」でも「誰かのため」でも、まずは入りやすいほうの入口から、入っていけばいい。いずれにしろやがては、すべてがつながっていくから

というのが、私の考えなのである。

それにもし、人間のことを愛せないなら、動物を愛するところからでもいい。または植物でも、人形でも、石だっていいのだ。私の知るあるひとは、この世のどこにも愛や希望を見出だせなくなり、もはや自殺を止めるものがどこにもないかに思えたところから、ある理由により踏み留まった。それは、

外の木が青いから

という理由だった。彼にとっては、自分でも誰でもなく、空でも海でも山でもなく、「外の木」がそれだったのだ。そして彼は、今も生きている。

またこれも私が直接知るひとだが、彼にとってのそれは、

「酒」

だった。そこから彼は、水を愛するようになった。そして、自分を受け入れ、世界を受け入れるようになった。そして少しずつ少しずつ、大きな声を出して話すようになった。

だから、それでいいと思う。最初のなにかが、自分でも、誰かでも、木でも虫でもふとんでも、なんでもいい。もちろんできることなら身近なひととは特に仲がいいに越したことはないが、たとえ家族と仲良くできなくても、誰かと友達になってもいい。そしてたとえ自分のことが大嫌いでも、生きていていい。

「生きている」

ということそのものが、

「まずひとつ」

なのだから。それに、自分のことを否定せずにはいられなくても、それでも生きられるだけ生きていればいい。最も大切なことは、

「自分で自分を消滅させないこと」

だ。それさえできていれば、否定は変革に転化させられる可能性を、常に秘めているのである。

また、これも

「まずひとつ」

の一種だと言えるが、

「自分のお気に入りの言葉をひとつ持つ」

というのも、とてもいい方法のひとつである。この観点から、多くの宗教に

「特別な言葉」

があることを考えてみるのもいいとは思うが、なにもそんな仰々しいことに想いを馳せる必要はない。それが「念仏」であれ「マントラ」であれ、「祈り言葉」であれ、要するに

「長い間多くのひとに想いを乗せられてきた言葉には、そのすべての想いの総合物が宿っている」

ということなのである。だがそれが、あまりにも多くのひとに、長い間「共有」され過ぎたことで、いいものだけでなく様々な「澱みやくすみ」までも引き受けているということを踏まえるなら、そしてひとまずは、

「誰よりあなた自身が、あなたのために遣う言葉」

であるということを考えれば、それは誰に知られる必要もなく、有名な言葉である必要もない。いずれにせよ、あなたがその言葉を大切にし、想いによって磨き続ければ続けるほど、それは誰よりあなたにとって、かけがえのない力を持つようになる。

だから、これはあくまでもあなた自身が、あなたのお気に入りとして見つけて遣えばいいものなのだが、そうは言っても例がないとわかりにくいかもしれないので、たとえば

私は見守られている

というものでもいい。これはかつて、

私たちは古代から現代に至るまでの間に多くの変化を経てきたし、同じ「日本」という枠組みのなかで見ても100年前と今の姿は大きく異なっている。し...

のなかで書いた

私は、喜びとともに生きていきます。変わっていきます。だからその想いを共有できない存在、私のその意志にそぐわない存在、私を苦しめようとするような存在は、離れていってください。そして私は、一緒にお互いの喜びを深める存在とともに歩んでいきます。守護霊さん、みなさん、力を分け与えてください。そして一緒にその喜びを、育んでいきましょう。よろしくお願いします

という言葉をさらに凝縮したものだとも言えるが、少し不安になったとき、あるいは重要な場面に臨むとき、わけもなく心が乱れたときなど、とっさのときにいつも口ずさめるようにするには、このくらい素朴で、短いもののほうがいいと思う。そして何度も言うように、あなたの言葉はあなたが選べばいい。それになんなら、あなたがいちばん好きなひとの名前でもいい。もちろん、ものでもなんでもいい。あなたにとってはそれが、なによりの力の源なのだから。

何事も、まずは初めの一歩からである。そして初めの一歩が踏み出せさえすれば、もうあなたは変わり始めている。それになにより、あなたはここに生まれてくることを選んだという時点で、既に最初の一歩を踏み出している。だから、だいじょうぶ。あなたはいつだって、まだまだこれからだ。